>ダイヤモンド・オンライン >学校と塾、どちらを信じるべき? →「合格力」で考えたら1択だった! >濱井正吾の意見・ >1日・ >「学校」と「塾・予備校」の教え方が違う場合、どちらを信用すればいいのでしょうか? >計9年間の浪人を経て早稲田大学に合格した経験を持つ筆者・濱井正吾(通称:9浪はまい)が、知人の実体験も踏まえて解説します。 >(教育ジャーナリスト 濱井正吾) > 私はかつて、家族の事情などで集中して勉強するのが難しい環境にいました。 >そこから仮面浪人を経験したり、社会人生活と並行して受験勉強を重ねたりする中で、難関大学合格への熱意が高まりました。 >そして9浪を経て、念願叶って早稲田大学に合格しました。 > 浪人を重ねる過程で、私はさまざまな勉強法や予備校を経験し、さまざまな受験生に会ってきました。 >事務や応対の仕事をしながら、受験生や受験生の親御さんとコミュニケーションをとっていた時期もあります。 >その中で、私が気になっていたのが、学校の先生の言うことと、塾・予備校講師が言うことが時に食い違うことです。
現実 (事実) の内容はひとつですね。両者が正しい事はありませんね。 非現実 (考え・哲学) の内容には正解が無数ですね。矛盾を含んでいない文は全て正しい考えを示していますね。
> 学校と塾・予備校で推奨する勉強法や勉強スタンスが違うと、どちらを信用していいかはわかりません。
正しい方を信用するのが学問の道ですね。
>私の通った予備校でも、地元の高校に通う生徒が、学校の先生から「私の授業さえ聞いていれば受かるから予備校に行くのをやめろ」と言われていたそうです。 > 彼は予備校に通い続けましたが、学校と予備校の指導のどちらを信用すればいいかが判断できず、受験に集中できなくなり、志望大学には合格できませんでした。 > そこで今回は、そのような板挟みにあう事例に遭遇した場合、どのようにすればいいのかを伝えたいと思います。 >教師と予備校講師の決定的な違い > 結論から言えば、予備校の講師の言うことを信じる方が無難です。
世俗的ですね。処世術の道ですね。
> なぜなら、教師は授業や授業の準備、採点、指導案の作成といった教科指導に加えて、人格面や生活面の指導、さらには部活動の顧問もしなければならないからです。 > 完全なオーバーワークであるため、多くの場合、一人一人の志望校について、詳しく準備している時間はありません。 > もちろん、学校教師にも受験指導が得意な人は大勢いますし、志望校に関してのノウハウを持っている人もいます。 > しかしやはり、「生徒の成績を伸ばす」「生徒を志望校に合格させる」という点への専門性が長けているのは、毎年たくさんの生徒を送り出し、豊富なデータをじっくり時間をかけて分析し、提供できる塾・予備校の講師なのではないかと思います。 > 予備校の費用は、何も講師に指導してもらうだけではなく、そのノウハウや合格実績という面も含まれているわけです。 >「受験の裏技」嫌う先生も > また、学校の先生の課す定期試験では、たとえ正解であっても、学校で教えていないテクニックを使用した場合、正解とみなさない場合もあります。 > たとえば、私の地元の予備校には京都大学志望の生徒が通っていました。 >彼はセンター試験で9割近くを獲得するほどの成績でしたが、通学圏に京都大学の合格者を出すような進学校がなかったため、家から通える偏差値60程度の高校に通っていました。 > 高校での成績が1番に近かった彼は、学校の授業の内容が簡単で進度が遅いことに悩んでいましたが、試験での採点についても不満があったようです。 > たとえば、彼は塾・予備校で数学の講師が教えた、「回答時間を削減できる、覚えておくと受験で役立つ解法」をマスターしていました。 > 数学が大得意だった彼は、学校の定期試験でもその”裏技”を用いて回答したのですが、答えまですべて完璧に合っていたにかかわらず、△をつけられて減点されたそうです。 > その理由は、「学校の教科書に載っていない解法を使い回答したから」というものでしたが、その説明に納得がいかなかった生徒は「先生がこの解法を分かってないから、合っているかどうか判断できなかっただけだろ」と怒っていました。
曲学阿世ですね。(曲学阿世: 真理に背いた学問で時勢におもねること)
> あくまで「成績を伸ばす」「受験で合格する」ことを目標に設定した場合ですが、どちらを信用するかどうかで悩んだら、塾・予備校の方を信用するのが無難でしょう。
それは処世術 (損得勘定) ですね。学問 (非現実) ではありませんね。
>信用できる学校の先生の教えとは? > しかし、もちろん例外も考えられます。 >塾・予備校の講師にも過去の自分の仕事にあぐらをかいた適当な指導をしている人はいますし、学校の先生でも受験についてのアドバイスを信用できる人は大勢います。 > 受験関係で学校の先生の教えを信用していいのは、受験生の志望校を、先生が出ていた場合です。 > たしかにその先生はもう大学に合格してからだいぶ時間が経っていますし、最新の出身大学の受験動向までは情報が追いつけていないかもしれません。 > しかし、年代は変わって出題方法が変わっていても、大学が求めているエッセンスは変わりません。 > どのように対策をしたのか、どうやって勉強をしたのかといった「先生の合格体験記」を聞きとることで、自分の志望校の対策に活かすことはできます。 >何より先生の大学時代の体験を知ることは、自分が実際に志望校に合格した後の大きなモチベーションになります。 > 実際に中国地方から早稲田大学に合格した私の知人は、学生時代の恩師が早稲田であったため、学校時代の話をたくさん聞いたことによって早稲田に入りたくなったそうです。 > 学校の教員は、自分たちとは異質の存在であると捉えてしまいがちですが、先生の受験時代を聞くことで、大人にも自分たちと同じような時代があったのだと感じていただければ、大きな受験のモチベーションになるのではないでしょうか。
英米の高等教育は子供が大人になる為の教育である。子供は現実 (事実) に関する知識のみを持っているが、大人には非現実 (考え・哲学) に関する知識もある。それを若者に持たせるのが彼らの高等教育である。 日本語には非現実を内容とする構文がない。それは日本語文法には時制 (tense) というものが無いからである。日本人には非現実に関する知識がないのでわが国では英米の高等教育がなりたたない。だから、現実ばかりの日本人は子供らしくみえる。 非現実の内容を現実の内容に転換する方法を見つけることができたら、それは人間固有の創造力を発揮したことになる。日本人はその創造力に欠けている。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるかもしれませんね。
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