2024年09月01日(日) 

 

>FNNプライムオンライン   >河野太郎氏、首相になれば「閣僚・自民三役も派閥離脱」 被選挙権「18歳まで引き下げたらいい」   >FNNプライムオンラインによるストーリー・   >4時間   

>自民党の総裁選挙への立候補を表明している河野デジタル相は、フジテレビ「日曜報道 THE PRIME」に出演し、首相になったら、自分自身だけでなく閣僚や自民党の三役にも派閥を離脱するよう求める考えを示しました。   

>河野太郎デジタル相:   

>(Q.首相になったら麻生派を離脱すると表明しているが?)過去の自民党の総理総裁、総理になったら(派閥を)離脱する、総裁になったら離脱するということですから、その慣例に従いたい。   

 

そうですか。改革運動としての新鮮味がないですね。   

 

>河野総理になれば当然、閣僚3役(派閥を)離脱してもらうことになります。  

 

それは派閥の存在を前提にした政治ですね。派閥は政治哲学の無い議員の集まりですね。無哲学・能天気の議員を十把ひとからげにして派閥の領袖が数合わせをするキングメーカー成立の仕組みですね。      

 

>また、河野氏は番組後、記者団に対し、国政選挙や地方選挙に立候補できる被選挙権が、現在25歳以上や30歳以上となっていることについて、「若い人の政治参加が大事だ。   

 

若い人の投票離れが深刻な問題ですね。選挙権・被選挙権の年齢が問題ではなさそうですね。賞味期限を過ぎたような老人ばかりが立候補するのは、社会構造に重大な欠陥が存在しているのでしょうね。         

 

>選挙権は18歳だ。   

>被選挙権も18歳まで引き下げたらいいのではないか」と述べました。   

 

あなたは日本病の治療の仕方を間違えているのではないですか。若者中心の選挙をすべきですね。老人がいなくなれば、若者中心の選挙になる。   

 

さらに河野氏は、「オンライン投票も取り入れたい」と強調し、「在外邦人による選挙でオンライン投票を始め、特に問題なければ国内にも適用できるようにしたい」と述べました。   

 

問題は投票の手段にあるのではないでしょうね。夢と希望のある提案をする候補者が必要です。      

 

考えの無い人・日本人

日本人は思考を停止している。それで自分自身の意見が持てない。個人の意見は通らないと自他共に信じているのかもしれない。   

日本人には現実があって非現実が無い。事実の内容があって、非現実 (考え・哲学) の内容がない。  

日本人の宗教は儀式 (形式) があって、教義 (内容) がない。  

非現実が無いので、ことさら現実に拘ることになる。だから、現実は変えられない。強固な保守主義の民族になっている。   

世界観がないから、世界が動くとは考えられない。  

無哲学・能天気であるから、移行すべき次の世界が政治指導者から提唱されることは無い。次の世界の内容は自他共に論外になっている。

日本は何処へも行かない。それで日本は衰退途上国になっている。  

 

自由の無い国・日本  

自由とは意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。だから自由そのものにも意味がない。’不自由を常と思えば不足なし’ となる。   

日本人の自由とは恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由の事である。恣意は文にならないので意味も無い。恣意の自由は何処の国でも認められていない。恣意は ‘自由の履きちがえ’ となるからである。だから、不自由を常と思えば不足なしとなる。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。公文書のフリガナを ‘振りローマ字’ に変えるだけでも、それ相当の進歩に成りますね。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数29 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/09/01 17:35
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