
>ダイヤモンド・オンライン >【東大が上で、Fランが下】大学序列に取り憑かれてしまった人が迎える悲しすぎる結末 >びーやまによるストーリー・ >9時間・ >「大学受験」は10代における最大のイベントです。 >残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。 >それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。
そうですね。
>そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売されました。 >本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。 >本記事では発刊を記念して本文の『はじめに』より一部を抜粋・再編集してお届けします。 >人生を狂わせかねない「序列社会」 > 大学受験が終わっても、当然人生は続いていきます。 >むしろ、大学合格はゴールではなくはじまりです。 >ときには、大学受験よりも過酷な競争に皆さんが巻き込まれることもあるでしょう。 > そんな競争社会に長くいると、偏った価値観に心が支配されてしまうことがあるので気をつけましょう。 > 大学受験もそうですが、世の中のほとんどのものには序列があります。 >「偏差値」や「企業規模」「ブランド」、そのほかにも「会社内での序列(出世できるか否か)」などその種類はさまざまです。 > こういった序列の代表格が大学群です。 >「旧帝大」や「早慶上理」、「MARCH」「関関同立」など、受験生である皆さんならある程度順番をつけられると思います。 > こういった序列による競争は健全であれば成長を促すものなので、僕は否定しませんが、一方で序列だけで世の中を見てしまうのはおすすめできません。 > なぜなら、人生における「幸せ」の価値観は人によってさまざまだからです。 > 当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれませんが、これは非常に重要なことです。 > 今の時代、世の中の大抵のことは数値化できますが、いまだに「幸せ」だけは数値化ができません。 >当然、比較してどっちが優れているということも決められません。 > 皆さんから見た大金持ちも、もしかしたら内心は自分を不幸だと思っているかもしれないですし、周りからは貧しくてかわいそうに見える人も、自分の人生にとても満足しているかもしれません。 > もうおわかりのとおり、「幸せ」だけはその人のなかにしか答えがありません。 >「高学歴だから必ず幸せになれる」わけでも、「有名企業に勤めているから必ず幸せになれる」わけでもありません。 > しかし、これだけの競争社会、序列社会に身を置くと、少しでも序列の上のポジションに行くことだけが幸せなのではないかと人は錯覚してしまいます。 >「他人軸」で生きるか、「自分軸」で生きるか > たとえば、「俺は絶対に東大に行くんだ。 >なかでも文科一類じゃないとダメだ。 >そのあとは法学部に進んで官僚になろう。 >より影響力の大きい省庁に行こう。 >そのあとは……。」 > どうでしょうか。 >本人が本当にやりたいことなのであれば、それでいいですが、そうでないならばこの人生の選び方は「世間の評価が高いから」以外になんの価値もありません。 > これを僕は、「他人軸で生きている人」と定義しています。 > 他人軸で生きている限り、一生幸せになることはできません。 > 本当の幸せとは、「自分軸で生きる」ことです。 > 自分がどうしたら幸せになれるかは、世間的な序列の外側にあることがほとんどです。
そうですね。
>序列社会に巻き込まれることはあれど、序列社会の上に行けば幸せになれるわけではありません。 > つまり、「自分はこうあったら幸せ」「自分の本当にやりたいことはこれ」という「自分軸」を知っていて、それに沿って生きている人が真の幸せな人なのです。 > 僕は学歴が好きですが、学歴が高い人が好きなわけではありません。 >自分の学歴を愛している人が好きです。 >卑屈にならず、自分の学歴に誇りを持ち、楽しそうに生きている人のことを「かっこいい」と思います。 > 当然それは大卒に限りません。 >中卒だろうが、高卒だろうが、院卒だろうが、偏差値の高い大学だろうが、低い大学だろうが、結局は自分の人生を楽しんでいる人が一番です。 > 学歴をはじめ、どんな人生でも「幸せかどうか」だけは自分にしか決めることができません。 >皆さんの人生がいいものであるかの「判定員」は常に皆さんだけです。 >誰かにその権利を与えてはいけません。 > 世間の評価ではなく、皆さん自身の基準で「本当の勝ち組」になりましょう。
そうですね。 日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。
>びーやま[著] >教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』のツッコミ担当。 >早稲田大学教育学部卒。 >高校時代の偏差値は37だったが、1年間の浪人を経て早稲田大学に入学。 >大学時代は起業・自主退学・復学など、さまざまな経験をしたのち、大学受験のすばらしさに気づき現在に至る。 >甘いルックスと鋭いツッコミ(たまにポンコツ)で視聴者の心を掴んでいる。 >決め台詞は学歴モンスターの相方・高田ふーみんを制止する「ヤメロオマエ」。 >高田ふーみん[協力] >教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』にて「学歴至上主義」を貫く学歴モンスター。 >京都大学経済学部中退(現役合格)。 >学歴を絶対の価値基準とする偏った思想を持つヒール役として受験生や大学生を中心に人気を博している。 >決め台詞は「Fランやないか」。
子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。 英米流の高等教育は子供に哲学を獲得させるための教育である。 英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。 子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。
英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。 未来時制の構文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。 自己の意思を表すと加害者意識も経験することになる。 それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になり入信する人もいる。 深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。 事故の原因究明がうやむやにはできない様な心構えになる。
魂の救済を必要とする人も出て来る。 贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。 こうした過程を経て浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。 だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。
哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。 日本語は現実の内容だけを話す言語である。写生画の言語であるとも言われている。 日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。 だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。 嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。
当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。 難関出身者が序列社会で優位に立つことばかりを気にしている大型の子供たちである。 世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっていて、国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。
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我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
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