2022年11月29日(火) 

 

>ダイヤモンド・オンライン   >日本の大学教授の脳は「前頭葉が弱い」と言い切れる残念すぎる理由   >和田秀樹 の意見 - 5 時間前   

>大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。   

>一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。   

>研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。   

>※本稿は、和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書)の一部を抜粋・編集したものです

>偉くなってしまえば論文を書かなくてよくなるという問題   

> 大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。   

> 一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。   

>どのような職種であれ、ビジネスパーソンは成果を求められます。   

>しかし大学教授は、偉くなりさえすれば成果など必要なくなります。   

> 論文の本数も、自分の研究室のメンバーが書いたものに名を連ねるだけでなんとかなります。   

>まったく書かない教授も珍しくありません。   

>論文の本数が少なかろうとクビの心配はないのですから、定年まで楽に過ごせます。   

> ちなみに、理化学研究所などの研究者は、発表した論文の本数が評価の対象になります。   

>評価が低ければ、職を失うことにもなります。   

>研究者にとってはハードですが、大学のようなぬるま湯とは大違いです。   

> なぜ大学では、こうした決まりが設けられていないのでしょうか。   

>それは、ぬるま湯でいてほしい人たちがいるからです。   

>ぬるま湯を望む人は、大学の外側にも   

> 教授たちだけではありません。   

>ぬるま湯を望む人は、大学の外側にも存在します。   

>文科省や厚労省などの官僚たちです。   

> 彼らは在任中や退官後に大学教授として再就職することをあてにしています。   

>つまり、天下りです。   

 

我が国では博士号を持たない人も学者仲間に紛れ込んでいるのではないでしょうかね。学者でなければ学術界には入れませんね。      

 

>官僚の天下りは国家公務員法で禁止されていますが、今も数々の抜け道があり、とりわけ大学は大きな受け皿となっています。   

>「公募に応じて」という体裁をとりながら、実は前職の力にものを言わせて、論文を一本も書かずに教授に収まるわけです。   

> そんな彼らにとって、天下り先がハードな環境になるのはもっとも避けたいところ。   

>将来の自分の首を絞めるような決まり事をつくるはずがないのです。   

> この思惑がある限り、大学のぬるま湯環境は変わらないでしょう。   

>逆に言えば、大学への天下り規制が強化されれば、日本の研究環境も少しは向上するかもしれません。   

>研究者のやる気をなくす大学のシステム   

> もう一つ、研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。   

> 日本の大学教授は、成果を出そうと出すまいと、大学から一定額の給与が支払われます。   

> 他方、アメリカの大学教授の場合は、自力で稼いでくるシステムです。   

>大学からもらう給与もありますが、日本に比べるときわめて低額です。   

>ですから彼らは行政や企業に掛け合って、「グラント(研究費)」を集めます。   

> 受け取ったグラントをどう使うかは教授の自由です。   

 

自分のグラントは教授であろうとなかろうと自由に使ったらよいですね。  

 

>10のうち8を研究資金にして2割を報酬にしてもいいし、7:3でも6:4でも、好きに決められます。   

> グラントが集められるかどうかは、教授およびその研究室が結果を出しているか、もしくは有望であるかによって決まります。   

>成果や実績、研究内容の持つ意義やポテンシャルなどを認めてもらえない限り資金は得られず、研究も続けられないし、生活も成り立ちません。   

>研究者は自分の業績をもとに営業活動をし、研究室を運営していく「経営者」とも言えます。   

>研究室にいい人材を集めるための努力も欠かせません。   

> 対して、給与をもらっている日本の大学教授は「従業員」の立場ですが、業績にかかわらず給与が出るので、一般のビジネスパーソンよりも楽です。   

>やる気のない人ほど嬉しい環境とも言えます。   

> 逆に言えば、やる気のある人にとっては、恵まれた環境ではありません。   

>と言うのも、研究の成果が報酬に直結しづらいシステムだからです。   

>アメリカと違い、研究費は研究以外のことには使えません。   

>研究の成果が出ても、それが商品化されてお金になるまで、報酬にはなりません。   

>研究のほとんどは、お金を生み出すに至らなかったり、至ったとしても途方もない時間がかかりますから、やりがいにはいま一つ結びつきません。   

> もちろん、モチベーションの源はお金だけではありません。   

>報酬など気にせず、意義ある研究や発見のために邁進(まいしん)するのも一つの姿勢です。   

>ところが日本の学界は、研究の価値を正当に評価する意識も希薄なのです。   

 

日本人には現実 (事実) の価値判断はできるが、非現実 (考え) の価値判断は難しい。   

論文は非現実 (考え) の内容を示すためのものである。だから、日本人にはその評価の意義は薄いです。      

 

>iPS細胞のような「特大ホームラン」でもない限り、さほど注目されることもありません。   

>そうしたなかで、もともとやる気のある研究者でも、徐々にやる気を失っていくのです。   

 

日本人は序列人間で、序列社会を作り上げている。その人間序列は没個性の比較で成り立ち、個性的な学術の成果とは無縁ですね。      

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。     

 

 

 

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閲覧数285 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/11/29 13:57
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