2024年10月13日(日) 

 

>現代ビジネス   >「原爆投下は正当だった」アメリカ人学生の言葉に日本人精神科医が返した言葉   >内田舞(医師・小児神経科医)の意見・   >11時間・   

>世界は日本人が思う以上に原爆の悲劇を知らない   

>10月11日、2024年ノーベル平和賞に日本被団協「日本原水爆被害者団体協議会」が選ばれた。   

>広島・長崎に原爆が投下されてから79年の悲願がやっと実った形となった。   

>様々な国が受賞に関して報道し、79年前広島・長崎で何が起きたのか、日本被団協が長年発信してきた「核なき世界」への様々な活動やメッセージなども紹介された。   

>しかし、アメリカと日本では原爆投下に関して温度差は大きい。   

>「アメリカで第二次世界大戦について語られるのは、ヒットラーやユダヤ人大虐殺についてが中心です。   

>そして、映画やドラマといったメディアで題材として多く扱われるのは、第二次世界大戦後の冷戦に突入してからのロシアとの駆け引きばかり。   

>原爆投下に関しては、“投下した”という事実以外、ほとんど語られることがありません。   

 

そうですね。   

 

>実際にあのとき、広島や長崎にいた人々が体験した“人間としてのストーリー”は語られることがほとんどないのです」というのは、『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)、新刊『うつを生きる 精神科医と患者の対話』などの著書があるハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞さんだ。   

>内田さんの祖父は広島出身で、現在も多くの親戚が広島に暮らし、祖父や親戚から、原爆の体験について伝え聞くことが多かったという。   

>しかし、アメリカで暮らすと、原爆に対する意識は、日本と大きく異なる場面が多々あるという。   

>この内田さんの違和感は、調査報告にも示されている。   

>2015年の米国世論調査機関「ピュー・リサーチセンター」の調査では、広島と長崎への原爆投下について、18歳から29歳のアメリカの若者の47%が「正当だった」と解答している。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 

残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。  

 

>2023年7月、アメリカで映画『オッペンハイマー』公開されたことで、内田さんはアメリカと日本の原爆投下への意識の違いについて、原稿を寄稿した。   

>公開後、多くの人の共感を呼び、話題を集めた記事となった。   

>前編『原爆軽視が根付くアメリカ。   

>『オッペンハイマー』に日本人精神科医が今思うこと』に引き続き、内田さんがアメリカの学生たちと第二次世界大戦や原爆について対話したエピソードを再構成しお届けする。   

>アメリカの学生との対話で感じた想い   

>10年以上前のことですが、アメリカ人の学生とこんな会話がありました。   

>その学生は日本語を学び、日本を訪れたときに広島の原爆記念館を訪ねたそうです。   

>そこで日本人が「こんなことをしたアメリカ人は絶対に許せない」と言っていたのを聞き、それに反感を覚えたというのです。   

>「アメリカがあのタイミングで原爆投下して、どれだけ破壊力があるかを世界中に知らしめられたことで、冷戦中の核兵器使用が防がれた。   

>世界の滅亡を避けられたじゃないか。   

>大体、日本は被害者なのか。   

>ユダヤ人大虐殺をしたドイツと連盟を組んで、他のアジアの国にもひどいことをしたじゃないか。   

>それでいて第二次世界大戦といったら原爆投下の被害ばかり語るのっておかしくない?    

 

そうですね。   

日本人には意思が無い。だから、被害者意識はあっても加害者意識がない。被害者意識は恨み節である。日本人以外には関心が無い。日本人の場合は浪花節に成り大衆の慰みになる。      

 

>そもそも戦争中っていろんな国がめちゃくちゃひどいことをしたわけだから、日本が、日本が、って核兵器についてばかり言うのはおかしいと思う」

>その場にいた日本人は私ひとりだったので、とても孤独な状況でしたが、私は勇気を出してこう発言しました。   

>「日本が他国にした酷いことはもっと語られなければならない。   

 

そうですね。アジアで1000万人もの犠牲者を出した。      

 

>戦時中、日本国政府が日本国民に発したメッセージの問題に対しても、もっと学ばなければいけないことはたくさんある。   

 

日本国政府は将兵に自爆攻撃をさせていましたね。      

 

>日本国政府が当時、国際政治の中でよくない判断を下したことも間違いない」   

 

敗戦であったのに責任者がでなかった。   

 

>さらに続けてこう言いました。   

>「でも、それでも私は、日本から『Never Again(二度と繰り返さない)』というメッセージは発し続けなければならないと思う。   

>誰かの責任だということは簡単だけど、それだけが注目されるべき問題ではない。   

 

日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任が無い。日本人は責任者捜しに苦労している。    

たとえば【英対する開戦の詔勅】では

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。   

となる。  

天皇の意思でなければ一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。  

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’   (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)      

 

>日本に原爆が投下されたのは『冷戦での使用を防ぐための投下』というような、核戦争や核兵器についての議論を『理論的には』と、実体験から隔離した机上の空論のように語るのは良くないことだと思う。   

>実際、原爆投下後のヒロシマやナガサキでどれだけの人がどのように亡くなったのか……。    

>熱波で瞬間的に消えてしまった命、爆風にとばされた人、ガラスのかけらが体中に刺さった人、皮膚がとけ落ちてしまった人、ひどい火傷で川に飛び込んで亡くなった人、白血病で血を吐きながら亡くなった人、親を亡くした子どもたち……。もっともっと様々な生き様がそこにあり、その人々のストーリーなしには核兵器は語られるべきではない。   

>それがNever Againに繋がると思う」   

 

現実の内容だけを語っても現実の問題は解決しませんね。   

 

>さらに、同じ会話の中で、アメリカ人の大学生から「9.11とカミカゼ特攻隊を比べるのを嫌がる日本人がいるのもおかしい」という発言もありました。   

 

そうですね。   

 

>私は「航空機で突進する、という点で、9.11のテロリストとカミカゼ特攻隊の類似点はわかる。   

>そして戦争中ではないときに、一般市民を無差別殺人した9.11のテロリストと特攻隊の加害は違う、という人がいるのもわかる。   

>でも、何よりも『カミカゼ』という言葉でしか特攻隊のことを知らずにイメージするものと、実際の人のストーリーを通して抱くイメージは全く違うものだと思うよ」と話しました。   

>それぞれの立場で感じ方は違う   

>私は、両親が以前、鹿児島県にある「特攻の町」知覧を訪れたときに買ってきた本がとても印象的だったので、アメリカにも持って来ていました。   

>私は彼らにその本を見せ、そこに掲載されている、出陣前に親や好きな子宛に書いた特攻隊員の手紙を訳して伝えました。   

>「今更だけど読みたい本」の題名を綴った手紙、特攻への恐怖を綴った手紙、好きな子への想いを綴った手紙……。   

>写真を見るとまだあどけない10代の思春期の子どもの特攻隊員もいたことを伝えました。   

 

いい年をした日本人の大人が子供にやらせた非人道的な戦闘行為ですね。その責任者はどのような処分を受けたのですかね。      

 

>私の発言を聞いていたアメリカ人の友人達は、「単なる敵国のクレイジーな戦略だとしか教わってこなかったが、こんなに若い子たちだったなんて知らなかった……。   

>こんな子どもの兵士が、心の中では怖いと思いながら飛んでいたなんて考えたこともなかった」「舞が話してくれなかったら一生知らなかったと思う」とさまざまな感想を伝えてくれました。   

>このとき、日本人が私ひとりだったこともあり、日本の人のストーリーをここで語れるのは私しかいないという重圧と、だからこそ湧く使命感を感じ、「わかってもらえるだろうか」と不安を抱えながら、私なりの言葉で伝えたのですが、学生たちの優しい言葉を受けて、なんだかわからないような感情が溢れてきて、皆の前で泣いてしまいました。   

 

お涙頂戴ですかね。   

 

>このときの自分の言葉には何も後悔はありませんが、実はこの話には続きがあります。   

>後日、とても仲が良いシリア人とスペイン人のハーフの友人に「学生たちとこんな対話があったんだよ」と話すと、彼は「僕は9.11のテロリストと日本の特攻隊の違いはわかるけど、どちらも不道徳で腐敗した国家や権力の下で犠牲になった若者だったという点は同じなのではないかと思う」と、ちょっと怪訝な顔で言ったのです。   

 

それは正しい判断ですね。   

 

>この言葉を聞いて、私はシリア人である彼にとって、9.11にまつわる話題をアメリカで語ることがいかに居心地の悪いものであるか、そして同時多発テロだけでなく、実際内戦中のシリアで何が起きているのか、それが一般市民にとってはどのような経験なのか、そういった母国を持つ彼にとってこの話題はどんな思いなのか、といったことを考えずに話してしまったなと、ハッとしました。   

>私が謝ると、その場にいたもう一人の友だちが「同じことを話しても受け取り方が違うこと、またその背景にハッとすることや、『やっちゃった』という体験を通して、私たちの中で理解や共感が生まれるんじゃないかな」と語ってくれました。   

>確かに、互いの理解を深めるためには、対話を重ね知ることがなければ、理解や共感は生まれません。   

>とても大事な言葉をもらったと感じました。

>そう話してくれた友人はその後国境なき医師団に入り、シリアから亡命した難民の精神科医として活躍しました。   

>未だに仲の良い、尊敬している友人です。

(略)

>『ソーシャル ジャスティス小児精神科医、社会を診る 』より   

>私はこうして海外在住の日本人である私の経験を共有する機会をいただけて、とても光栄です。   

>そして、これからも日本の人間のストーリーを世界の中で語っていくつもりです。   

>こうしている今も、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナなど世界では武力での衝突が続き、核への脅威は非常に危ういところに来ていると感じます。   

>今回のノーベル平和賞は、そういった核の脅威が迫っていることのひとつの問題提起であるとことは確かです。   

>この受賞は活動されてきた日本被団協の方々の血のにじむ努力の賜であると同時に、私たちはその思いを引き継ぎ、発信し続けなければならないと、受賞のニュースをボストンで見ながら強く感じました。   

>ヒロシマ・ナガサキから「Never Again(二度と繰り返さない)」のメッセージを世界に広めていくこと、世界唯一の被爆国の日本だからこそできる、とても重要な平和へのアクションだと思うのです。   

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数16 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/10/13 20:46
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