2023年12月22日(金) 

 

>ダイヤモンド・オンライン   >「日本人はもっと怒っていい」イタリア人精神科医が危惧する息苦しさの正体   >パントー・フランチェスコによるストーリー   >・9時間   

>イタリアから来日し、精神科医として診療にあたっているパントー・フランチェスコ医師は、日本には他者を不愉快にさせることを過剰に恐れる「迷惑ノイローゼ」という囚われがあり、それが生きづらさに影響を与えていると言う。   

 

そうですね。日本人のお得意の忖度は高じて迷惑ノイローゼになりますね。   

 

>パントー医師の目に日本社会はどのように映るのか、私たちがメンタルを守るために意識していくべきこととはどんなことかを聞いた。   

>(聞き手/フリーライター 柳本操)    

>イタリアと日本で違う人との距離感   

>――パントー先生が来日して日本の医師免許を取得、精神科医となった背景には、周囲とは趣味が合わず浮いてしまうことに悩んでいた小学生のときに『美少女戦士セーラームーン』に出合い、アニメ、漫画、ゲームなどの日本の作品にはまって「日本文化に囲まれて暮らしたい」と思うようになったことがあるそうですね。   

>独学で日本語能力試験に合格し、日本に留学されたとき、不思議に思ったり、驚いたりしたことはありましたか?   

> 日本で暮らすようになって今年で9年目になりますが、来日してイタリアとの大きな違いを感じたのは、人と人との関係性の作り方、コミュニケーションについてでした。   

 

そうでしょうね。縦社会 (序列社会) と横社会 (階級社会) の違いがありますからね。   

 

> 今でも生々しく覚えているのは、筑波大学に留学して最初の授業に参加したとき、みんなが互いに目線を合わせないことでした。   

>先生が話している時、誰かが発表をする時も、目を合わせず資料しか見ていない。  

>これは僕が育った社会では考えられないことでした。   

>しかし、目を合わせないことは「相手にプレッシャーを与えない」というポジティブな面もあると感じました。   

 

そうですね。   

 

>実際、僕がイタリアで先生とやりとりするときには常に先生からじっと見られていたので、緊張し、病的なほど不安感が強くなったこともありましたから(笑)。   

 

そうでしょうね。’ガンつけられた’ ということは言いがかりになりますね。   

 

>――人付き合いの面ではどうでしたか。   

> 相手の真意が分からず、傷ついたこともありました。   

>大切に思っていた日本人の友人と喧嘩をしたとき、「しばらくフラン(パントー先生)とは話したくない。   

>他の人がいる時は建前上、会話はするが、楽しそうにしててもそれは俺の本心じゃないから」と言われた時は「なぜ対話をして根本的な解決策を見つけないのか、建前を保持するためにどうして演技をする必要があるの?」と虚しくなりました。   

 

そうですね。日本の文化には形式があって内容がない。内容がなくては根本的な解決も無理です。あるのは ‘気分・雰囲気・感情’ だけです。        

 

> また、別の友人と声優さんのイベントについて話して「一緒に行こう」と盛り上がったのに、後日、待ちあわせの相談をしたら、友人は建前で「行こう」と言っていただけで本心では行きたくなかった、と分かったことも。   

 

建前は形式ですね。本音は内容 (リーズン) を伴わない。あるのは ‘気分・雰囲気・感情’ だけ。        

 

> 他にも、大学の先輩が街中で彼女と歩いていて、僕が手を振ったら無視され、別の友人から「それぞれの関係性の中には超えてはいけない距離感があるんだよ」と説明を受けたこともありました。   

> こういった経験を通じて感じた違和感を、日本人の患者さんを相手とする診察の際はもちろん、「日本人の行動や考え方」について研究するモチベーションにしてきました。   

>「キャラ」を脱げず、「罪悪感」を抱いている   

>――本音と建前を使い分けたり、距離感に気を付けるということを、私たちは意識することもあれば、無意識的に行っていることも多いように思います。   

>そういった日本のコミュニケーションの特殊性は、精神性にどのような影響を及ぼしているのでしょう。   

> 日本人のみなさんは、他者のパーソナルスペースを侵略することは迷惑になる、と過剰なほどの恐怖を感じているのではないでしょうか。   

>僕はこの恐怖心のことをあえて強めの表現で「迷惑ノイローゼ」と命名しています。   

 

‘人を見損なってはいけない’ という恐怖心ですね。   

 

> 迷惑ノイローゼとは、それほどリスクはないのに、自分のせいで他者に不愉快な思いをさせるのでは……と過剰に心配をすること。   

>このとらわれにより、他者と関わりを持ちたいと思っても言葉や態度に出すことをためらい、結局関わらないままにしてしまう。  

 

気疲れしますね。   

 

>日常的にいろいろな感情を抑えすぎることによって、孤独感を強くしている人が多いのではと思います。   

 

そうですね。遠慮のしすぎですね。   

 

> 臨床で精神的なトラブルに直面している人と接すると、他者に気を遣いすぎ、調子が悪くなっているのに助けを求めることができず、沈黙の叫びを内側に溜め込んでいます。   

>「迷惑ノイローゼ」は「助けて」と素直に言えない心理状態を作りだしていると思います。   

 

そうですね。’助けて’ は弱虫であることの宣言ですからね。それは恥ですね。         

 

>――診察に訪れる人はどのような心の状態になっているのですか。さらに具体的に教えてください。   

> 診療をしていて圧倒的に多い症状は、特定の環境においてストレスを過剰に感じ、不安や抑うつ状態になっている「適応障害」です。   

 

それは ‘気疲れ’ というものですね。   

 

>彼らのストレスの原点には「キャラ化」があります。   

>まるでコスチュームを身につけているように、真面目系、元気系、といったそれぞれのキャラを演じていて、そこから外れることができない。   

 

そうですね。日本人には自己がない。’いかにも〇〇らしい’ という ‘気分・雰囲気・感情’ 作りに懸命になっていますね。     

 

> そのキャラを脱いでしまうと自分のアイデンティティが根底から覆される、と恐れています。  

 

そうですね。後には何も残らないですね。それは空しい限りですね。         

 

>人間の内側にはいろいろな人格があって当たり前だし、「助けてほしい」「愛されたい」「認められたい」といった感情は人間として普遍的なもののはずなのに、自ら設定した特定のキャラにこだわり、感情を押し殺してしまう。   

 

そうですね。’武士は食わねど高楊枝’ ですね。   

 

>痛み、吐き気、しびれ、倦怠感などの体の症状もよく見られます。   

> もう一つは、「罪悪感」です。   

>僕の実感として、クリニックを受診する人のうち9割以上の方が、「仕事や家庭で期待されていることに自分は応えられていない」と罪悪感を抱いています。   

 

‘期待される人間像’ になれない不幸ですね。指示待ち人間の悲しみですね。     

 

> うまくやれていないのは自分に不備があるからで、もっと頑張らないと認めてもらえない、と頑なに感じている。   

 

常に ‘頑張って’ ですね。’適当にやれ’ (Take it easy!) にはならない。     

 

>そこにも日本の本音と建前の文化が色濃く影響していて、「自分の本心」と「社会的に良いとされる言動」をはっきり分けて考えてしまうのです。   

 

自分の本音を押し殺すのが日本人の修行ですね。   

 

> 本音と建前を分け、社会が求めるキャラだけを演じようとすることは、日本人の協調性を支えている美しい部分でもある反面、悪い方に働くと自分の思いを殺し、心を壊す要因となります。

 

そうですね。無理をしてはいけないですね。滅私奉公は個人主義に反しますね。       

 

>――職場や家庭で期待されている自分を演じなければいけない、と頑張っていたけれどもう無理……となってしまった人に対して、パントー先生はどのように話をするのですか。   

> 精神科医は、何よりも目の前の人の健康を取り戻すのが仕事です。   

>本人は「会社の人に迷惑をかけてはいけない」と会社のことを重視していても、僕にとってそんなことは関係ありません。   

> なによりも本人軸で考えること。   

 

気分・雰囲気・感情は文章にならない。だから、気分・雰囲気・感情には意味がない。にもかかわらず、これを ‘言いがかり’ として日本人は行動に出る。   

言論を封じられている日本人には、自己がない。だが ‘いかにも〇〇らしい’ という状態を強制する外圧にさらされている。この外圧は時と場合によっては死ぬほど恐ろしい結果をもたらす。      

言論の自由を封じていると理不尽 (言いがかり) がはびこり手が付けられない。学校では「教育」「学校らしさ」「生徒らしさ」といういいがかりをつけられて、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。

こういったことは、言論の自由を封じられた学校以外の集団でも起こる。たとえば、宗教教団であるオウム真理教教団(1995年に地下鉄サリン事件を起こした)では、教祖が気にくわない人物を殺すように命令していたが、それは被害者の「魂を高いところに引き上げる慈悲の行い(ポア)」という意味になった。また教祖が周囲の女性を性的にもてあそぶ性欲の発散は、ありがたい「修行(ヨーガ)」の援助だった。これも言論の自由を封じると理不尽ないいがかりをつけられる例である。  

また、連合赤軍(暴力革命をめざして強盗や殺人をくりかえし、1972年にあさま山荘で人質をとって銃撃戦を行った)のような革命集団でも、グループ内で目をつけられた人たちが、銭湯に行った、指輪をしていた、女性らしいしぐさをしていたといったことで、「革命戦士らしく」ない、「ブルジョワ的」などといいがかりをつけられた。そして彼らは、人間の「共産主義化」「総括」を援助するという名目でリンチを加えられ、次々と殺害された。 これも言論の自由を封じると理不尽がはびこる例である。 アッケラカンとした世界の中でドライに割り切るセンス (判断力) が必要ですね。遠目が効かず ‘もやもやした状態’ が危険ですね。  

 

>「どうすればあなた自身が安心できるか、楽になるかについて考えましょう」と伝えます。   

 

自己の確立が大切ですね。話の筋 (自己の意思) と言いがかり (気分・雰囲気・感情による要請) の区別が必要ですね。     

 

>繰り返しお話するうち、自分は間違っていなかったんだ、と気づいたり、辛かった自分を振り返り、涙を流してすっきりされる方もいます。   

>そうして自分軸を取り戻した上で、自分の体調について職場と相談する、会社を休む、というふうに前進していきます。   

>患者さんの笑顔を見ることができると、本当にうれしいですね。   

 

よかったですね。これは一種の日本病の治療ですね。   

 

(略)   

 

 

 

.

 

 

 

 


閲覧数95 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/12/22 19:38
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