2022年07月12日(火) 

 

 

>文春オンライン   >“お願い蔓延社会”でひそかに増殖する「考えない日本人」の行く末   > 牧野 知弘 2022/07/12 06:10  

(略)   

> コロナ感染者数は最近では再び増勢に転じているとはいえ、重症者や死者数がかつてほど深刻ではなくなっているせいもあってか、世の中ではあまり話題にされず、一見すると日本社会は平穏を取り戻しているようだ。   > だが、2年以上にわたって蔓延したコロナ禍は最近の日本社会、日本人の特性を炙りだしたともいえる。  >「お願い」だ。  >曖昧な「お願い」に従う日本人   > コロナ禍では感染を防ぐという意味合いで、多くの「お願い」が発出された。法の問題もあって日本では欧米のような命令、罰金のような強い措置が取りにくいという背景もあるが、曖昧な投げかけである「お願い」に日本人はよく従ってきた。   

日本人には自己がない。だから、自己主張というものが大衆に認められない。それで、日本人の指導者は大衆にお願いするしかないということになる。   

> そして「お願い」に忠実な日本人に対して今でも政府、自治体、公共交通機関などでは相変わらずこの「お願い」を連呼し続けている。

そうですね。国民が思考を停止しているわが国にはどのような特徴があるでしょうかね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

 ‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 '日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。'  (ウスビ・サコ)   

> 電車のホーム上、階段では様々な「お願い」が繰り返し放送される。  >「感染症対策のためマスクを着用願います」「マスクは鼻と口を覆うように」「車内での会話は控えめに」「座席の向かい合わせはご遠慮ください」に加えて「テレワークの推進」「時差出勤のお願い」である。   >以前から鉄道会社では、「ホームの黄色い線の内側をお歩きください」「スマートフォンを見ながらの歩行はおやめください」など安全上の理由での「お願い」を続けてきた。  >最近ではこれらに加えて「危険を察知したときは非常用ボタンを押してください」「エスカレーターでは歩行しないでください」など「お願い」のオンパレード状態だ。  >いずれも1つ1つは言わないよりも「言っておいたほうが良い」内容だが、これらを1日中駅や車内で連呼し続けるのは、聞いているほうでは「お願い」を聞くだけで疲れてしまうほどの分量だ。  > JRの一部の駅などではさらにエスカレートして「お年寄りや体の不自由な方に、どうしましたか? と声掛けしましょう」などといったマナー指導まで加わり始めた。  >そして最後の締めのセリフが「みなさまのご理解、ご協力をお願い申し上げます」というテンプレだ。  >続々と登場する新しい「お願い」   > この夏はさらに新しい「お願い」の登場だ。  >猛暑による節電の「お願い」だ。  >以前のように冷房温度28度のような規制値こそ設けてはいないようだが、エアコンの温度は控えめに。  >電気はなるべく使わないように。  >ここが出番の都知事の小池百合子さんは「冷蔵庫内の温度を上げて節電しましょう」ときた。   >これもご理解、ご協力しなければならなそうだ。 > 天気予報もおせっかいだ。  >感染症対策に加え、熱中症対策、水分補給、日差しを避ける日傘の携行、洗濯物の乾きやすさ、服装に至るまで思いつく限りの指示ではないただの「お願い」「アドバイス」を繰り返す。  >こんなことは自分で考えればよい内容ばかりだ。  

そうですね。   

>今後も猛暑が続くと、すでにいくつかの自治体では始まっているが、今度は節水の「お願い」が連呼されるだろう。  > そういえば先週までは参議院議員選挙で選挙カーからの「お願い」もあった。  >国は西側諸国の一員としてロシア制裁を「お願い」され、これに協力している。   

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。 北方領土だ。 だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。 (小野寺元防衛相)    

>そしてそのお願いを岸田首相はありがたくも他国にまで出向いて、他国にも加わるように「お願い」を始めた。  >街を歩くと炎天下の中、自治体の職員さんとおぼしき人たちが、マイナンバーカード発行の「お願い」を連呼している。  >カードの使い勝手が良いと思えば、連呼しなくても登録は増えるだろう。   

そうですね。使い勝手の良いものは大衆に愛されますからね。       

>値上げへの「ご理解とご協力」   > 経済にも「お願い」が蔓延りだした。  >物の値上がりだ。  >企業は円安とウクライナ紛争に端を発した原材料の値上がりに耐え切れず、製品の値上げに雪崩を打ち始めた。   

我が国の政治家にも政治哲学が必要ですね。   

「ロシアのウクライナに対する残虐な戦争は国内にも影響を及ぼしている。私たちが買う多くの物がより高価になった。だからこそ、私たちは覚悟を決めなければならない」。 (ショルツ独首相)  

>テレビやラジオ番組で食料品会社、飲料会社の社長などが苦渋の表情を浮かべながら値上げの「お願い」をはじめた。  >値上げをなんで「ご理解」「ご協力」いただかなければならないのだろうか。   

商売人は腰を低くしているとお客の抵抗が少なくてすみますからね。   

> 電気料金、ガス料金、ガソリン代も、公共交通機関の料金も全部値上げの「お願い」が今後も続いていくことだろう。  >ご理解、ご協力してもらわなければならないのだ。  > 我々国民の生活はどんどん苦しくなる一方だ。  >円安は輸出型産業を潤す。   

>輸入型産業は打撃をこうむるが差し引きすれば、現状の円安はトクなんだという理屈が展開されている。   >だが輸出で潤う自動車などの産業は、ほとんどを海外で儲けていて、儲けの多くは日本には還流されず海外にとどまっているから、日本国内が豊かになどならないのだ。  

それは残念なことですね。儲けを日本に還流させる方策は政治家にはないのでしょうかね。   

>そして次に来るのは……   > 実際に大企業の一部でしか給料は上がらない。  >年収が上がらなければ、貯蓄もままならない。  >定年後の老後は危機的な状況に陥る日本人が続出するだろう。 >国は2004年に「年金100年安心プラン」などと言っていた旗印をいつのまにかおろしてしまい、企業に対して65歳定年をさらに延長して70歳、いや75歳まで働いてもらいましょう、などといった「お願い」を口にし始めた。  >年金が払えないからもっと働く「お願い」を始めたのだ。  > そして次なる「お願い」は参議院議員選挙が終了したこれからの「黄金の3年」の間に確実にやってくる増税の「お願い」だ。  >増税の手法はいろいろあるが、実は最も行いやすいのが国民全体から広く薄くいただく間接税、つまり消費税の増税だ。   >岸田首相は首相就任当初は金融所得課税を唱え、自民党内部からも猛烈な批判を浴び、あわてて取り下げた。  >特定の層に負担を求めようとすると、すでに利権社会となっている日本では調整が難しいのだ。  >ならば、広く国民全体に「お願い」するのが吉だ。  >きっと我慢強くてまじめな国民はこの「お願い」に「仕方がない」からとか「ほかに選択肢がない」とか言って従ってくれるだろう。    

そうですね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)     

> 選挙などには全く関心を示さない国民は、国や自治体、公共機関から発せられる「お願い」に実に忠実である。   

そうですね。日本人は昔ながらの義理 (序列関係から生じる私的義務) を果たしているのでしょうね。 日本人は序列人間であり、序列メンタリティを持っていますからね。    

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

>おそらく現状では多くの国民があまり困っていないからなのだ。  >だが、これからの日本を取りまく環境は激変する。  >比較的裕福だった団塊をはじめとする昭和世代が退場していくのにつれて、年金だけでは生活できない国民は増える。収入が伸びない中でのインフレは現役世代の生活を直撃する。 >やがて上がらざるを得ない金利はバカ高いマンションを夫婦ダブルローンで買ってしまった世帯を苦しめる。  >「考えない」日本人の行く末は  >「お願い」をボーっと聞いて、「考える」ことをしないできた日本人は、これからの環境変化の激しさに呆然とすることだろう。  

わが国民の無哲学・能天気へのつけが回ってくるのですね。   

>今の幸せはいつまでも続くとは限らないのだ。    

わが国民のノンポリ・政治音痴に対する天罰のようなものですね。   

> ロンドンで地下鉄を利用すると、こうした「お願い」の類のアナウンスはほとんどない。  >だが駅構内にはわかりやすく注意事項が掲載されているだけでなくこんな警告ポスターが貼ってある。  >「ロンドン市内の地下鉄駅では昨年3000人が事故を起こし、そのうち152人が重大なけがをしました」  > これだけでエスカレーターに乗るときは注意しなければ、と自然に考えることができるのだ。   

なるほど、アングロ・サクソンは利口な民族ですね。      

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。           

>©iStock.com© 文春オンライン ©iStock.com  > なんでも国、お上の指示に従っていればよかった「考えない」日本人。   >コロナだってこれだけの情報が得られたのだから、そろそろ自分で判断してマスクをはずす、はずさないを決めればよいのではないか。   >みんなが同じ行動をいつまでも続けていることに日本の未来はないのだ。    

そうですね。’人のふり見て我が振りなおせ’ の仕来りはもう古いですね。    

>(牧野 知弘)   

 

 

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閲覧数153 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/07/12 13:46
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