2022年10月31日(月) 

 

>特攻機「桜花」を試作 元台湾少年工「何のために戦ったのか」   > 毎日新聞 2022/10/31 18:01  

 (略)  

> 第二次世界大戦中に県内の軍需工場で働いた「台湾少年工」の一員だった東俊賢(とうしゅんけん)さん(92)が29日、神奈川県横須賀市の記念艦「三笠」の講堂で講演した。   

>東さんは同市にあった海軍航空技術廠(空技廠)で特攻機「桜花」の試作などに関わった体験を日本語で回想し、「何のために戦ったのか分からない。   

>戦争に本当に嫌な思いがした」と語った。   

 

日本の文化には、形式があって内容が無い。日本人は思考を停止しているから無理からぬことである。だから、いやが上にも形式に拘ることになる。理由を言って聞かせて改革運動に参加させることが難しい。  

形式は現実の中にあって見ることができる。内容は非現実 (考え) の中にあって、見ることができない。だから、聞く人の理解を待たなくてはならない。理解が日本人には難しい。 

 

> 日本は労働力不足を補うため、植民地としていた台湾で12~20歳の少年を募集した。   

>1943~45年に約8400人が海を渡り、座間市と海老名市にまたがる高座海軍工廠などで働いた。   

>講演会は、元少年工と交流を続けている「日台高座友の会」が主催し、約150人が集まった。   

> 桜花は機首に爆弾を搭載し、敵艦船の近くまで母機につり下げて運び、火薬ロケットの推進力で体当たりする特攻兵器。   

>東さんは溶接工として試作に携わり、工場を訪れた特攻隊員を目にすることもあった。   

>生産は急ピッチで進められて残業に次ぐ残業の日々だったが、「日本の国土を守りたいという大きな気持ちで、お国のために頑張った」と振り返った。   

 

今でも日本人は ‘頑張って’ を多用していますね。    

 

>あえなく敗戦を迎えると、「結局、神風は吹かなかった」と感じたという。

 

‘日本は必ず勝つ’ と大人たちは言っていましたがね。   

賢い人は「純粋によく観察する」が、そうでない人は「自分の期待したもの」しか見ようとしない。

 

> 東さんは台湾に帰った後、小学校の教員などを経て、電子部品会社を創業し、従業員計600人が働く規模に成長させた。   

>今後の日台関係について「お互いによく助け合っていくことが非常に大事だ。  

 

そうですね。韓国と台湾ではわが国に対する態度が対照的に違いますね。我々は台湾に感謝すべきですね。       

 

>戦中に受けた私の思いをみなさんの心の糧として、日台の良き絆になってほしいと願ってやみません」と述べ、講演を結んだ。   

 

本当にそうですね。    

 

> 会場には、空技廠で桜花を設計した三木忠直(1909~2005年)の次女の棚沢直子さん(79)も駆け付けた。   

>東さんは生前の三木と面会を重ねていた。   

>戦後の三木は東海道新幹線や小田急電鉄の特急ロマンスカーなどの車両開発を手掛けており、講演会で発言に立った棚沢さんは亡き父の歩みについて「平和に貢献しようと(鉄道車両を)作った」と説明した。   

>【木村健二】   

 

 

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閲覧数273 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/10/31 23:30
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