>東洋経済オンライン >三菱の国産ジェット機が撤退に追い込まれた必然 政府も含めたビジネス感覚、当事者意識の欠如 >清谷 信一 - 2 時間前 >三菱重工業がかつて「MRJ」(三菱リージョナルジェット)と呼ばれていた国産初の小型ジェット旅客機「スペースジェット」からの撤退を表明した。 >2008年に事業化を決めてから何度も納入を延期。 >コロナ禍に入って開発が事実上、止まっていたが事業化のメドが立たなくなった。 >この原因を多くのメディアが「型式証明の取得に手間取った」などと説明しているが、それは川下の話でしかない。 >日本の主力産業といえば自動車だ。 >完成車メーカーのみならず、さまざまな部材がかかわる裾野の広い一大産業であり、雇用面などで日本を支えている。 >一方、新興国メーカーの台頭や部品点数が少ない、あるいは従来の自動車とは異なる部分も少なくないEV(電気自動車)の普及などによって、日本の自動車産業がネガティブな影響を受けてしまう恐れがある。 >航空産業は自動車産業よりも、さらに精度や信頼性が高い部材が必要となり、途上国からの追い上げは自動車産業よりもきつくないと考えられる。
航空機産業はわが国に有利な産業のように見えますね。
>わが国の工業が世界の市場で戦って外貨を稼ぐためには航空産業拡充が必要になる――。 >三菱重工が旧MRJの開発を決意し、それを国や経産省が後押ししたのにはそうした背景もあっただろう。 >航空産業をビジネスとして認識していたか >筆者はパリやファンボローといった航空ショーの現場も含めて関係者に少なからず、取材していたが、撤退に至った本当の原因は型式証明取得自体ではなく、三菱重工と日本政府に当事者意識と能力が欠けていたことだと指摘したい。
それは大いにありうることですね。自己の意思を表明する人は当事者・関係者になる。表明しない人は傍観者にとどまる。 日本人には意思がない。意思のない人には当事者意識もない。 ‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
>両者とも航空産業はビジネスであるという認識が欠けており、テクノナショナリズムに陥り、国家戦略としての航空産業のあり方を考えてはいなかった。 >2007年6月に開催されたパリ航空ショーにおいて、三菱重工がスポンサーとなってMRJプロモーションのためのレセプションが日本大使公邸を借りて行われた。 >この時、参加者約280名の内日本の業界関係者が約250名、フランス人が約30名、その他20名ほどがスウェーデン人など他の外国人だったと筆者は情報を得た。 >パリ航空ショーは英国のファンボロー航空ショーと並び、世界中の航空業界関係者が集まる航空業界最大のイベントである。 >レセプションを開くのであれば、国内の業界関係者よりも潜在的顧客である各国のエアライン、プロジェクトに投資をしてくれそうな投資会社や銀行、リース会社(旅客機はリースで運用されることが多い)、メディア、特に航空専門誌などの関係者を優先的に招待するのがビジネス上の有益な判断ではないかと思う。
レセプションの主催者は内向き姿勢だったのですね。
>海外への情報発信として千載一遇のチャンスなのに、海外関係者の招待が少なく、主に日本の業界関係者で飲み食いしているようではやる気を疑われても仕方あるまい。 >在仏日本大使館によると外国人の参加者を絞ったのは、「大使公邸のキャパシティの問題」であるとのことだったが、ならば最初からホテルの宴会場を借りればいいだけの話である。 >大使公邸を借り切るメリットはない。 >単に三菱重工と政府のパイプを誇示したかっただけではないかと思ってしまった。
日本人の内向き姿勢に変わりはないですね。
>三菱重工は「戦闘機を開発生産できるわが社の実力をもってすれば、リージョナルジェットなど簡単に開発できる」と思っていたかもしれない。 >ただ、防衛産業は防衛省が主たる顧客であり、事実上国営企業と同じで、その他はボーイングなど外国メーカーの下請けで言われた通りにコンポーネントを作ることが主体となる。
部品作りメーカーと末端の消費者の希望を叶えるメーカーでは到達目標が違いますね。
>つまり顧客が本当に何を必要としているか、また顧客からの厳しい性能や品質、コスト削減の要求は相対的にシビアでなかったのだろう。
‘驕る平家は久しからず’ ですね。
>そもそも防衛省では一般に他国の軍隊ではやっている、何機をいつまでに生産して、その総額はいくらかという調達計画を策定してメーカーと契約を結ばない。 >これで一般的な事業計画は立たない。 >自らどのような飛行機が市場で売れ、そのために何が必要で、自社には何が必要かということを真剣に考えず、「事業」がビジネスであるという意識が希薄だったように見えて仕方ない。
必要に対して答えられないメーカーの努力は空しいですね。
(略)
過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。それには未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。しかし、それには無為無策でその日暮らしをしている日本人には望み無しである。 日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 ものを言ってもそれが行動には繋がらない。だから、結果的に ‘うそぶく’ 人ということになる。これが、相手に不信の念をいだかせる。考えがあり、その実現に強い意思を示すという手順がわが国には存在しない。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) どうやら 我々は '指示待ち人間' として育成されていたようです。このやりかたに習熟すると、他人の受け売りと後追いの専門家になりますね。我が道を行く人にはなりませんね。未来を先取りしないから他人を唱道する人にはなれません。
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