2024年08月15日(木) 

 

>東京新聞   ><社説>終戦の日を前に 記憶を育て戦争に抗う   >17時間・   

> 空襲で焼けた街に立つ少女は、イタリアの世界的文学者、ダーチャ・マライーニさん(87)の遠い日の姿=写真。   

>第2次世界大戦が終わった1945年夏、人類学者で写真家の父フォスコさんが名古屋で撮影した貴重な一枚です。   

> 戦時中、日本で暮らしていたマライーニ一家には終戦までの約2年間、愛知県の外国人強制収容所に収監された経験があります。   

>同盟国だったイタリア人家族がなぜ収容所に入れられたのか。   

> 一家は38年、アイヌを研究するフォスコさんの北海道帝国大(現北大)留学に伴い来日しました。   

>ダーチャさんは当時2歳。   

>札幌から京都に移った41年に日米が開戦し、日本やドイツと三国同盟を結ぶイタリアが連合国に降伏した43年、一家の生活は急転します。   

>◆敵国人として強制収容   

> 失脚したムソリーニがナチス・ドイツの支援を受けて北イタリアにファシズム(独裁主義)の政権を樹立。   

>海外のイタリア人も新政権への忠誠を迫られ、自由や人権を尊ぶフォスコさんと母トパーツィアさんは拒んだため、7歳に近かったダーチャさん、日本生まれの妹2人までもが敵国人として名古屋の収容所に送られたのです。   

> そこは不衛生で、飢えと死の恐怖に苦しむまさに「牢獄(ろうごく)」。   

>冬は室内でも氷点下でした。   

>16人の民間イタリア人がいましたが、官憲に食料を横取りされ、皆、過酷な飢えで栄養失調になりました。   

> フォスコさんは官憲が捨てた野菜の皮や魚の骨などをあさり、食べ盛りのダーチャさんは石を食べ物に見立てて色を着け、口に含んだと作品に残しています。   

> 名古屋に空襲があった日、ダーチャさんはB29爆撃機と燃える街を見て「ドウシテ、パパチャン、ドウシテ」と言って泣いたそうです。   

>空襲が激しくなり疎開した農村の寺で終戦を迎えました。   

> ダーチャさんは62年に「バカンス」でデビュー。   

>反ファシズムやフェミニズムに立脚し、「牢獄からの解放」をテーマに小説や詩、戯曲を発表してきました。   

>国家の暴力や性暴力、抑圧された女性や子どもの声なき声を描く原点にあるのは、収容所の体験です。   

> ダーチャさんは戦後、何度も来日しています。   

>今年6月には「宮沢・レーン事件」の犠牲者で、北海道帝大の学生、宮沢弘幸さんの名誉回復を求める市民の招きで来日しました。   

> フォスコさんと親しかった宮沢さんは日米開戦の日、米国人の教員夫妻と話したことが軍機保護法違反とされ投獄。   

>戦後釈放されましたがほどなく亡くなりました。   

>宮沢さんの死は、ダーチャさんにとっても消えない痛みです。   

> 全国に延べ約60カ所あった外国人収容所のうち、反ファシズムの人々が集められた一家の収容所では幸い全員が生きて解放されました。   

>自由を取り戻した人々はどんなに喜びに浸ったことでしょう。   

> ダーチャさん自身は「残忍な官憲はいたが、収容所の外の人は私たちの味方だった。   

>官憲の拷問に屈せず、日本人の乳母は食料を届けようとしてくれたし、寺や村の人は親切だった。   

>だから日本への愛は消えなかった」と語ります。   

> しかし、日本政府は強制収容した外国人被害者に謝罪していません。   

>宮沢さんにも治安維持法の被害者にも、空襲被害者に対しても同様です。   

>戦後日本は民間人の戦争被害を放置してきたのです。   

 

そうですね。   

 

>◆痛みを顧みない権力者   

> ダーチャさんは昨年、「Vita mia(私の人生)」を刊行しました。   

>邦訳は今秋に出ます。   

> ウクライナやパレスチナで起きた新たな戦争の犠牲を避けたい一心で、思い出すのが辛(つら)かった収容所の体験を自伝の形で綴(つづ)ったのです。   

>どんなに痛ましくても忘れられない、後の自分を形成したあの時代を抱きしめるようにして…。   

> こんな一文があります。   

> 「収容所の恐ろしい体験は心の隅に追いやっておけと本能的に身を守ろうとする声が聞こえます。   

>でもその一方で、別の声がそっと責め立てるのです。   

>語って、思い出して、証言してと」(私訳)   

> 体験者の証言は想像力をかき立て、戦争反対のどんな理論や考察にも勝ると考える作家による、自らを励ますような言葉です。   

> そして「良心に基づく記憶を育てることが、現代の戦争に抗(あらが)う唯一の手段です」とも。   

> 権力者は犠牲を強いられる側の痛みを顧みません。   

>新たな戦争犠牲者を生まないために、体験者の声に触れ、記憶を受け継ぎ、犠牲を強いられる側の視点や想像力を養うことが必要です。   

>それは今を生きる私たちの責任なのです。   

 

日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任が無い。日本人は責任者捜しに苦労している。    

たとえば【英対する開戦の詔勅】では

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。   

となる。  

天皇の意思でなければ一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。  

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) 

だから事後処理はうやむやになる。兎角この世は無責任。  

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。    

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数28 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/08/15 01:48
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■最近のアルバム
■最近のファイル
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=859313