>プレジデントオンライン >「学歴」と言えるのは博士号から…「日本の大卒は海外の中卒と同レベル」という不都合な真実 >高橋洋一によるストーリー >・1時間 >日本は学歴社会と言われるが、実際はどうなのか。 >嘉悦大学教授で経済学者の髙橋洋一さんは「4年制大学を卒業していれば高学歴といわれるが、海外ではまったく違う。 >博士号を取って初めて学歴があるとされ、学卒では知識人を名乗ることはできない」という――。 >※本稿は、髙橋洋一『数字で話せ! 「世界標準」のニュースの読み方』(MdN)の一部を再編集した (略) >日本のマスコミ人は「高学歴」なのか >マスコミ業界で働いている人たち、また、マス・メディアに登場する評論家やジャーナリストたちは一般的に学歴が高いと思われています。 >ほとんどが4年生大学の出身者だからです。 >しかしこれは世界標準からすればナンセンスな話です。 >一般的な見方とはまったく逆で、ジャーナリストをはじめ日本のテレビなどに知識人として登場する人たちは、“学歴”が低すぎます。 >どこの大学を出たかなどはたいした問題ではありません。 >ここで言う学歴とは「何を、どこまで勉強したか」ということです。 >日本のジャーナリストと称する人たちは、そのほとんどが4年生大学の卒業者です。 >これは実は、世界に出てしまえば「学歴がない」のと一緒です。 >大学院で勉強したところで、修士ではあまり学歴があるとは言えません。 >博士号まで取得して初めて学歴があると認識されるのが世界の標準です。 >世界に出ると「東大卒」では威張れない >日本のジャーナリストで博士号を持っている人、というのはあまり聞いたことがありません。 >ということは、世界の感覚でものを見る人にとっては、「なんと学歴の低い人が集まっている業界だ」ということです。 >言い方を変えると、大学を出ているから私には学歴があると思ってはいけないということです。 >特に言論で商売をする人は、「世界標準は日本とは大きく違うのだ」ということを認識すべきでしょう。 >私はいちおう東京大学の出身ですから、国内的には学歴が高いと思われているかもしれません。 >しかし、世界に行けば、「University of Tokyo」など聞いたこともないという人がけっこういます。 >国内最高の大学とされている東京大学ですが、イギリスの高等教育専門誌「Times Higher Education(THE)」が2023年9月27日に発表した世界大学ランキング2024によれば東京大学は29位です(それでも前年から10位のランクアップです)。 >大学そのものについては、海外の大学のことなど詳しくは知らないというのはお互い様でしょう。 >ただし、マスターやドクター、修士や博士号を持っているかいないかではだいぶ違ってきます。 >日本の「学士」は海外の「中卒」レべル >学歴というものが、海外では肩書きに露骨に表れます。 >普通の「学士」つまり学卒4年制大学の卒業者は「BA」と書きます。 >「Bachelor of Arts」です。 >大学院で勉強して「修士」を持っている人は「MA」、「Master of Arts」です。 >博士号は「PhD」と表記されます。 >ラテン語の「Philosophiae Doctor」の略称で、英語でいうと「Doctor of Philosophy」です。 >この肩書が、パブリックな場所、たとえばシンポジウムやあるいはパーティといった懇親会の出席者一覧表に書かれます。 >出席者それぞれの学歴がひと目でわかる仕組みになっているのです。
海外は学歴社会ですね。
>そういう場では、「BA」の肩書の出席者はまずいません。 >ごく稀にいますが、その場合は、何かの事情があって「BA」に留まったのだろうと思われます。 >「BA」は、失礼を承知で言うと、日本でいう「中卒」の感覚です。 >この感覚でいうと、日本の場合、ジャーナリストのほぼ全員が中卒・高卒ということになります。
そうですね。 ‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)
>日本で名刺に学歴を書く人はおそらくそれほど多くないと思います。 >私の名刺の裏側には、英語表記の面にちゃんと「PhD」と書いてあります。 >日本国内用に「博士」などと書くと嫌らしいことになりますが、海外ではそれが普通で、常識なのです。
彼等の社会は学歴社会ですね。
>海外において、特に知識階層では学卒は相手にされません。 >海外で学歴といえば、修士卒、博士号卒、あるいはそれ以上で、学卒は最も下位に置かれますから、4年制大学を卒業したくらいで、「私は知識人である」と振る舞うのはお話になりません。
そうですね。 大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。 私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。 政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。 我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>専門分野がないジャーナリストはありえない >これは日本と海外の認識の違いだ、と言う人もいるかもしれませんが、そういったところが日本国内においても結果として出ています。 >世の中にはちゃんと専門的知識のある人がいます。 >そうした人たちが今はネットで情報発信できてしまいます。 >マスコミよりもはるかにまともな意見がネット上に散見しているのは明らかなことです。 >また、事実として、日本のジャーナリストと称する人々は海外ではジャーナリストにはなれません。 >ジャーナリストと呼ばれるためには、専門分野を持っていることが必要であるのが世界標準だからです。
日本の常識は世界の非常識ですか。
>日本では、たとえばNHKのアナウンサー出身であるだけのような、まったく専門分野のない人であってもジャーナリストを名乗ることができます。 >これは世界標準ではありえないことです。 >それに類するある日本のジャーナリストの著書を見てびっくりしたことがあります。 >参考文献の記載がないのです。
参考文献の記載がないと論文が書けませんね。根拠のない議論など相手にする人はいませんね。
>「何でも知っている凄い人」というイメージで売り出し、確かにいろいろ多岐にわたって書いているのですから、著書に参考文献が載っていないなどということはありえません。 >一般常識すら欠けているジャーナリストも >これは、論文の書き方をきちんと習っていないからだと思います。 >“学歴”がないので論文の書き方を知らないのでしょう。
そうでしょうね。
>論文のなかで人の意見を書くことには何の問題もありません。 >ただし、論文の書き方の基本、というよりも一般常識として、人の意見を書くのであれば参考文献を明記し、自分が書いたなかのどの部分が人の意見かということは明らかにしなければなりません。 >論文は、ここは人の意見、こちらは自分の意見であると明示されていることが基本です。 >参考文献がたくさんあること自体はごく当たり前のことです。 >夥しい数の参考文献が記載されていることは、問題のあることでも恥ずかしいことでも何でもなく、記載しないことの方がおかしく、常識を疑われます。 >参考文献を記載することなく書いてしまうと論文としては体をなしませんから、そういった論文ないし著書はその時点でリジェクトされます。 >参考文献をちゃんと記載することで、該当する部分は自分の意見でないということもはっきりするでしょう。 >情報に対する自分自身の姿勢の確認という意味でも、かえってすっきりするのではないかとさえ思います。
そうですね。
>はっきり言ってしまえば、日本のジャーナリストの書くものは、ほとんどが他人のデータと意見のパクリです。
そうですね。わが国の学校教育では受け売りの練習ばかりをさせていますからね。日本人は思考を停止していますね。無哲学・能天気の人間になっていますね。
>ほとんどが参考文献のパクリによってできあがっています。 >日本のジャーナリストはそのレベルである、ということも知っておいた方がいいでしょう。
そうですね。 マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
>---------- 髙橋 洋一(たかはし・よういち) 嘉悦大学大学院教授 1955年東京都生まれ。 >東京大学理学部数学科・経済学部経済学科卒業。 >博士(政策研究)。 >数量政策学者。 >嘉悦大学大学院ビジネス創造研究学科教授、株式会社政策工房代表取締役会長。 >1980年、大蔵省(現財務省)入省。 >大蔵省理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員を経て、内閣府参事官、内閣参事官等などを歴任。 >小泉内閣・安倍内閣で経済政策の中心を担い、2008年に退官。 >主な著書に、第17回山本七平賞を受賞した『さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白』(講談社)などがある。 > ----------
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