>常に8割超す投票率 政治と向き合う北欧の小国 日本への教訓は > 毎日新聞 2021/10/28 06:00 (略) > 北欧のデンマークが誇る数字がある。 >「84.6%」。 >2019年の議会選挙(1院制)の投票率だ。 >1953年に憲法が改正されて以降、議会選の投票率は8割を切ったことがない。 >主要な選挙の度に有権者の関心の低さが指摘される日本からすると驚くべき数字だが、その秘密はどこにあるのか。
日本国民は政治音痴ですからね。
> 「政府への信頼が厚いこと。 >そして、政治や議員との距離が近く、投票することで政治に影響を与えることができ、自分の生活にプラスになる。 >そういう感覚を持っていることです」。
日本人の人間関係は馴れ合いを基にして成り立っていますからね。無哲学・能天気ですから客観性がないですね。
>ピーター・タクソイェンセン駐日大使は、高投票率の理由を簡潔に述べた。 > デンマークは「清廉な国」と言われてきた。 >世界各国の汚職の度合いを調査する国際NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」が発表した20年の「腐敗認識指数」では、約180の国や地域のうち、ニュージーランドと並んで最も政治腐敗の度合いが低かった。
デンマークは清廉潔白な国ですね。
>ちなみに日本は19位。 >デンマークは前年も首位になっていた。
彼等の清廉潔白は揺るがないですね。
>自分の一票が影響を与えられる > 理由を更に探ると、53年に2院制から1院制に変わったことが挙げられるという。 >政権交代が起こりやすくなり、「ねじれ現象」もなくなり、有権者の1票が政策に影響を与える感覚が得られるようになったようだ。
我が国の地方議会のようなものですね。
> 「興味深いのが……」と前置きしてから、タクソイェンセン氏はデンマークの、欧州連合(EU)欧州議会選挙での投票率を取り上げた。 >この投票率は議会選挙ほど高くなく、以前は40~50%台で推移してきた。 >だが、19年には前回(14年)の56.3%から66.1%へと急激に伸びた。 > 「今までは(EUの本部がある)ブリュッセルで起きていることは遠い場所でのこととして考えられてきたのでしょう」とタクソイェンセン氏。 >ところが、16年に英国が国民投票でEU離脱を決めたことから、それ以降のデンマーク国民は「(英国の)離脱が実際に日常生活にどう影響を与えるのか考えるようになったことが(投票率アップの)背景にあるのではないか」と推測する。
考えがなければ行動も無いということですね。何処の国にも当てはまることですね。
>十代から政治の議論を続け、意識を育む > 次に挙げた理由は「義務感のような投票への権利意識の高さ」だ。 >デンマークでは子どもの頃から自分の意見を伝え、議論する大切さを教えていく。 >社会問題についても積極的に議論させる。
言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。 非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。 自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定がわが国では一生涯続く。 日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。 意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。 わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
>また、日本の中学生に相当する年代になると、選挙のプロセスだけでなく、民主主義の価値や、異なる政治的な立場についても学ばせて議論させる。 > 議会選挙の時期には模擬選挙が催されて、生徒たちは実在する政党や候補者に投票する。 >19年の議会選挙では気候変動が大きな争点になったが、これは模擬選挙などを通じ、若い世代からの圧力が影響したからだという。 > 日本では、政治教育について議論される際にしばしば「生徒が教師の考えに影響されてしまう」との懸念の声が上がる。
'日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。' (ウスビ・サコ) 日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。
>だがタクソイェンセン氏は「政治教育に限らず、何事においても教師の影響は大きいのではないでしょうか」と、その存在を否定しない。 >「私たちは教師に操作されたのではなく、良い経験をさせてもらったと思っています」と振り返る。
すると日教組による教育指導は日本人にとって良い経験ということになるのかな。
> デンマークでは、18歳で成人した後に初めての選挙を迎えると、国会議長からお祝いの手紙とデンマーク憲法の解説冊子が郵便で送られてくる。 >現在ではほとんどの行政手続きが電子化されているが、この手紙と選挙の投票用紙は昔ながらのものだ。 >この手紙は参政権を得た外国人やデンマーク以外にルーツを持つ人々にも送られる。 >その狙いは「異なる文化を持つ人にも民主的なプロセスに参加してもらうための一環だ」という。
民主主義は大切ですね。 チャーチルの名言 「民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。」
>若い世代の経験不足も許容できる > 18歳で被選挙権も得られるデンマークでは、若い政治家が活躍している。 >19年に史上2人目の女性首相となったフレデリクセン氏は41歳で就任。 >18年には、東部ホルベック市で24歳の女性市長が誕生した。 >タクソイェンセン氏は、日本でも若い世代が早くから政治活動に参加できる場を増やすことが大切だと説く。 > デンマークでは若い政治家の「経験不足」を懸念しないのだろうか。
我が国の政治は処世術を駆使して主導権を手に入れる戦いですからね。政治哲学のない政治屋の処世術には経験不足が致命的に作用しますね。 私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。 政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。 我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。 孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り) 我が国には人手不足の話はあるが、頭脳不足の話はない。わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。
>そんな疑問をぶつけると、「確かに経験はないかもしれません。でも若い政治家が活躍するデンマークや他の国は悪い国になっているでしょうか」と切り返された。
無哲学・能天気の国は悪い国かもしれませんね。つかみどころのない政治家に信頼が得られないからです。
> 日本は31日に4年ぶりの衆院選を迎える。 >過去3回の投票率は50%台で推移してきたが、「日本の人々に何かメッセージは」とタクソイェンセン氏に尋ねると、短く簡潔な答えが返ってきた。 >「まず投票することです。 >自分の社会に影響を与えたければ、より良い社会にしたければ、民主主義の国では投票するしかありません」
日本人には意思がない。だから、能動が無くて受動ばかりの生活を送っている。自分が社会に影響を与えることなど想定外になっている。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
>【日下部元美】
>デンマーク > 国土面積は約4万3000平方キロ(自治領のグリーンランド島とフェロー諸島を除く)で九州とほぼ同じ。 >人口は約581万人。 >近世から絶対王制が敷かれたが、1849年に立憲君主制に移行。 >童話作家アンデルセンの出身国として有名だ。 >玩具メーカー「レゴ」は1932年にデンマークで創業した。 >「レゴ」はデンマーク語の「leg godt(よく遊べ)」からきている。 >「デザイン大国」としても知られ、特に日本ではデンマーク製の家具が人気だ。
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