2021年06月27日(日) 

 

 

>香港 中国の話題 >リンゴ日報をつぶした中国の「秘密機関」 電話もHPも非公開

(略)

> 反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法(国安法)が中国共産党政権の主導で施行されてから、6月30日で1年となる。 > 急速に自由が奪われていく香港の現状を報告する。

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

> 23日夜、この日の編集を最後に廃刊が決まった香港紙「リンゴ日報」。>数百人の支持者が郊外の工業団地にある本社前に駆けつけ、屋上に集った記者らとスマホの白いライトを照らしあい、「ありがとう」「香港、加油(頑張れ)」とエールを交わし合った。 > 編集局には、同紙創業者黎智英(ジミー・ライ)氏の娘で弁護士のジェイド・ライさんの姿もあった。 >父親は香港国家安全維持法(国安法)違反の罪などで起訴され、収監が続く。 

 

他国ながら気の毒ですね。中国にも暴君がるのですね。   

 

>ジェイドさんは26年の歴史に幕を閉じた新聞を手にして、仲間たちと笑顔で記念写真に納まった。> 社内は、最後の紙面を作り上げたという高揚感に包まれていた。 

 

残念な喜びですね。アングロ・サクソンの伝統は踏みにじられましたね。       

 

>しかし、編集局が少し静かになると、ある記者は「悲しい」と漏らした。  

 

世界中の自由主義国家は悲しんでいることでしょうね。  

 

>記者たちの高ぶった気持ちは、当局によって廃刊に追いやられた怒りと挫折、そして無力感の裏返しでもあった。

 

フランク・ギブニー氏の著書 <人は城、人は石垣> には、以下のような指摘がある。

日本語は英語のように、キチンとしたアリストテレス的文法に閉じこめられていない。言語として、日本語は「いま、ここ」に根ざしている。判断より気分に興味をもつ。意味より感受性に関心がある。英語を使うのは絶えず理論的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行わせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば、日本語には “to be” に当る適当な動詞がない。”being” とか “reality” のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。「概念」 (concept) でさえ人工的につくらねばならなかった。(引用終り)

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 ‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’ (ウスビ・サコ)   

 

> 経営と編集の各トップや主筆を拘束。>発行元の会社の資産凍結や、銀行への融資の禁止。>当局はなぜ、なりふり構わず容赦ない弾圧劇を繰り広げたのか。> 中国政府に近い関係筋は、それがある機関の「任務」だったという。

 

まさに人災ですね。時代遅れも甚だしい。       

 

> 「国家安全維持公署」。>昨年7月、香港に新設された中国政府の出先機関だ。> 昨年6月30日に施行された国安法では公署の役割を、(1)香港における国家安全情報を分析・判断し、戦略や政策を出す(2)香港政府を監督・指導する、と定める。  

 

権威主義者自身の安全の為ですね。’朕は国家なり、国を愛せ、朕を愛せ’ ですね。 

 

>「国家の安全」の名の下で、香港政府よりも上位に立つことが明確にされている。> ただ公署の公式ホームページも代表電話番号もなく、その内実は秘密に包まれている。

 

きっと無哲学・能天気なのでしょうね。彼らは対話・議論は好みませんね。   

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。 (2/2に続く)

 

 

 

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閲覧数444 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/06/27 03:41
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