2025年02月28日(金) 

 

>現代ビジネス   >若者を大事にしない高齢ニッポンが、大復活するために必要な「英才教育」という切り札   >河合雅司 (作家・ジャーナリスト) によるストーリー・   >15時間・   

(略)   

>タフさを体得するために、国費留学を   

>人口減少日本にとって、若い人々は宝である。   

>その才能を育てていくことがこれから最も必要なことだ。   

>本書が最後に伝えたい切り札は、英才教育の必要性である。   

>教育は「国家百年の計」であるが、資源小国である日本は優秀な人材を輩出し続けられるかどうかが国運を左右すると言ってよい。   

 

そうですね。   

 

>イノベーションにしても、新しい文化の創造にしても、一朝一夕に生み出されるものではない。   

>無駄と思えるような研究に打ち込み、あるいは世界の激しい競争環境に身を置く中で、数知れぬトライアル・アンド・エラーを繰り返しながら掴み取るものだ。   

>よほどの粘り腰で取り掛かる必要がある。   

>しかしながら"無難さ"が大手を振って歩く社会環境の中で学んでいたのでは、知識は身に付いても、新たな発想力や突破力、リーダーとしての資質を身に付けることは難しい。   

 

そうですね。   

 

>すでに日本は、国際特許の出願や、将来の科学技術を裏付ける論文数で、米中などに大きく遅れをとっている。   

>それどころか、若い世代が大きく減る今後の日本社会では、新入社員までが"即戦力"として絶えず結果を求められるようになる。   

>そうなったのでは余裕がなくなり、当座の成績を上げるべく前例踏襲に飛びつかざるを得ないだろう。   

 

以前からある有職故実が盛んになるのですね。   

 

>時代や組織に新風を吹き込むどころか、新入社員でありながら中高年と同じ発想となってしまい、とても新しいものを生み出すことなどできない。   

>それこそ、「社会の老化」を加速させることとなる。

 

それはイージーな方法ですね。   

 

>こうした状況の打開には突破力を要する。   

>さらに、そうした人材を輩出するためにリーダーとなり得る若者たちを英才教育でもって育成し続けることである。   

>第2の切り札として提言した「飛び入学」制度と連動させていくのもよい。   

>英才教育には2つある。   

>1つは国費留学だ。   

>人口減少社会を切り拓いていくエリート人材を育てるために、国を挙げてバックアップしていくことである。   

 

海外留学には日本人の人気が無いのが問題ですね。   

 

>「社会の老化」を跳ね返す人材を育成するには、優秀な成績の人が世界の一流人材が集まる環境に身を置いてタフさを体得することが不可欠である。   

>社会の激変への対応力であるタフさこそ、人口減少社会において最も必要とされる能力だ。   

 

そうですね。だが、日本人には意思がない。   

 

>固定観念にとらわれぬ発想力、価値観の異なる人々の理解を得るための説得力、前提がどんどん変わっても臨機応変にこなしていく忍耐力や柔軟さを欠いたのでは、「社会の老化」を跳ね返すことはできない。   

 

そうですね。   

 

>こうした「しなやかさ」と言うべき能力は学校で学べるものではなく、実生活の中のさまざまな体験を積み重ねることによって身に付けていかざるを得ない。   

>こうした観点からも、学生や社会人2~3年目といった年代の人々が海外の大学で学び、あるいは国際舞台で活躍する機会を得ることには大きな意義がある。   

 

子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。

英米流の高等教育は子供に哲学を獲得させるための教育である。

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。

子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。

 

英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。

未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。    

意思を表すと加害者意識も経験することになる。

それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になる。   

深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。     

事故の原因究明がうやむやにはならない。

 

魂の救済を必要とする人も出て来る。   

贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。   

こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。   

だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。   

 

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。

日本語は現実の内容だけを話す言語である。写生画の言語であるとも言われている。   

日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。   

だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。   

嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

 

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

 

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。   

難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。

世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっていて、国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。     

「中国は悪だが、日本はもっと邪悪だ、中国にダンピングや過剰生産の方法を教えたのは日本だ」「日本は1945年から何も学んでない。米国がいかに優れていて、寛大なのか、分かっていない」 (クリフス社のゴンカルベスCEO)   

日本人には現実があって非現実がない。日本人の教育は戦前戦後を通じて実学 (技術) があって、虚学?(哲学)がない。だから‘あるべき姿’を追求する学問がないので高尚な議論が出来ない。欲得ずくのかけひきしか考えていない。それで日本人は相手からの信用が得られない。  

日本人には意思がない。だから加害者意識も無く、罪の意識もない。在るのは被害者意識だけである。天真爛漫としていて、自分自身が邪悪などとても信じられない。だから子供じみている。 

 

>「結果の平等」よりも「チャンスの平等」を   

>英才教育のもう1つは、「国家として必要な分野」の人材の育成である。   

>勤労世代が激減していく今後の日本は、各分野で人材が少なくなっていく。   

>「社会の老化」は人々の関心を遠い将来よりも目先の課題に向けさせるため、現時点での人材不足分野の手当てを求める声が強くなるだろう。   

>しかしながら、場当たり的に人手不足の分野の手当てをしていたのでは、社会全体としての辻褄が合わなくなる。

 

そうですね。我が国には人手不足の話はあっても、頭脳不足の話は無いですね。思考を停止している人たちの社会には頭脳は必要ないですかね。      

 

>分かりやすいのが、医学分野だ。    

>政府は、高齢化に伴う患者増で医師が不足するという予測に基づいて医学部の定員増に踏み切った。   

>だが、医師だけを増やしても問題が解決するわけではない。   

>需要が伸びれば、看護師をはじめさまざまなスタッフも不足するからだ。   

>新型コロナウイルスの感染拡大によって医療崩壊が現実のものとなり、医師や看護師はもとより、検査技師や保健師の不足が指摘されると、さらに人の手当てをすべきだという世論が強まった。   

>だからといって医学関係学部の増員を図り、優秀な人材をどんどん送り込んでいったら、今度は他の分野の専門家が不足してしまう。   

>例えば、現在の日本には最先端のデジタル人材が圧倒的に不足している。   

>社会基盤をつくるこうした分野の層が薄くなれば、日本の根幹を揺るがす。   

>それどころかサイバー攻撃は激しさを増しており、安全保障上の危機を抱え込むことにもなりかねない。    

>とはいえ職業選択の自由が保障された日本で、強制的に特定の職種を増やすことはできない。   

>そこで政府が「国家として必要」と判断した分野に限り人数を限定して、学費のみならず下宿費用などの学ぶために必要な経費のすべてを、国費で負担するのである。   

>日本の将来の発展に大きく関わる分野を背負って立つ優秀な人材を見出し、育成していくことは社会全体の利益となる。   

>成長を見込めない分野にこだわる企業が少なくない中、成長分野への人材シフトの流れをつくることは、「社会の老化」を遅らせることにもなる。   

>一学年当たりの学生・生徒数が多かった時代は、大勢で競い合う中から才能のある人材が自然と出てきたが、若い世代の絶対数が減った以上、それは期待できない。   

>意欲と能力を兼ね備えた若者に、専門知識を深く学ぶ機会を意識的に用意するしかないのである。   

>国費を使った英才教育には批判もあるだろう。   

>戦後の日本では一貫して「結果の平等」が重んじられてきただけに、「不公平だ」という声も予想される。   

>こうした批判を回避するには、等しく誰にもチャンスが与えられるようにすることである。   

 

そうですね。    

 

>まずは政府が、募集する分野の人材がどうして国家として必要なのかを明快に説明した上で、公募として採用試験を課す。   

>さらに、国費で英才教育を受けた人には、身に付けた知識や技能、人脈を日本社会に還元するよう義務付ける。   

>例えば、一定期間は国家公務員などとして国家の仕事に就くことを条件として課すなどである。   

>「社会の老化」がもたらす停滞やチャレンジマインドの冷え込みを考えれば、これからの時代は「結果の平等」ではなく、誰もが努力すれば機会を得られる「チャンスの平等」を尊重する社会に変えていくことが不可欠となる。   

>若くして職人技を学ぶ人も不可欠   

>英才教育については、すでにスポーツ分野において、強化指定選手を選考するなど一歩踏み出しているが、スポーツに限らず、芸術や研究分野においても求められるだろう。   

>英才教育は明治時代には盛んに行われていた。   

>西洋の技術を取り入れるべく、優秀な若者を国費留学させ、あるいは外国から招いた専門家に学ばせた。   

>こうして専門知識を身に付けた若い世代がそれぞれの分野のリーダーとなって後進の育成に努め、近代国家としての礎を築いていった。   

 

それは猿真似の時代の事ですね。   

 

>「社会の老化」という国家の病巣が露呈した中にあって、再び我が国の礎を築き直さなければならない。   

>国家戦略として、少なくなる有意な人材の才能を伸ばす政策を講じなければ、あらゆる分野で衰退を招くだろう。   

>一方、「国家として必要な分野」の人材の育成をするには、大学など教育機関側の役割も大きく変えざるを得ない。   

>多くの大学は組織維持のために受験生が関心を持つような学部名に変えたり、短期大学を四年制大学に改組したりといったことを繰り返してきた。   

>だが、「社会の老化」を跳ね返すには、優秀な学生を育成し得る大学に集中的に予算を投じるべきだ。   

>一人一人にかける教育のレベルと質を高め、より高度な能力を持つ人材として育てることが求められる。   

>他方、英才教育でリーダーとしての役割を担う人材や「国家として必要な分野」の人材だけを育成していたのでは世の中は回らなくなる。   

>日常生活を支える技術者や職人が不足したら、社会は機能しなくなるからだ。   

>あらゆる分野で人手不足が広がっていくことを考えれば、若くして職人技を学ぶ人たちも不可欠である。   

>そこで同時に、身に付けた技能が社会的ステータスとして正しく評価される認定制度を国としてつくり、相応の収入を得られるような仕組みを整える。   

 

実学 (技術) は日本人の伝統的な得意分野ですね。   

 

>ここまで、日本の好機を生かすための切り札を提言してきた。   

>若い世代は「国の宝」であり、その輝きが少しでも増すように後押ししなければならない。   

>そして、「国の宝」がその数を減らしていく以上、なるべくバラバラにしないようにすることだ。   

>若い世代は人数が少なくなってきたといっても、寄り集まりさえすればまだまだそれなりの規模となり、パワーを発揮し得る。   

 

個人が力を発揮すると頼りになりますね。   

 

>膨大なエネルギーと可能性を秘めた若い世代が伸び伸びと活躍できる場をつくり、そこで無数の才能が融合したとすれば、「社会の老化」を押し返すばかりか、日本の苦境を希望に転じることだって必ずできるのだ。   

 

外国人にもわが国の技術を伝授したいですね。そうすれば、わが国の一大勢力になります。      

 

(略)   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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