>AERA dot. >みんな等しく貧しくなる日本「高齢者世代いなくなる時が本当の危機」 >昨日 6:30 >“既得権者”“社会のお荷物”──。 >シニア世代へのバッシングが止まらない。 >中央大学の山田昌弘教授は「高齢者世代がいなくなる時が本当の危機」だと警告する。 >* * * > 少子高齢化が進む日本で、若い世代の社会保障負担が重くなっているのは事実です。 >ただ、それが極端な世代間対立につながっているわけではありません。 >若い人は「損をしている」とは思っていても、格差是正を求める大きな運動にはなっていません。 >日本で問題なのは、世代内の格差がそのまま次世代に引き継がれていることです。 >貧しい親の子どもは貧しいまま。
立身出世は考えられませんね。
>日本はパラサイト(寄生)社会ですから、経済的に豊かな親の恩恵を受けている子どもも多い。 > 東京都立大教授の宮台真司さんが、大学内で男に切りつけられる事件がありました。 >容疑者とみられる無職の男は死亡しましたが、親が年金保険料を払っていたそうです。 >成人した子どもの生活費だけでなく保険料まで親が面倒を見ることは、欧米では考えられないことです。
そうですね。成人した子供は一人前の大人ですね。
> ただ、これは日本の文化なので、そう簡単には変わりません。
日本人は序列人間で、日本の国は序列社会ですね。序列による協力は変わりそうにありませんね。
>だから制度を変える必要があるのですが、日本人は制度が変わるのが嫌なんです。
日本人には世界観が無い。だから過去の世界も未来の世界も想定外になっている。 日本には何でもある。だが、夢と希望だけが無い。
> なぜ、変わるのが嫌なんでしょうか。 >それは「今の生活を変えたくないから」。 >たとえば、格差是正のために、高等教育の無償化を目指したとします。 >そこには財源が必要で、どこかで痛みが出ます。 >でも、その痛みは自分に降りかかってくるかもしれない。 >だから制度を変えたくない。
日本人は生活・習慣を変えたくないですね。日本語の文法には時制がない。だから、来るべき未来社会の内容は想定外になっている。政治音痴は直らない。
> 官僚は優秀なので、消費税の税率を上げるのが大変なことはわかっています。 >代わりに、社会保険料を少しずつ上げていく。 >気がついたら、昔は年に2回行けていた旅行が1回になる。 >そうやって、みんなでだんだん貧しくなっているのが今の日本です。 > それでも、みんな等しく貧しくなっていくのなら、日本人は気にしないのではないでしょうか。
そうですね。貧しいのは皆様並みですからね。日本人は皆 ‘茹で蛙’ になっている。
>外圧や戦争といったことが起きない限り、この国は変わらないのでしょう。
そうですね。日本人には意思がない。自己の意思を表せば当事者・関係者になる。示さなければ傍観者にとどまる。日本人は常に傍観者であって、孤高の人である。社会建設に協力することができない。
> では、子どもを援助している今の高齢者世代がいなくなるとどうなるのでしょうか。 >おそらく、その時に日本の本当の危機が訪れます。
日本人は義理と人情の世界に生きていますからね。義理が廃ればこの世は闇だ。義理とは序列関係により生じる個人的な義務の事ですね。社会的な協力の発想が無い。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
>※週刊朝日 2023年3月31日号
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