2021年07月09日(金) 

 

 

>しかし、次に就任したマーク・ペレーズ艦長は違った。 >大西洋に出て通常訓練をつつがなく行っていたある日のことだ。 >私は潜望鏡で大型商船を発見した。 >ソナー員がその存在を音で確かめようとしたが、通常モードの潜水艦では、音の「受信」しか認められていないため、船までの距離が正確にわからなかった。>私はソナー班の班長に、冗談めかして、アクティブ・ソナーを使って商船にピン(音)を打てばわかるじゃないか、と言った。>潜水艦がピンを打つことはめったにない。>すると、ペレーズ艦長が私の横にやってきてこう言った。>「なら、やればいいじゃないか」>彼がそう言ったのは、ソナーでピンを打つには艦長の許可がいるとわかっているからだ。>私が気まずく感じているのを察して、艦長はさらにこう続けた。 >「君がひと言、『艦長、訓練のためにソナーでピンを打ちます』と言えばいいじゃないか」 >私は思い切って口を開いた。 >「艦長、訓練のためにソナーでピンを打ちます」 >艦長はひと言 「よろしい」と答えてその場を立ち去った。 

 

艦長は部下の提案を許可したのですね。ペレーズ館長は違っていた。      

 

>1人残された私は、初めて艦を動かす責任を担うことになった。>それからの30分 、ソナー室にいる全員が、代わる代わるソナーでできるあらゆる組み合わせを使ってピンを打ち、海面上で動いているものの正体を探った。 >ソナー員はいつもと違う操作を楽しんでいた。  

 

そうでしょうね。上意下達の仕事ばかりでは、仕事に飽き飽きしますからね。     

 

>ソナー班の班長は、班員の訓練ができて喜んでいた。>私も楽しかった。 >一緒に働くチームを指揮する権力と能力が自分にあるという実感。 >それは私にとっての強壮剤となった。 >それからは、当直に就く時間を心待ちにするようになり、当直でない時間は勉強にあて、自分のチームでの訓練の新しいやり方を思い描いた。

 

良かったですね。働きながら学習が可能になりましたね。   

 

>====中略====

>●10年後にも圧倒的な成果を出す   

>私が艦長に就任しているあいだ、サンタフェはすばらしい働きを見せた。 >ただそれだけだったら、書店の棚の大半を占めている、リーダーという個人を中心としたリーダーシップ物語と何も違わない。 >本当の意味での成功は、10年後の働きぶりを評価して初めてわかる。 >サンタフェは10年経った時点でも優れた働きを続けていて、士官も下士官兵も信じがたいほどの高確率で昇進を遂げた。 

 

士官・下士官の昇進率が ‘委ねるリーダーシップ’ の評価の基準になりますね。   

 

>これこそ、委ねるリーダーシップを通じて受け継がれていくものなのだ。>「委ねる」リーダーシップは、「命じる」リーダーシップと構造から根本的に違う。  

 

委ねるリーダーシップは部下を信頼するリーダーシップですね。   

 

>その中核には「誰もがリーダーになれる」という信念がある。 >リーダーシップを、限られた人だけが持つ特殊な資質だと思うのは間違いだ。 >人間なら誰もが持ち合わせている。 >それを仕事のあらゆる面で発揮してもらうのだ。 

 

そうですね。 総力戦の体制ですね。     

 

>誰もが自分の仕事に満足している世界を思い浮かべてみてほしい。>そこは、誰もが自分の知力を存分に発揮し、自分を高めたいという意欲に満ちあふれた世界だ。 

 

そうですね。理想的な人間の姿ですね。理想的な社会の姿ですね。        

 

>人間という種に授けられた認知の力を存分に使い、目の前に問題が現れるたびに解決していく姿がそこにはある。>突き詰めれば、本書は、既存のリーダーシップ構造が機能しない現在の環境にあって、仕事に不満を抱えるすべての人にとって行動を起こすきっかけとなるものである。  

 

そうですね。全ての人の不満解消は、現今の社会の機能不全の打開策になりますね。   

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)   

 

 

 

 

 

 

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閲覧数443 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/07/09 13:48
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