>人と人のつながりを強制するSNSは、同調圧力を増長させる温床となっているという指摘もあるそうだ。 > ではなぜ、私たちは背景にある客観的な事実よりも、“見たまんま”の“状況”に流され、それを優先してしまうのだろうか。> 本書によれば、流される方向で捉えたほうが、世界を安定した予測可能な場所として考えることができ、気持ちが楽になるからだという。
‘赤信号 みんなで渡れば怖くない’ ということですね。一億聡玉砕の掛け声のようなものか。
>さらに人は一定距離の対象物だけにピントを合わせて世界を捉え、背景をぼかして見るクセがあるので、よりその傾向が強くなる。> そうではなく、状況を客観的に把握し、判断を曇らせがちな感情やバイアスを捨てることができれば、人間への本質的な理解が深まり、判断を誤らないための手がかりを見つけられるはずだ。
そうですね。賢明な人は「純粋によく観察する」が、並みの人は「自分の期待したもの」しか見ようとしない。 よく観察するとは現実のただ一つの内容 (事実) と非現実の多数の内容 (考え) を勘案して判断することですね。オオカミと七ひきの子ヤギの話に出て来る子ヤギたちには後者がなかった。
> しかし、「考えているつもり」でも、人が“状況”や思い込みに左右されるのを回避することは難しい。
我が国では特にそうですね。 ‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)
>この世に存在するさまざまな差別や偏見も、実は周囲の思い込みやとりまく環境によって生み出されている。>人の意見や考えは残念ながら、“状況”や環境によって簡単に左右される、極めて危ういものなのだ。
そうですね。
> ところが、私たちの“状況によって簡単に左右される思い込み”が、プラスに働く場合もある。>それは恋愛だという。
恋愛は熱病のようなものですね。
> 恋の魔法をかけるのは、“慣れ”のちから。>ピッツバーグ大学の実験で、目にする回数の多さは、好意を生む強力な要因であることが判明した。
なれ合いの効果ですね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。
>人は見慣れた感じがすればするほど、その相手に魅力を感じる。>外見や性格を重視しているのではなく、“よく顔を合わせる状況”が、大きな力を及ぼすのだという。
そうですね。故郷の山川のようなものか。
>これは心理学でいう“熟知性の原理”で、何度か会ううちに、次第によい印象が生まれてくるというもの。
テレビのコマーシャルのようなものですね。繰り返しが効果を奏しますね。
>恋愛も、“状況”によって確実に左右されるのだ。>むしろ、客観的な判断力は、恋の邪魔をするというものだろう。
恋愛の場合は、ただ思い込みに身を任せるのが良いということですね。
> 著者は新しい恋を求める人に、こんなアドバイスを送っている。 >まずは自分の姿ができるだけ多く人目に触れる機会をつくり、見慣れた感じを与えること。 >部屋にこもっていては、恋のチャンスは増えていかない。 >人のもつあやうい認知も、時と場合によっては使いようだ。 >“状況”を利用して、新しい恋を引き寄せてみる。
‘恋に上下の隔て無し’ ですね。
>ダマされたと思って、一度試してみてはいかがだろうか。 >文=タニハタマユミ
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