>現代ビジネス >「命を投げ出して国を守るのは想像できない」…平和祈念展示資料館で若者達が語った、あまりにリアルな「戦争への想い」 >フリート横田の意見 >・6時間 >若者が戦争をディスカッションする >「大学生が戦争についてディスカッションする機会があります。 >横田さん、来てみません?」 >先日、こんな声をかけていただき、即飛んでいったのは、西新宿の高層ビル街にある平和祈念展示資料館。 >駆けつけると、集まっていたのは学芸員資格取得のため実習中の大学4年生でした。 >実習最終日に戦争(太平洋戦争)について、さまざまに議論するというのです。 >20代前半の方々が戦争をどう捉えているのか、40代半ばの私は興味を抱きました。 (略) >日本の歴史にどう向き合うか (略) >――ふたたび戦争の話題に戻ります。 >先の大戦では、途方もない数の日本人が傷付きました。 >同時に、それを上回る数、アジア諸国の人々を傷付けもしました。 >そのあたりはどう考えますか? >「同じ日本人として、その(加害の)事実を知る責任っていうのは絶対ある。
そうですね。
>そこを自虐史観だとか言って目をそらしては絶対いけないと思ってて」 >「目をそらさないで、忘れないでいることが大切だと思うんですけど、正直、台湾に行った時、日本語が喋れるおじいさんとかに会ったらどうしようって、ちょっと思っていた。 >歴史として侵略したっていうのは知ってはいるけど、実際にそういう時代の教育を受けた人に会うと、日本が侵略してたっていう事実に、なんか直接自分が触れちゃう気がしたから」 >「私も、自虐史観とか、自分たちが悪かった民族だっていう捉え方じゃなくて、歴史的事実として捉えて、 反省材料とか教訓にするっていうのが向き合い方だと思います。 >戦争を経験した世代よりも(自分たち学生の世代の)距離が空いているから、よりやりやすいと思います」 >「ヨーロッパだったら2国間、3国間で一緒に歴史教科書を作る、歴史を共有することで、対立を国民レベルから解決することがありましたが、日本や中国、韓国って、そのあたりが失敗してるなと私は思います」
そうですね。人類の歴史書としての東アジア史の編集もできていませんね。
>さて、ここまで昭和の戦争をどう捉えるかの質問でした。 >こうした議論になると、当たり前ですが、「戦争はやってはいけない」、誰もがそう言います。 >では二度と私たちの国がそうしないために現実的にはどうしたらいいのでしょう。 >学生たちにもう少し具体的に聞いてみます。 >核兵器を持つのも仕方ない? >――日本が今、反撃能力の保有など、いわゆる「防衛力」を拡張させていることをどう思いますか? >「もっと強めるべき。 >本当は弱められれば弱めたいですけど。 >日本(政府)も別に軍拡をしたいわけじゃないと思うんですよ。 >周りの国が強めている以上はもうしょうがない。 >国際政治の授業で、『力の均衡』がないと戦争が発生しやすいということを学んだので」
そうですね。 ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。 これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。 「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領) ‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’ (マシュー・ポッティンジャー) ‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)
>「侵略のためって言って戦争したことなんてなくて、元々は防衛のためとか、理由をつけて軍隊を作り、それが結局戦争に発展しているので、同じことを繰り返すなんてありえないなって思うし、過去から学ぶのが人間じゃないですか。 >それができないなら人間じゃないって思います」
そうですね。人間でない人たちが今戦争をやっていますね。
>――さらにすすめて、日本が核兵器を持つことについては? >「世界が均衡になるなら、持ってた方がよくない?って思う」 >「個人的な感情として持ちたくないけれど、 理論的に核を持った方が戦争を防げる可能性が跳ね上がるっていうんだったら……(持つのは仕方がない)」 >――それでも、戦いがはじまってしまいそうなとき、戦争反対の声を上げますか? >「上げたいですけど、でも状況にもよるかなって。 >上げたら上げたで、殺されるんだったら言わないし、みたいな」 >「私は、普通に一市民として、普通にはっきり反対って言うと思います。 >太平洋戦争のとき、偉い人だけが悪かったわけじゃなくて、プロパガンダに流されて、国民もそっち(開戦)の方向に国を押していったから」
‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
>ここで、私が個人的に注目した意見が出ました。 >なかなか表に出にくい、今、メディアにのりにくい声に思えました。 >「戦争反対の声が届かないっていうのだったら、私は……大事な人を失ったり、自分が死んでしまうよりは、 どっか違うところにでも逃げて、そのまま生きる方を選びます」 >逃げて、生きる――。 >一見、卑怯な意見とも取れます。 >国を愛し、銃をとって戦い、死ぬ、と言うほうが勇敢だし、称賛されると思います。
勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。 (ヘルマン・ゲーリング)
>そんななかで、大事な人を逃がしたいし、自分も命のやりとりから逃れたい、と表明することは、勇気がいることです。
そうですね。命あっての物種ですね。
>「国」のために戦う難しさ >ここで、私から質問させてもらいました。 >意図したわけではないのですが、結果的に若い人達に意地悪な問いになってしまったかもしれません。 >いまウクライナ戦争が起きていますね。 >前線で戦っているウクライナ人は、攻め込んできたロシアに負けてしまったら、自分はもうウクライナ人ではなくなる。 >だから、戦うのだ、と思っている人が多いのだと思います。 >アイデンティティのために戦っている。 >もし日本が外国から攻められても、同じ感覚を持つ人が多数派でしょうか。 >私の肌感覚では、じつはかなり多くの人の心のうちに、以下のようなホンネが隠れているように思うのです。 >〈占領軍に対して文句を言わない限り殺されはしないから、早々に両手をあげて降伏してしまっていい〉 >言いたいことは言えず、街中に監視カメラだらけ、あとからやってきた占領国人がなにもかも優遇され、日本人は人権が制限される。 >それでも、殺されはしないだろうと。 >こんな「卑怯」な早期降伏希望者が、口には出さないだけで、案外多いように思いますが、どうでしょうか。 >「まあ、そうですね、それは否定できないです」 >「(現状で)戦うのは、難しいと思います」 >「(そう内心思っている人は)多い」 >「多いし、これから多くなりそうな感じ」 >学生たちは、自分ごとととらえた上で、正直な気持ちを話してくれました。 >この漠然とした気分はどこから来るか。 >それは、自分や、家族の命を守りたい気持ちはイメージできても、「国を守る」、というときの「国」はイメージできない、というところからに思えます。
そうですね。
>私自身も感覚的にわかるところがあります。 >目の前に外国軍の兵士がいて、私の家族に銃をむけていて、私の手元にも銃があり、いま引き金を引かないと家族が殺される、という場面だったら迷いません。 >引き金を引くでしょう。 >このとき自分には間違いなく家族を守っている自覚があります。 >ではこのとき、「国」を守るために戦っているか?と問われたら、即答できません。 >答える前にまず、「国」とはなんぞや、が心に浮かんできてしまいます。 >学者でもないし確固とした思想もない、ただじいちゃんばあちゃんから戦争の話を聞いてきた中年男としては、また、先の大戦へ思いが至ります。 >戦争における本当の敵は誰なのか >かつての勇猛な日本兵士たちのように敵に向かい、国を守ろう、という人もいますが、そのイメージ自体が、実際の歴史に沿っていないことが思い出されます。 >昔の兵隊さんの勇敢さ、銃砲撃のなかで戦死された方々を心から悼む気持ちを私も持っています。 >でも、華々しく散ることさえできなかった兵士のほうが圧倒的に多いのです。 >太平洋戦争での、日本兵士の死者数はおよそ230万人。内約140万人、過半数は、栄養失調による戦病死、言ってしまえば、餓死です(※)。
昔から知られている兵糧攻めによる犠牲者ですね。
>大事に育てられた誰かの若い息子たちが、骨と皮になり、父母や妻や子を案じながら、糞尿にまみれたまま亡くなっていくとき、最期になにを思っていたか、いつも考えずにおれません。 >本当の意味での敵はどこにいたのでしょうか。 >戦争は他国の人だけでなく自分の国の人も大勢死なせます。 >そうして負けてみれば、男は奴隷、女は慰みものにならず、クニはやはり足元にありました。 >負けて消されたのは、クニではなく、「国体」と、それを運営していた人々だったのでは、と。 >それも、徹底はされなかった。 >戦中、熱いことを言って他人を死地に向かわせた人たちが、責任をとらずに戦後社会を生き、畳の上で生を全うしました。
そうですね。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>こう思う時、武器をかまえよ、という熱い気持ちにすぐにはなれません。 >※ 「餓死した英霊たち」藤原彰(筑摩書房)より >若者の言葉を大事にしていきたい >あのとき負けた相手、占領してきた相手がアメリカだったおかげで、戦後空前の繁栄のなかで生まれることができたおかげで、私はこんな、ぬるい気持ちを抱けているところもあるでしょう。 >原爆を落とし数えきれない無辜の人々の命を奪い、沖縄に巨大な基地を置き続ける国がさしてくれる核の傘の下で平穏に息をしながら、まだ、今日のところはぬるく考えていられる。 >いや、もう破れ傘だ、ぬるいこと言ってるうち敵が攻めてくるぞ、だから自前で対応できる武力を持て、と声の大きい、熱い人は言います。 >でもその人は戦争がはじまった第一日目、最前線の第一弾目が飛んでくる場所へ出征し、最初に間違いなく死ぬ一人目になるのを確約してくれるだろうか、声は大きいが、結局自分でない誰かを行かせる気なんじゃないか、と疑ってしまうのです。
‘疑心暗鬼を生ず’ ですね。私は絶対に日本人を信用しない。
>そしていま、食べ物も、資源も、よその国から取り寄せて、あらたに子どもは生まれず、老いていっているこの国が、敵と自分たちの命であがなうものとは、なんなのか、即答できません。 >かつて国をひっぱっていた限られた数の人々は、大量餓死をいといませんでしたが、80年近くたってみて、そうさせた意識も仕組みも、われわれの社会からきれいに取り払われているでしょうか。 >また一事あれば、簡単に命を消耗品にしないでしょうか。
核爆弾一発で我々の命は消耗品になりますね。
>「戦えない」「逃げる」と、勇気をもって「卑怯」を言った学生たちが嗅ぎ取っているもの、無視しないほうがいいと思います。
そうですね。一億聡玉砕が正しい道とは限りませんね。
>一方で学生たちのなかには、軍備を整え、核兵器の保有までを認める人もいました。
実際に核兵器を持ちながら核なき世界の相談を皆とするのが良いですね。
>矛盾の只中にあるのだと思います。
現実 (事実) の内容は頭の外にあり、非現実 (あるべき姿) の内容は頭の中にあるのですか一致しませんね。それが人生における我々の葛藤でね。
>私もまた矛盾のなかにいます。 >若い方々の意見を聞きながら、同時に私は、「勇ましいことをいう人を信じてはいけない」と教えてくれた、戦争をその目で見た年寄りの言葉を、何度も何度も、思い出していました。
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