2023年09月12日(火) 

 

>東洋経済オンライン   >海外記者がジャニーズ会見に見た日本の「大問題」 日本が陥っている状況が問題を大きくさせた   >レジス・アルノー の意見   >•5 時間   

>9月7日に開かれたジャニーズ事務所の劇的な会見は、私が日本で経験したジャーナリスト人生の中で最も奇妙な体験の1つだった。   

>ジャニーズ事務所は、これ以上ないほど積極的に報道陣を迎え入れた。   

>日本人、外国人、主要メディア、フリーランスのジャーナリストなど、誰でも参加できた。   

>しかも、会見は14時から4時間以上続いた。   

>何十台ものカメラやビデオカメラが彼らを見守った。   

>どんな質問もタブーではなかった。   

>報道陣が望めば、何日でも続いただろう。   

>「家族会議」のような奇妙な会見   

>しかし、長引けば長引くほど、私たちが知ることは少なくなっていった。   

>すべての瞬間が妙に空虚だった。   

>まるで家族会議が開かれ、そこにいる人が皆で一緒に癒やされようとしているようにさえ感じられた。   

 

そうですね。日本人は皆が一緒に癒されたいですね。罪のある事とは知らなかった。大体日本人には罪に縁がない。農耕民族の日本人にとって性は娯楽の一部ですね。

性は牧畜民族にとっては唯一無二の生産手段ですね。性の間違った取り扱いなど許されるものではありません。コメの無駄遣いをする日本人のようなものです。日本人はそのような行為をする人間は許せません。             

 

>ジャニー喜多川の何十年にも及ぶ少年への性的加害が認められたにもかかわらず、会場全体がジャニーズ事務所の存続を望んでいるような雰囲気さえあった。   

 

ジャニー喜多川の人権無視の遊びですね。それは日本人にとって大した問題ではない。      

 

>おそらく会見会場にいる誰もが、自ら調査をしなかったことを恥ずかしく思っていただろう。   

 

日本人は面倒なことになったと思っているでしょうね。   

 

>ジャニーズ事務所はそのトップであったジャニー喜多川が、何百人もの少年に性的加害をしながらジャーナリストからファンまでをその巨大な軌道に取り込み、劣化させ、見て見ぬ振りをさせることに見事に成功してきた。   

 

偉大なトップの些細な趣味と見えたのでしょうね。    

 

>会見では、ジャニー喜多川は、その旧態依然とした振る舞いが長い時を経てようやく露呈した、孤独で卑劣な「おじいちゃん」として描かれたが、はたしてそうだろうか?   

>会見直前、私は日刊ゲンダイデジタルに掲載された記事に目を引かれた。   

>そこには、2005年に発売された元ジャニーズJr.の山崎正人氏が、木山将吾のペンネームで書いた『Smapへーそして、すべてのジャニーズタレントへ』が紹介され、ジャニーズの東山紀之新社長が後輩たちにしていた振る舞いが書かれていた。   

>「彼はマージャンだけではなく、人のパンツを脱がすことが大好きだった。   

>僕も何度もヒガシに背後からパンツを引きずり下ろされ、イタズラされたことがある。   

>そして、パンツを脱いだままよろける姿でいる僕に、ヒガシは『こっちへ来い!』と命令しながら、無理やりに僕の手を引いて、マージャン卓のある部屋まで引き摺っていくのだ」   

>記事によると、連れていかれた先ではジャニー喜多川が待っており、時折、性器を触られることもあったという。  

 

新社長の東山紀之はジャニー喜多川の共犯者ですね。   

 

>もし木山の主張が事実でないなら、東山は木山を名誉毀損で訴えるべきだ。   

>記者会見で筆者を含めて複数の記者がこの点について尋ねると、東山の答えはどんどんと変わっていった。   

>筆者が最初に尋ねたときは「中身は読んでいないが、事実ではないと思う」としていたが、別の記者が同様の質問をすると、「したかもしれないし、していないかもしれない。   

>よく思い出せない」という趣旨の発言をした。   

>だが、こんなシーンを忘れることができるだろうか。  

 

東山はジャニー喜多川の為に一生懸命励んだに違いありませんね。    

 

>私は彼自身に個人的な不満はないが、ジャニー喜多川の「お気に入りの息子」である彼にジャニーズ事務所の更生を担当させるのは、バーテンダーにアルコール依存症対策プログラムを担当させるようなものだ。  

 

そうですね。猫に鰹節ですね。   

 

>東山はジャニーズ事務所の再生にもっとも不向きな人物である。   

>彼に任せることは、性的加害、そしてその隠蔽を可能にした「喜多川システム」の共犯者たちに庇護を与えることになりかねない。   

 

そうですね。反省の機会を与えることにはなりませんね。    

 

>日本の刑法では、酒気帯び運転をした場合、助手席の同乗者にも運転させた責任がある。   

>バーテンダーには酒を提供した責任がある。   

>同じ理屈が、ジャニー喜多川の捕食行為を何十年も野放しにしてきた東山や藤島ジュリー景子前社長、その他の側近メンバーにも当てはまらないだろうか?  

 

そうですね。ジャニー喜多川の捕食行為の環境づくりに寄与した人たちには責任がありますね。だが、彼らの責任感が弱いところに問題が在りますね。かれらの社会も農耕民族ですからね。   

 

>真実は、ジャニー喜多川1人で罪を犯すことはできなかった、ということだ。   

>彼が捕食することを可能にしていた環境があり、彼の悪癖を“助ける”者たちがいた可能性もある。   

 

そうですね。ほとんど全員が陰になり日向になって彼に協力したのでしょうね。      

 

>ジャニーズのタレントたちにも責任の一端はないのだろうか。   

>彼らが有名であるほど、大人であるほどその責任は重い。   

 

そうですね。しかし、日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。だから責任の重さは感じられないでしょう。      

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)   

 

>多くは「知らなかった」というが、正確には「知らないふりをしてきた」というべきだろう。   

>東山は、その最たる例なのではないか。   

 

そうですね。彼は目をつむった最重要人物ですね。       

 

>そして、彼らが見て見ぬ振りをし、真実から目を背け続けたことで、真実を知る機会を奪われた多くの少年たちが、彼らのようなスターになることを夢見てジャニーズに集まってきたのだ。   

>外圧がなければ放置されたままだった   

>秘密によって集団が引き裂かれる物語では、しばしば部外者がその秘密を暴露する。   

>今回はBBCのジャーナリストだ。   

 

そうですね。文化の違いが重要性の違いをあらわにしましたね。      

 

>モンスターになる前のジャニー喜多川は、たんに心に問題を抱えた人間だったのかもしれない。   

>みんなで大家さん   

>彼のそうした問題が早い段階で見抜かれ、有罪判決や治療によって、キャリアの早い段階から正しい方向に戻っていたなら、その素晴らしい才能を善のためだけの力として発揮できたかもしれない。  

 

タラレバの話しは長くなりますね。   

 

>だが結局、彼は何十年も自分の好きに振る舞うことが許されていた。   

 

人々は彼の営業成績の方に目を奪われていましたね。彼は ‘また羽目を外しているな’ としか見られなかったのでしょうね。      

 

>日本のメディアは、なぜ自分たちは一部の人々にはとんでもなく小さなネタで嫌がらせをする一方で、大きなネタは眠らせておくのか疑問に思うべきだ。   

 

事柄の大小の見方が日本人と西洋人の違いにあるのでしょうね。文化の違いが問題の大小に関係しているようですね。    

 

>ジャニー喜多川が何百人もの人間を自由破壊できる一方で、不倫した俳優が事務所から契約を解除されたり、マスコミから執拗な取材を受けたりするのはなぜか。   

 

それはモノの見方に関係するのでしょうね。日本人は自由にはさほど拘らないですね。自由は意思の自由である。日本人には意思が無い。だから、自由そのものに意味がない。不自由を常と思えば不足なし。  

 

>経済的、社会的衰退のために、海外への日本に関する報道が減少し、日本にポジティブな影響を与えてきた「外圧」が減っている今、日本のメディアはこのことを自ら真剣に考えるべきだ。   

 

そうですね。日本のメディアの改心を切に望みますね。      

 

>「ジャニーズ問題」はすべての日本人の問題だ   

>ジャニーズの物語はすべての人に影響を与えるものであり、それは今やすべての人の責任である。   

>社会にとってこれほど悪質な実績を持つ企業と関係を続けるかどうかは、スポンサー企業の判断に委ねられている。   

>スポンサー企業は、ジャニーズ事務所や、同事務所を支援した企業との関係を完全に断ち切るべきである。   

 

そうですね。    

 

>より責任が重いのはテレビ局だ。   

 

そうですね。テレビ局の感受性・判断力に問題が在りますね。   

 

>テレビ局の中には、早々にジャニーズ事務所所属タレントの番組出演について変更する予定がない旨を表明した局もあるが、開いた口が塞がらない。    

>テレビ局は、ジャニーズと組むことで社会的責任を回避するのをやめるべきだ。   

 

そうですね。悪の温床ジャニーズをボイコットすべきですね。   

 

>テレビ朝日はこれからも『#裸の少年』を放送するつもりなのだろうか。   

>大手テレビ局が、こんなタイトルの番組を放送するのは普通なのだろうか?   

>テレビ朝日のウェブサイトにある「ESG(環境・社会・ガバナンス)の取り組み」が何と空々しいことか。  

 

基が違えば末も違いますね。   

 

>テレビ各局は、「未来志向」の声明を出しているが、本当にそれだけですますつもりなのだろうか。  

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

>最低でも第三者委員会を立ち上げ、ジャニー喜多川の性加害について、いつ認識し、それがなぜ報道に至らなかったのか、いつ、誰による圧力や働きかけがあったのかについて、詳らかにすることこそ、メディアとしての責任だろう。  

 

そうですね。イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

>ジャニー喜多川は、残念ながらこの世で最後の異常性癖者ではない。   

>何の検証もしないで、また彼のような人物が現れたとき、メディアはいったいどうやって再発防止を図るつもりなのだろうか。   

 

これは国際社会に対するわが民族の課題ですね。    

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

 

>(敬称略)   

 

 

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閲覧数204 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/09/12 03:52
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