2023年07月11日(火) 

 

>現代ビジネス   >明治時代、日本に来た外国人たちが「驚愕」した「日本の文化」の凄さ 日本文化の核心   >松岡 正剛 の意見 • 15 時間前   

>日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。   

 

そうですね。ロウコンテキストの文化に日本人は馴染めせんからね。英米流の高等教育を受けると日本人は失敗します。      

 

>「わび・さび」「数寄」「まねび」……、この国の「深い魅力」を解読する!   

 

日本の文化は馴れ合いの文化ですね。    

 

>*本記事は松岡 正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。   

>発見された日本美   

>こんなふうに、明治の「学び」は欧米主義一辺倒だったのですが、一方、意外なこともおこりました。   

>ハーンやフェノロサやコンドルのように、日本の実情を取材にきた作家、日本に欧米の美術や建築を教えにきたお雇い外国人が、初めて見る日本の文化に驚きの目を見張ったのです。   

>そして、この目を見張るほどの文化を欧米のロジックやテクノロジーが壊してしまうのではないかと心配した。    

 

そうですね。日本人の遅れていたものはロジックやテクノロジーですからね。   

 

>ラフカディオ・ハーンは松江で日本人の小泉節子と結婚し、日清戦争と日露戦争のあいだの明治二九年(一八九六)に日本国籍をとり、小泉八雲として日本のしきたりや昔話を英文にするためペンをとりました。   

>『日本の面影』『心』『怪談』は傑作です。   

>アーネスト・フェノロサはハーバート・スペンサーの社会進化論をひっさげて来日した俊英の学者でしたが、日本の仏像や日本絵画を見てびっくりし、岡倉天心とともに日本人が誇るべきはそういう日本独特のアートだと考えました。   

>天心は『茶の本』『日本の目覚め』『東洋の覚醒』などを書き、欧米のリクツでは日本文化の精髄は説明できないと強調した。   

 

そうですね。日本文化は理屈では説明できませんね。考えの無い人間には理屈もない。日本人は無哲学・能天気である。日本の文化には形式があって内容が無い。           

 

>丸の内に煉瓦街を出現させた建築家のジョサイア・コンドルは、片山東熊(赤坂離宮・東京国立博物館表慶館など)や辰野金吾(日本銀行・東京駅・奈良ホテルなど)らを育て、かれらに洋風建築の精髄を教えるわけですが、自身は日本の絵画や三味線音楽に痺れ(端唄や小唄!)、河鍋暁斎に日本画を学んだり、都々逸の本を英語で出版したりしたのです。   

>ハーンやフェノロサやコンドルが見いだした日本の美は生活の中に生きていたり、徒弟的に師から弟子に伝えられたりしてきた技法やセンスにもとづくもので、教育的に継承されてきたものではありません。   

 

日本の文化には理屈が無いので学校では鍛えられませんね。徒弟的は馴れ合いスタイル (ハイコンテキスト) ですね。      

 

>「生」と「技」と「美」がつながっていたのです。   

>かれらはそこに感動したのです。    

>それまで外国にあまり知られていなかった浮世絵が注目され、大量に海外流出してジャポニズムとして話題になっていったのもこの時期です。   

>浮世絵も日本人には美術価値よりも江戸社会の風景や風俗を写したものとみられていたにすぎなかったのが、外国人にはたいそう特異な表現力の賜物として評価されたのでした。   

>しかしながら政府が学校の先生や生徒にもたらそうとしたものは、日本人がたいせつにしてきた「生と技と美」のつながりを解釈できる能力の提供ではなかったのです。   

 

そうですね。日本人には理屈・議論がどうしても必要ですね。      

 

>少なくとも「学制」としてはそういうことをほとんど重視しなかった。   

>かわりに明治近代の学制が強調したのは何だったのか。   

>「教育勅語」でした。   

>これからの日本人が大日本帝国の国民(臣民)として守るべき歴史観と道徳観を公式見解にしたような勅語です。   

 

それは残念なことですね。      

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

 

 

 

 

 


閲覧数83 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/07/11 22:42
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