>◆孫のダニエル氏「多様性が軍や社会を強くする」 > 日本への原爆投下を決めたトルーマン米大統領(当時)は、米国では1948年に軍での人種差別を禁じる大統領令を発令するなど差別撤廃に取り組んだ大統領としても知られる。 >今年は、この大統領令の発令から75周年。 >いまも差別が根強い米国だが、孫のクリフトン・トルーマン・ダニエル氏(66)は本紙のインタビューに「多様性を認めて結束することが、軍や社会を強くする」と訴える。 >(ワシントン・吉田通夫) > ハリー・トルーマン 1884年5月生まれ。 >第2次世界大戦末期の1945年4月に、フランクリン・ルーズベルト大統領の死去に伴い副大統領から大統領に就任。 >53年1月まで務めた。 >72年没。 >ソ連を中心とする共産主義国家の封じ込めを宣言した「トルーマン・ドクトリン」でも知られる。 >日本に原爆を投下した当時の大統領で、孫のダニエル氏は被曝者の証言を集めるなど痛みを分かち合う活動を続けている。
「歴史の皮肉の一つは、自国の人々に尊敬された裕仁が1989年に安らかに亡くなった一方、殺戮を終結させた英雄ハリー・トルーマンには今もなお道徳的な汚点がついていることだ。 ロバート・オッペンハイマーにもクレジットが与えられるべきだ。 ピースメーカー(平和をもたらす人)に祝福あれ」 (提供:The National Archives/ロイター/アフロ)
>◆祖父の考えを変えた事件 > ダニエル氏によると、トルーマン氏が育った中西部ミズーリ州の家庭は「人種差別主義で、奴隷解放を宣言したリンカーンを嫌っていた」といい、「祖父も差別的な言葉を使ったことがある」と明かす。 >しかし、第2次大戦直後の46年に起きた事件をきっかけに、考え方を大きく変えた。 > 戦争から帰還した黒人のアイザック・ウッダード軍曹が制服姿でバスに乗っていたところ、運転手から差別発言を受けて口論に。 >警察に引き渡されて集団で暴行され、失明した。 >当時、黒人は軍内での待遇や退役後の支援策などさまざまな面で差別されていた。 > トルーマン氏は、全米黒人地位向上協会(NAACP)から話を聞いたものの、当初は対応に消極的だったという。 >しかしウッダード氏と面会して話を聞き、憤慨したという。 >ダニエル氏は「祖父は、人間が人間をそのように扱っていることが信じられなかった」と解説する。 >同年には、黒人の退役軍人が家族もろとも数十発の銃弾を受けて殺害される事件もあった。 > トルーマン氏は差別撤廃に向けて動き始め、47年6月に歴代大統領として初めてNAACPで演説し「すべての米国人は権利を等しく享受する。 >私の言う『すべて』とは『すべて』だ」と強調。 >48年7月の歴史的な大統領令につながった。 >◆大統領再選の危機にも「正しいこと」 > しかし、差別が当然だった時代。 >撤廃に対し、共和党だけでなく所属する民主党からも反発を招き、一部議員が離反。 >同年11月の大統領選では再選不可能と予想された。 >それでも「祖父は『負けても構わない。これは正しいことだ』と言った」とダニエル氏は語る。
彼は信念の人ですね。
> ふたを開けてみれば、選挙は「大統領選史上、最も驚くべき逆転劇」(トルーマン記念館)に。 >トルーマン氏は有色人種の票も集めて大統領に再選され、上下院選も民主党が勝利。 >60年代まで続く強い民主党の礎を築いた。 >その後、社会全体の人種差別の撤廃に向けた「公民権運動」が活発化し、64年には公民権法が制定された。 >ダニエル氏は「祖父が『軍で(差別撤廃の)種をまけば社会全体に育つだろう』と考えていたかは分からない」と話す。 >◆根強い差別、LGBTQ巡る対立も > 米国の差別は今なお根強く、軍でもLGBTQ(性的少数者)への圧力が強まっている。 >共和党のトランプ前政権はLGBTQなどの軍人採用を禁止。 >バイデン政権は再開したが、共和党のバンクス下院議員らは「兵士の採用や維持、士気に悪影響を及ぼしている」などと批判している。 > 国防総省や軍幹部は士気の低下を否定し、ギルデイ海軍作戦部長は「指揮官が部隊全体で築き上げる信頼関係は尊厳と尊敬に基づいており、私は彼ら(性的少数者)のそばで兵役に就けることを誇りに思う」と多様性を認めることの重要性を強調している。 > 「白人男性ばかりのロシア軍は、ウクライナで尻をたたかれている」。 >トルーマン氏の大統領令発令から75周年を記念した討論集会が7月下旬に開かれ、出席したダニエル氏はアジア系米国人の退役軍人がそう語るのを聞いた。 >「とても良い例だと思った」 > 「米軍は多様性が増すにつれ、より強く、より有能になった」。 >討論集会にはバイデン大統領も出席し、そう演説した。
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