>まいどなニュース >ルールを定める国会で首相が「ルールを守る」ことを約束する滑稽さ「信無くば―」はどこに >まいどなニュースの意見・ >13時間・ > コントに見えるのは、私だけではないだろう。 >日本のルールを定める国会で、首相が真顔で「ルールを守る」ことをお約束するのだから、笑うしかない。
「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
> 記者は20年近く前から政治取材に関ってきたが、裏金など政治不信の話題は事欠かない。 >そのたびに政治家たちはある言葉を口にする。 >「信無くば立たず」。 >慌ただしく閉会した先の臨時国会でも、やはり出た。 >政治は民の信頼無くして成り立たないという意味だ。 > この言葉は、記者の頭の中では野党時代の自民党総裁、谷垣禎一さんと結びついている。 >失墜した自民の信頼回復役を担った谷垣さんは、国会や党大会で何度も「信無くば-」と訴えた。 >当時は、民主党政権が信頼を失っていく時期。 >谷垣さんの誠実な人柄もあってか「自民は生まれ変わるのかも」と、言葉に力を感じたものだった。 > 出典は論語。 >意訳すれば、次のような話となる。 > 孔子が政治で大切なこととして食、軍備、民の信頼を挙げたのに対し、弟子が「やむを得ずどれかを捨てるならどれか」と質問。 >孔子は「まず軍備。次は食」と答えた上で「民信無くば立たず」と諭した-。 > 大国同士が覇権を争った古代中国で、よくこんな教えを説けたものだと感心する。 >そういえば、現代日本の政治家は安全保障環境の変化を受けた防衛力強化や、今夏のコメ不足を踏まえた食の確保を訴えている。 >晩酌しながら論語を読み返すうち、孔子が「民の信頼が無ければ、安全保障政策も食料政策も、何も成し遂げることはできない」と、忠告しているように思えてきた。 > 孔子は晩年は不遇だったという。 >谷垣さんも政権奪還直前に自民の権力闘争に敗れ、首相になれなかった。 >ルールも守れない政治家たちは「現実の政治の中で権力を握り世界と渡り合うには、きれい事は役に立たない」と、「信無くば-」の言葉を内心小ばかにしているかもしれない。
そうですね。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。非現実がないから、現実の上に胡坐をかいて安心して居られる。これは浅はかではなかろうか。 マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。
(まいどなニュース/京都新聞)
|