2023年07月09日(日) 

 

>ZUU Online  >Z世代に内面化される「『そうあるべき論』の消滅」   >昨日 6:00  

>本記事は、廣瀨涼氏の著書『あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか』(金融財政事情研究会)の中から一部を抜粋・編集しています。   

>VUCA時代と「そうあるべき論」の消滅   

>特に昭和後期や平成前期においては高度経済成長やバブルの名残もあり、「よい大学に入って、よい企業に就職する」「結婚して盛大に披露宴を開く」「戸建てを持つ」といった、画一化された幸福が存在していた。   

>親が敷いたレールを走ること、型にはまった生活ができていること自体が幸せと捉えられていたのかもしれない。   

 

そうですね。日本人には意思が無い。指示待ち人間になっている。型にはまった生活が万人に期待されていましたね。    

日本人の文化には形式があって内容が無い。無哲学・能天気の輩であるから考えというものがない。      

 

>しかし、Z世代はバブル時代の羽振りのよさを知らない。   

>大手企業も中小企業も若いうちの給与に大きな差はなく、入社するメリットを見出しにくくなっている。   

>そして、かつての「企業戦士」「モーレツ社員」のように、仕事や企業ブランドに誇りを持って身を粉にして働くことを美徳とする時代ではない。   

 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。   

 

>好景気のときは羽振りがいい上司をみて、「自分もこの人のようになりたい」「このまま仕事を続けていれば、この人ぐらい稼げるようになるだろう」といったように、目の前にニンジンがぶら下げられ、それが働くモチベーションとなっていた。   

>しかし、日本経済が低迷し、定年延長や年金支給年齢の後ろ倒し等、社会環境が変化するなかで、そのモチベーションは揺さぶられたといえる。   

>企業が個人を守ってくれるという意識が薄れ、終身雇用制度を前提にして同じ仕事を継続する、1つの企業に縛られるという状態に疑問を持つ人もいる。   

 

そうですね。それは社畜の想いですね。   

 

>今後、企業という枠組みにこだわらない働き方は増加していくと考えられる。   

>結婚においても、個人がより尊重されるようになり、結婚がすべてではないという考え方も広く浸透してきているし、持ち家に関しても資産価値としての考え方が変化している。    

>かつて、成功や達成のイメージが描けていた時代は、なりたい姿(あるべき姿)を描いてそこから逆算する「バックキャスティング思考」によって歩みを進めることができたが、昨今のVUCA(ブーカ)といわれる変化のスピードが速く先行きが不透明な時代はあるべき姿を描きにくい。   

 

考えは人人により違いますからね。   

 

>VUCAとは、V(Volatility:変動性)、U(Uncertainty:不確実性)、C(Complexity:複雑性)、A(Ambiguity:曖昧性)を意味する。   

>グローバルの流れに目を向けても、様々な国の政治の先行きが不透明であり、今までやってきたことやスタンダードだと思われてきたことが、ここにきて崩れていっている。  

 

‘神は死んだ’ ということでしょうか。    

 

>さらに、新型コロナウイルス感染症の流行、地球温暖化に伴う気候変動や異常気象、台風や地震といった災害など、予測困難な事象が次々と起こっている。   

>従来の日本企業では当たり前だった年功序列の枠組みも変わりつつあり、人材の流動性も高まっている。   

 

日本人には世界観がない。だから未来の内容は常に想定外になっている。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>このように、未来を見通すにはあまりにも先行きが不透明で、将来の予測が困難であるため、画一化した〝なるべき姿〟が消滅していき、「それぞれが幸せならばよい」「それぞれの価値が尊重されればよい」といった〝多様性〟が強く尊重されているともいえるだろう。   

 

そうですね。個人主義の時代ですね。我々の人生は多様であるべきですね。       

 

>普遍的な価値観を押しつけること自体が、モラルハラスメントと捉えられるといえるのかもしれない(そうあるべき論の消滅)。   

>廣瀨涼(ひろせ りょう)   

>株式会社ニッセイ基礎研究所 生活研究部 研究員。    

>専門は現代消費文化論。   

>オタクの消費を主な研究テーマとし、10年以上彼らの消費欲求の源泉を研究している。   

>昨今では自身の経歴を活かし若者(Z世代)の消費文化について研究を行い、講演や各種メディアで発表している。    

>NHK『NEWSおはよう日本』、テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』、TBS『マツコの知らない世界』などで若者のオタク文化について制作協力。   

 

 

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閲覧数86 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/07/09 16:10
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