2024年08月12日(月) 

 

>現代ビジネス   >「自民も嫌だが、野党もダメ」…自民党の不支持率が60.4%でも、野党よりはまし? 政権交代を妨げる「野党不信」   >橋下徹(元大阪府知事)・元大阪市長) によるストーリー・   >3時間・   

>黒船なき令和の日本で、革命なき安逸の日々のなかで、激烈な政権交代は起きるのか?   

>しかし、いま変わらなければ――かならず日本は、沈む!   

>百戦錬磨の戦略家、橋下徹(55歳)。   

>時代を見定め、歴史を洞察し、日本人の本質を透徹した先に見えた悪魔的リアリズム、それが「政権変容論」だ。   

>橋下氏は言う。   

>「『政権変容』が劇的に新しいのは、自民党がどうであろうと関係なく、野党が腹を括って決断しさえすれば次の総選挙で実現できるところです」   

 

そうですね。   

 

>2024年の選挙から、グレートリセットは始まるのだ。   

 

しかし、日本人には意思が無い。   

 

>7月19日発売の最新刊『政権変容論』(講談社刊)から、特別に内容を抜粋してお届けしていこう。   

>『夜の料亭で「根回し」ばかり...政権交代を狙わない野党に、大阪維新で「攻めの選挙」を戦った橋下徹が”いま”求めることとは?​』より続く   

>1 9 9 4年の「乱世型政権交代」   

>—「政権変容」とその先の「政権交代」を実現するためには何をすべきか。   

>それをより深く理解するために、ここからは過去の政権交代を検証していきます。   

>93年の政権交代は「乱世型政権交代」として、今と状況が似ている気がします。   

>当時は、自民党と社会党による自社体制に対する不満が世の中に充満していた。   

>今は、自民党と公明党による、自公体制への不満が高まっている。   

>ところが、その不満の受け皿になりうる強力な野党が存在しない、という状況が共通している。

 

そうですね。無哲学・能天気ではどうしようもない。      

 

>とにかく野党第一党の立憲民主党や第二党の維新が頼りない。   

>そんななか、れいわ新選組を筆頭に、参政党や作家の百田尚樹さんの日本保守党など、新しい政党がいくつか誕生しています。   

>彼ら彼女らに唯一共通するのは、「既存政党に対する不満」です。   

 

‘それがどうした’ というところですね。   

 

>30年前と現在の決定的な違い   

>橋下この新党が乱立する様子は、極めて日本らしいとも言えます。   

>これだけ多様な価値観が並存する社会で、政治権力に対しても好き放題に言える国というのは世界の中でも少数です。   

>さすが八百万の神を奉じてきただけのことはある。

 

そうですね。   

 

>候補者も自分が訴えたいことを自由に言えるし、有権者も権力者に何でも言える。   

 

日本人は無哲学・能天気ですからね。   

 

>一人一人が、自分の「推し」政党を持てる多様性は素晴らしいと思います。

>—しかし今回は、そうした新党ブームの後に政権交代が成った30年前のように、政権交代が成立する可能性は低いと、橋下さんは言います。   

 

そうですね。前回の失敗で懲りたのでしょうね。   

 

>橋下状況が似ているからと言って、同じことが繰り返されるという見立ては甘いと思います。   

>現実的な政権交代という観点では、30年前と現在では決定的な違いがある。   

>それは有権者の意識の違いです。   

>今の国民は「いくら与党がダメでも、野党にも任せられない」と経験で学んでしまった。   

 

それは貴重な経験ですね。上面の御一新ではだめですね。      

 

>細川政権しかり、民主党政権しかり。   

>「与党崩壊型」で、「与党はもうダメだ」「ならば野党しかない」と投票した結果どうなったかを、国民はしっかり記憶している。   

 

そうですね。あれは貴重な経験でしたね。   

 

>政治の変化を実現するためのカギ   

>細川政権は1年と持たず、民主党政権もわずか3年で瓦解した。   

 

無哲学・能天気では政治に成りませんね。夢も希望も無い。政治家には政治哲学が必要です。時代の先取りが必要ですから。         

 

>その結果、自民党が返り咲いて長期政権が再開した。

 

元の木阿弥ですね。   

 

>あれほど舌鋒鋭く与党を批判していた野党も、いざ自分たちが政権を担えば、理想と現実が違うと分かり、慣れぬ政権運営に四苦八苦した挙げ句に尻すぼみに。   

 

野党には自民党に対する不満ばかりで、自己主張がない。意思が無いから被害者意識ばかりが高じていて、自己主張がない。      

 

>国民は振り回され、「どれだけ自民が不人気に陥っても、野党よりマシ」という実感を得てしまった。   

 

無哲学・能天気では、国はどうにもなりませんね。   

 

>そうした「野党不信」は今も続いています。   

>たとえば政治とカネ問題がちょうど炸裂していた2024年2月前半に時事通信社が行った世論調査では、岸田内閣支持率は16.9%と当然ながら急落していた。   

>危険水域とされる20%をはるかに下回り、不支持率は60.4%。   

>しかしここまで政権与党がグダグダになっても、野党の支持率は伸びていなかった。   

>立憲民主党4.1%、公明党3.6%、日本維新の会3.3%、共産党2.4%、国民民主党0.4%……。   

 

‘信無くば立たず’ ですね。   

民 (たみ) 信 (しん) 無 (な) くば立たず。(政治は民衆の信頼無くして成り立つものではない)  論語・顔淵   

無哲学の日本人には民を信頼させる術がない。   

 

>つまり、どれほど自民党の信頼が地に落ちても、野党への信頼が自動的に浮上するわけではない。   

>このままでは「政権交代」は見えてきません。   

 

そうですね。相変わらずの天下太平の世の中ですね。   

 

>では、どうすればいいか。   

>焦点となるのは、6割を超える「支持政党なし」の無党派層です。   

>「自民も嫌だが、野党もダメ」と判断している層の関心を、どれだけ惹きつけられるか、それが政治の変化を実現するためのカギとなります。   

 

そうですね。   

各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.      

日本人には意思が無い。意思の無い人には加害者意識 (罪の意識) もない。有るのは被害者意識ばかりである。これはアニマルも同じである。   

加害者意識は高じて罪の意識になる。病める魂の持ち主になる人もいる。これを救うのが印欧語族の宗教人である。贖罪や涅槃を用意して地獄から人を救い出すことである。印欧語族の人々にとって最も大切なことは加害者意識から逃れることである。    

印欧 (インド・ヨーロッパ) 語の文法には時制 (tense) というものがあるので、印欧語族は世界観 (world view) を持っている。未来の世界には ‘天国 (極楽)・ 地獄’も想定されている。彼らには哲学 (考え) という教義がある。だから彼らは ‘考える人’ (the thinking man) になる。英米流の高等教育を受けて論文を作ると哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph. D.) になることができる。彼らの高等教育は子供が大人になる為の哲学の教育である。        

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)    

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数19 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/08/12 13:11
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