2025年04月02日(水) 

 

>朝日新聞   >推進論は「家解体のイデオロギー」自民保守派、夫婦別姓反対の提言   >朝日新聞社によるストーリー・   >13時間・   

> 選択的夫婦別姓の推進論は、「個人としての自分らしさ」が強く主張されてきた戦後80年の社会のあり方をあぶり出している――。   

>自民党の保守系グループ「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」(代表=青山繁晴参院議員)は1日、そんな認識のもと、選択的夫婦別姓の導入に反対する提言を、鈴木馨祐法相に手渡した。   

 

人間序列は日本の尊厳・国益であると無条件で考えられていますね。日本語の文法に階称 (hierarchy) というものがありますからね。階称を毎日使っていれば、この判断は避けられませんね。        

 

> 提言を手渡したのは、青山氏のほか、山谷えり子、和田政宗両参院議員ら。   

>青山氏は「選択的別氏制度は導入しないでいただきたい」などと求めた。   

>これに対して、鈴木法相は「国民の間にも様々な意見があるので、国会において議論をいただきたいということで、我々としては情報提供に努めている」と述べた。   

 

印欧語には階称が無いので、世界の大勢からは日本人のこのような悩みは理解されませんね。   

 

>■「こういう考え方が自民党に一番多い」   

> 提言では、推進派の主張ではアイデンティティーが強調され、「個人としての自分らしさ」という意味で使われる傾向があるが、「共同体の一員としての自分らしさ」もまたアイデンティティーだと指摘。   

 

個性の反義語は没個性である。

没個性が個人主義の敵であり、人間序列の味方である。つまり人間序列は没個性でなければ成り立たないのである。      

個人主義が世界の体制なら、没個性 (人間序列) は反体制である。   

 

>▽「同一戸籍・同一氏」の原則の変更は、必然的に「家族氏」を消滅させるため、現行の原則を堅持する   

 

反体制の堅持ですね。日本語文法の行き着くところですね。      

 

>▽旧姓使用のさらなる拡充や旧姓使用に対する法的根拠の付与で対処する――など8項目を提言した。   

 

こうした姑息的な手段では、体制―反体制の矛盾からは逃れられないですね。   

 

> 8項目の中では、推進論には「『家概念の解体』という特定のイデオロギーによる思惑がある」とも強調。   

 

そうですね。家の概念の解体は、国体の概念の解体に通じていますね。序列メンタリィティのさらなる危機ですね。         

 

>国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)の勧告が引用されることもあるとしたうえで、CEDAWが皇室典範の改正を勧告したことを念頭に、「同委員会は皇位が父系一系で維持されることを女性差別とするなど(日本の)文化的背景への理解を大きく欠く面がある」と指摘した。   

 

そうですね。日本人は現実肯定主義ですからね。   

印欧語族の文法には時制 (tense) というものがある。時制は過去・現在・未来とか前世・現世・来世の構文をつくって考えの内容を表す。意思を表す文も作る。  

意思がある人間は加害者意識を感じることになる。それが高じると罪の意識になる。魂の救済を必要とする人も出て来る。プロの宗教家が現れて贖罪とか涅槃を得る指導をする。   

考え (非現実) は文章として表されるから哲学になる。昔はストア派とかスコラ哲学とかインド哲学が発達した。彼らは学問 (哲学) の府を建設した。       

日本人の場合は形式 (事実) があって内容 (考え) が無い。現実 (事実) は頭の外にあって、非現実 (考え) が頭の中にない。だから、日本人には英米流の高等教育が成り立たない。海外留学がわが国では流行らない。   

生まれた時には宮参り、結婚式はキリスト教会、葬儀の時は仏式のご厄介になる。これは、良い気分・雰囲気を追及した結果である。思考を停止している人間ならそれで済む。   

日本の文化には形式 (儀式) があって内容 (教義) が無い。だからそれだけ余計に形式に拘ることになる。日本人は改革に対する抵抗勢力に成りやすい。  

 

> 「夫婦の氏制度を議論することは、天皇陛下のご存在と皇室のあり方とは何ら関係しないことに深く留意する」との項目も盛り込んだ。

 

夫婦の氏制度も、皇室在り方も、我らの序列メンタリィティの賜物ものですね。   

 

> 青山氏は記者団に、「こういう考え方が自民党の議員集団に一番多いと思う」と語った。   

>同会には衆参の約80人が参加しているという。   

>(二階堂友紀)   

 

日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。    

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数34 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/04/02 11:54
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