>被爆の永井隆博士「長崎の鐘」の未発表序文見つかる…怒りを込め、戦争は「意味のない打壊し」 >読売新聞 によるストーリー • 昨日 15:00 > 長崎で被爆した医師、永井隆博士(1908~51年)が被爆の実相を描き、ベストセラーになった著書「長崎の鐘」の未発表原稿が発見された。 >「自序」と書かれた序文で、余白には、最初の題名だった「原子時代の開幕」や自身の名の筆跡も確認できる。 >戦争について「意味のない打壊(ぶっこわ)し」と記すなど、激しい怒りが読み取れ、関係者は「平和思想の原点がうかがえる」としている。(坂口祐治) > 自序は200字詰めの原稿用紙6枚に万年筆で手書きされている。 >永井隆全集(計3巻)の刊行を続ける出版社「サンパウロ」(東京都新宿区)の編集員、水野宏美さん(51)が3年前、同社が永井の資料を画像データ化したものの中から見つけた。 > 永井は爆心地から約700メートルの旧長崎医科大付属医院で放射線医師として勤務中に被爆。 >瀕死(ひんし)の重傷を負いながら、被災者の治療にあたった。 >戦後は白血病に侵されながら、多くの作品を病床で執筆した。 > 代表作の「長崎の鐘」を巡っては、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲を受け、日本軍が戦時中にフィリピン・マニラで住民に対して行ったとされる大量虐殺の証言記録「マニラの悲劇」との合本を条件に出版が許可された。 > 未発表原稿の日付は出版の約半年前の1948年6月4日。 >題名が「長崎の鐘」に変わる前に書かれたが、その後、題名が変更され、書き直したとみられる。 > 原稿には率直な思いが記されており、1枚目の1行目には「戦争を起(こ)さないで下さい!」とあった。
他力本願・神頼みですね。
> 2枚目には「世界歴史において戦争記録のピリオドをこの長崎の一撃にしなければなりません」と記述しており、長崎が世界に発信し続けている「長崎を最後の被爆地に」のメッセージに通じる言葉を記していた。
そうなって欲しいですね。
> 著書で永井は「原子力は両刃の剣」と表現していた。 >未発表原稿でも「戦争を防ぎ、原子力を平和的に利用して頂きたい一念から」と執筆動機を記しており、警鐘を鳴らす意味も込めて「原子時代の開幕」と名付けたと説明していた。
平和利用のメルトダウンもありますから、原子力は無い方が良いですね。
> 一方、49年1月に実際に出版された「長崎の鐘」の自序の冒頭は、戦争反対への思いを率直に書いた未発表原稿に対し、「原子爆弾について知りたいとだれも思っています」と対照的に冷静な書きぶりとなっていた。 >文章量も倍以上に膨らんでいるが、半分以上は出版までのいきさつや、「マニラの悲劇」との合本への感謝などが占めていた。 > 水野さんは「未発表の自序を読んだ時、率直な感情が記されていることに衝撃を受けた。 >『長崎を最後の被爆地に』という願いにあふれており、永井の平和思想の原点だ」と話した。
プーチン大統領は次の被爆地を作ろうとしていますね。 ‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相) ソ連崩壊によりウクライナは核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに核を示して恫喝した。 これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消え去った。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すもの。1967年 (S42) 12月 佐藤栄作。 日本人のお花畑はもうない。 ‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’ (マシュー・ポッティンジャー)
> 永井の孫で、長崎市永井隆記念館の永井徳三郎館長(57)は「祖父の筆跡に間違いない。 >核兵器使用の脅威が増す今こそ、被爆直後に訴えた原爆の悲惨さ、戦争の無意味さを知ってほしい」と訴えた。
核保有国は相手国に悲惨さを示すことにより交渉に譲歩をせまるつもりでいる。原爆の悲惨さは核保有国にとって必ずしも自国に不利な条件とは言えない。 「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領)
> 未発表原稿は、永井の手紙や初公開の写真などとともに「永井隆全集第四巻」に掲載され、年内に刊行する予定。 >問い合わせは、サンパウロ(03・3357・6498)へ。 > ◆「長崎の鐘」=永井博士が被爆時の惨状や救護活動、原爆の仕組みや威力などをまとめた記録。 >浦上天主堂の廃虚から掘り出した鐘が、平和を祈って鳴り響く場面が最後に描写されている。 >永井自身が著作の中で「主著」と呼ぶ作品で、ベストセラーになった。 >同著をモチーフにして、作曲家の古関裕而らが手がけた「長崎の鐘」もヒットした。 >英語やロシア語、中国語、フランス語などにも翻訳され、世界中で読まれている。
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