2024年10月16日(水) 

 

>Record China   >ノーベル賞ならず、日本の科学研究能力の転落はどれほど深刻か―――中国メディア   >Record Chinaによるストーリー・   >9時間・   

>2024年10月13日、中国メディアの観察者網は日本人研究者がノーベル賞を取れなくなっている背景について論じた文章を掲載した。   

>著者は上海国際問題研究院情報所元所長の陳鴻斌(チェン・ホンビン)氏。   

>陳氏は、今年のノーベル生理学・医学賞、物理学賞、化学賞が相次いで発表され、いずれも日本からの選出はなかったと紹介し、「どうやら日本が今後ノーベル賞受賞の勢いを取り戻すのは難しそうだ」と指摘。   

>世界知的所有権機関(WIPO)が9月26日に発表した2024年版「グローバル・イノベーション・インデックス」ではかつて首位を独占していた日本が13位に転落し、アジアでもシンガポール、韓国、中国の後塵を拝する結果になったと説明した。   

>また、今年のノーベル物理学賞とノーベル化学賞はいずれも人工知能(AI)に関連する研究が対象となったことに触れ、「日本は世界的なAIの潮流に乗り遅れた」と言及。   

 

そうですね。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) が無い。これではハードウェア至上主義に成りますね。これは日本語文法のせいでしょうね。      

 

>文化的には日本社会に長らくハードウェア至上主義の考え方があり、AIアルゴリズムやソフトウェアの研究開発投資が不十分であること、教育的にはデータサイエンスやコンピュータサイエンスよりも伝統的な工学や技術教育に重点を置き、人材不足が生じていることを背景に挙げた。   

 

そうでしょうね。日本人は細工物に凝っていますね。      

 

>さらに、日本ではプライバシーへの懸念からビッグデータの収集や利用に比較的慎重であることも、データ駆動型のAI開発を妨げる要因になっているとの見方を示した。   

 

そうですね。    

 

>このほか、日本の研究者による論文発表数が20年前の世界4位から10位に落ち、特に質の高い論文数を示す指標の「引用回数上位10%論文」も20年前の4位から13位と大きく順位を下げたと指摘。  

 

そうですね。わが国では、 ‘受け売りと後追い’ の教育しか力を入れていませんからね。質の高い論文は無理ですね。      

 

>英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションが発表した世界大学ランキングではトップ100に入った日本の大学が28位の東京大学と55位の京都大学しかなかったとも紹介した。   

 

そうですね。日本人に高等教育は無理ですね。  

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。かれらの文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。未来時制を使って自己の意思を表すこともできるようになる。すると加害者意識も経験することになる。それが高じて罪の意識も理解できるようになる。深い反省にも陥るので原因の究明が行われる。うやむやにならない。魂の救済を必要とする人も出て来る。贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを話す言語である。日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかりでは学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育のお陰である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。     

 

>その上で、日本の研究や研究機関の質が低下している主な原因は、科学研究への投資がこの20年で全くといっていいほど増えていないことにあると指摘。   

 

そうですね。   

 

>さらにもう一つの原因として、研究者の科学研究に費やす時間が圧迫されていることを挙げ、02年には日本の大学教授の職務時間における科学研究の割合が46.5%だったのに対し、18年には32.9%にまで低下したことを紹介した。  

 

我が国に人手不足はあるが、頭脳不足は聞いたことがありませんね。きっとわが国には天下の秀才が揃っているからでしょうね。      

 

>また、さらに憂慮すべきこととして、研究規模や科学研究費助成の縮小により、多くの博士課程修了者やポストドクターが研究職に就けずアルバイトで生計を立てている点を挙げた。    

 

そうですね。わが国の学者は経済的に恵まれていませんね。わが国では職人でなければ尊敬されませんね。      

 

>陳氏は「日本はほとんど資源を持たない国だ。   

 

そうですね。わが国は天然資源の乏しい国ですね。国民は頭脳を使って生きるしかないですね。      

 

>科学技術の強力な支援がなければ、日本は今後、国際社会でどのような地位を維持できるだろうか。   

 

学問に力を入れなければわが国は、衰退途上国の道を歩むしかありませんね。   

 

>この状況は日本の多くの知識人から強い懸念を引き起こしている。   

 

我が国の知識人は無力ですからね。   

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者がいない。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、わが国の若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

>しかし、日本の政治家はこの点をあまり気にかけず、自分の地位が盤石かどうかだけを気にしている」と評した。   

 

そうですね。日本人は思考を停止していますからね。無哲学・能天気の政治家はわが国の癌ですね。   

日本人は無哲学・能天気である。政治哲学の無いわが国の政治家は政治的に相手を説得する方法は無いので政治屋になるしかない。

政治屋は信頼が得られないので考える。支持を得る奥の手は三バンである。三バンとは 地盤:選挙区と後援会・ 看板:知名度・ 鞄:資金力 である。    

序列による合力を利用する派閥に参加する。滅私奉公により派閥の領袖に付き従う。領袖は議員を十把ひとからげにして選挙の数合わせに使う。そして自分自身はキングメーカになる。だから派閥政治は無くならない。政治哲学の無い政治改革は掛け声ばかりに終わっている。政治屋は賽の河原の石積みずみに忙しい。日本人のその日暮らしの習慣はやまらない。        

 

>(編集・翻訳/川尻)   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるかもしれませんね。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数5 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/10/16 18:01
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