2022年09月08日(木) 

 

>2022.09.02XML   >「正解を与えるだけの子育てや教育はカルト宗教と同じです」   >カテゴリ:カテゴリ未分類   

>「正解」が決められている世界では「失敗」は否定されます。   

 

そうですね。失敗は恥になりますね。     

 

>いくら熱心に自分の頭で考え、自分の心と感覚で感じ、自分の意思で決断したことでも、「正解」と異なっていたら、簡単にその努力の全てが否定されてしまうのです。   

 

そうですね。何もかも問答無用ですね。      

 

>その繰り返しの中で子どもたちは無力感を感じ、自分の頭で考え、自分の心と感覚で感じ、自分の意思で決断することをしなくなります。 >そして、「正解」を求め、「正解を与えてくれる人」に依存するようになります。   

 

そうですね。それは他力本願・神頼みの手段を選びますね。   

 

>一度、そういう状態になってしまった人は、「正解」が与えられないとどうしていいのか分からなくなり不安を感じます。  >自分の頭で考えれば分かることでも、「自分の頭で考える」という発想も、またその能力も消えてしまっているので、正解が分からないと途方に暮れてしまうのです。

 

‘お坊ちゃま育ち、お嬢様育ち’ と同じ境遇ですね。   

 

>強い不安も感じます。 >だから正解を与えてくれる人に逆らえなくなってしまうのです。   

 

そうですね。益々他力本願・神頼みとなりますね。      

 

>最近話題になっている某カルト的な宗教もこのようなことをやっています。 >でも同じようなことは学校や家庭の中でも起きています。  >学校も、先生も、お母さん達も、子どもたちの「自分の頭で考え、自分の心と感覚で感じ、自分の意思で決断する能力」を育てようとはせずに、ただ、「自分たちが提示する正解」を覚え、実行することだけを子ども達に求めています。   

 

そうですね。’三つ子の魂百まで’ ですね。      

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)  

 

>学校も、先生も、お母さん達も、「正解を提示できないと沽券(こけん)に関わる」とでも考えているのでしょうか。   

 

そうですね。学校では正解を示すことは権威を示すことですからね。   

 

>だから、子どもから「なんで?」「どうして?」と聞かれたときも、お母さん達は少ない知識を動員して一生懸命に「正解」を教えようとします。   

 

そうですね。   

 

>でも、どうやってその「正解」が導き出されたのかは教えません。   

 

リーズン (理性・理由・適当) は難しいですからね。お母さんたちにリーズナブルな答えは期待できませんね。       

 

>というか、そもそもそんなこと知らないし、興味もありません。  >知っているのは「結果(知識)」だけです。  

 

そうですね。知識は虎の巻にちゃんと書いてある。   

 

>そしてその「正解」は、先生や、政治家や、親や、大人といった、「学んでいる人よりも権力的に上の人」が、自分たちの都合と判断だけで決めています。   

 

そうですね。極めて恣意的ですね。恣意とは、’私意・我儘・身勝手’ のことです。序列社会の害毒ですね。            

 

>そこに客観性はありません。   

 

そうですね。恣意はバラバラの単語により表され、文章になりませんから意味はありませんね。      

 

>赤い紙を見せて先生が「これは黒だ」と言えば、その通りに覚えなければ×になってしまうのです。   

 

‘上意下達’ は序列社会の仕来りですね。上意は上の者の恣意のことですね。恣意決定により動く社会ですね。      

 

>国が「戦争は善だ」と言えば、「戦争は悪だ」という人は非国民扱いされるのです。   

 

国民は人間の序列を作っていますからね。非国民は序列外の人ですね。非国民は序列人間にとって耐えられない寂しさですね。    

 

>「竹槍で飛行機や鉄砲に勝てるわけない」などと、誰が考えても当たり前のことを言っても「非国民」として非難されるのです。 >実際にそういう時代があったのですから。   

 

そうですね。’日本は必ず勝つ’ と偉い人が言えば負けることはないのか。なんだか、子供じみた国民性ですね。      

 

>そして今、学校は「子どもたちにその正解を覚えさせるだけの場」になってしまっています。  

 

そうですね。学校は暗記力の見せ場ですね。   

 

>学校は「子どもが書いた答え」が「先生が持っている正解」と合っているかどうかだけを見て子どもの能力を評価しています。  

 

学校教育の目的は、人間序列の形成にありますからね。   

 

>でもこれは、クイズ番組でやっていることと同じです。

 

そうですね。日本人はクイズのやりすぎですね。しかし、クイズより他にすることが無い。       

 

>でもこのやり方では、子どもの能力(役に立たない能力ですが)の評価は出来ますが、子どもの能力を育てることは出来ないのです。   

 

そうですね。子供は思考を停止していますね。’考える人’ (the thinking man) を育てることにはなりませんね。無哲学・能天気の人間になりますね。            

 

>子どもの能力を育てるために必要なのは「正解を覚えさせること」ではなく、「失敗から学ぶ能力」を育てることなんです。   

 

そうですね。失敗すると考えてしまいますからね。      

 

>また「失敗から学ぶ能力」を育てるためには、当然「失敗が許されるような場」も必要になります。  >そしてそのような場では「自由」が大切にされていなければなりません。 >「自分の頭で考え、自分の心と感覚で感じ、自分の意思で決断する自由」と「失敗をする自由」です。   

 

そうですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>「失敗をする自由」があるから、色々と工夫することが出来るのです、そして、色々と工夫することが出来るから失敗から学ぶことが出来るのです。 >そのような「失敗から学ぶ能力」を身につけた子は無敵です。   

 

そうですね。経験豊かな人材に育ちますね。     

 

>それが失敗なのか成功なのかは大人が決めることではなく子ども自身が決めることなんです。 >子どもが「これでいい」と感じたならそれが正解なんです。   

 

そうですね。有意義な人生経験を積んだことになりますね。      

 

>ただし、子どもがその状態に留まってしまったら、自己満足レベルで子どもの成長は止まってしまいます。  >だから、開かれた世界との出会いや触れ合いが必要になるのです。   

 

井の中の蛙に成らないように気を付けなくてはいけませんね。   

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。     

 

>自分よりももっと素敵な人、凄い人、素晴らしい人との出会いが、子どもの目標をレベルアップしてくれるのです。   

 

そうですね。日本人のみならず色々な人との出会いが必要ですね。   

 

>子どもはそのあこがれる人に近づくために工夫を始めます。 >失敗を繰り返しながら前に進もうとします。 >子どもの成長はその結果に過ぎません。   

 

そうですね。   

 

>ちなみに、カルト的な宗教や思想に洗脳されている人と話す場合は、自分の意見を言わない方がいいです。 >くれぐれも論破しようなどとは考えない方がいいです。 >相手は論破が不可能な論理で理論武装していますから。  >また、「こう言われたらこう切り返す」というノウハウもいっぱい学んでいます。  

 

それは折伏の為の理論ですね。   

 

>だから、そういう人と話す場合は自分の意見を言わずに、逆に相手に意見を求めるようにした方がいいです。  >ただし、聞くのは相手を否定するようなことではなく、相手の言葉に沿った質問がいいです。  >子どものように素直に感じた疑問を「なんで?」「どうして?」と聞き続けるのです。 >すると、洗脳されてしまっている人は自分の頭で考えることが出来ないので簡単に言葉に詰まってしまうのです。  

 

暗記力万能人間の挫折ですね。   

 

>私は昔からそういう人と話すのが嫌いではなかったので、話しかけられたらよくそういう会話をしたのです。   

 

それは凄い能力ですね。    

 

>すると、「私にはよく分からないので、今度はもっと偉い人を連れてきます」とか「勉強会に来て下さい」などと言い出します。 >そんな時は、「いや、私はあなたの宗教のことを学びたいのではなく、あなたの考えを聞きたいのです」と答えます。   

 

‘あなたの宗教’ は受け売りの内容になりますね。’あなたの考え’ は自分の思考を停止していますので内容がありませんね。   

 

>そして、「自分の言葉で説明出来ないと言うことは信仰が身についていないと言うことですよね」と言うと次からは来なくなります。   

 

それはうまい撃退法ですね。空念仏を唱える人を撃退する方法ですね。     

 

>皆さんも子どもの質問に簡単に言葉が詰まってしまいませんか。 >それでも質問を繰り返されると「いい加減にしなさい!」などと怒り出したりしませんか。  >それが学校によって洗脳されている証拠なんです。   

 

そうですね。日本人は思考停止をしていますから、発言する内容は洗脳により得られた受け売りの内容ということになりますね。       

 

 

 

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閲覧数120 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/09/08 23:27
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