>ダイヤモンド・オンライン >「注意できないから…」外国人観光客の迷惑行為うぃ見たとき、絶対NGな対応とは? >武藤弘樹の意見・ >9時間・ (略) > 日本の良い所として最近よくシェアされているのは主に、治安の良さと「民度」の高さ、それらによってもたらされる街の清潔さである。 >なので、そういったものを外国人観光客が配慮なくそれらを損なっていく様子を見ると日本人はすごく残念がる。
外国人は日本人となれ合っていませんからね。
> なお、近年の移民受け入れ推進政策に対する不満と不安は、しばしば外国人観光客への反感と結びついて捉えられている。
言葉が通じない相手には、怒るより外に手がないということか。国際的な解決方法はないものか。
>「外国人=外敵」のような極端な捉えられ方がまかり通ってしまうシーンがたまにあるのは、政情への不安がおおいに関係しているように思う。 >インバウンドへの反感と、移民受け入れ政策への反感が混然と絡み合って、今爆発しているわけである。
どちらも島国根性が発生源ですね。
>不満の声に見える「問題意識」 >インバウンド危惧が増している理由は? > 外国人観光客への不満の声や問題提起には次のようなものがある。 >・嘆かわしい。 >・お金を落としてくれるのはありがたいけど……。 >・無計画に受け入れるから問題が出てきている。
無計画は受け入れ側の問題ですね。
>・注意喚起やマナー向上の呼びかけを観光客に対してもっとするべき(観光庁がマナー啓発動画を制作・配布するなどしてはいる)。
そうですね。官公庁の働きが不十分ですね。
>・日本側の各施設、場合によっては警察も含めて、無法な振る舞いには毅然と対応すべき。
そうですね。’郷に入っては郷に従え’ ですね。
> なお、こうした不満の声の裏に、少数ながら日本の至らなさを指摘するものもある。 >・日本人にもマナーが悪い人はそれなりの数いるので、外国人観光客が目立つからと言って彼らばかりを責めるのは疑問。 >・経済で落ち目の日本(※筆者注:その人の主観です)がごちゃごちゃ言う資格はなく、黙って外国人観光客を受け入れるしかない。 > 両者とも立場は違えど現状に何かしらの問題意識を持っている。 >だがインバウンド危惧派の方が圧倒的にマジョリティなので、両者の間で議論はあまり活発には起きていないように見える。 > 外国人観光客への不安・不満がここ最近でこれほど募ってきた理由は何か。 > これはおそらくいくつもの原因が重層的に影響し合ってこうなっているので、一言で「こう!」とは説明しがたい。 >主なところでは次のような原因が想定される。 > まず、うがった見方だが、日本の新たなストロングポイントとして「民度の高さ」が推されているかもしれない。 >生活は金銭的な面で長いこと不安定だしGDPは他国に抜かれるし、経済の代わりに誇れることとして「民度の高さ」に注目が集まっている可能性が一点。 >※ちなみにここでの「民度」とは、マナーや法律を守る常識的な人の割合、ぐらいの意味である。 > 次に、国民感情の大きな流れである。 >日本では一昔~二昔前から自国を改めて愛そうとする傾向が強まってきている。 >たとえば「自虐史観」という言葉は1990年代から一部の学派を中心に打破するべき対象としてよく用いられるようになった。
日本人には意思がない。これは幼児の場合と同じである。だから加害者意識がない。日本人は罪の意識に無縁であるから、他人から自己の加害 (罪) を指摘されるとそれは自虐に勧め受け取られかねない。 ‘罪悪感を国民に植え付けるプログラム’ (WGIP: War Guilt Information Program) とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。カエルの面に水でした。わが国からは戦争犯罪人は一人も出していません。意思の無い人間に罪の存在を理解させるのは難しいからです。従ってわが国の全ての宗教は罪と離れたところに存在します。日本人には贖罪の必要がない。罪の意識に苛まれる病める魂の持ち主を救済する必要がないからです。
> また、外国人視点で日本の良さを発見するTV番組、その火付け役となった「YOUは何しに日本へ?」(テレビ東京)は2013年が放送開始である。 >こうした経緯を経て日本の良さが広く再認識・再自覚され、もはやイデオロギーとなっていった。 > だから、先日ある外国人がSNSで日本を褒める際に「日本は本当に美しい国。 >その幸運に感謝すべき」という言い回しをしたとき、結構多くの日本人がそれに対して怒っていた。 >「これは単なる降って湧いた幸運ではなく、ひとりひとりの努力と節制によって得たもの」というわけである。
そうですね。日本人には人為 (現実) があって、天意 (非現実) がない。
> その外国人にどれほどの意図があったのかは知れないが(幸運を喜ぶ「Thanks God」という言葉もあるくらい言語と文化の土壌が違うから、日本人の努力をないがしろにする意図はもしかしたらなかったかもしれない)、その言葉に対して一致団結して怒れるほど、日本人は自分たちの美徳を自分たちのものとしてシェアできていることがうかがわれた。
日本人には現実があって、非現実がない。だから、全員が現実肯定主義者となっている。
> そうした日本人による日本愛を、わかりやすい形で踏みにじりがちなのが外国人観光客……というわけである。 >歴史上かつてないほど「日本人」を意識させられる日本人たち > 幸運、といえば、日本が島国で外国からの影響を良くも悪くも地政学的に受けにくい環境にあったことは、今日の日本が形成される上でたしかに「幸運」であったに違いない。 > しかしその環境があったために日本人は外国というものをあまりリアルにイメージしてこられなかった。 >地続きの国境を挟んで隣国とバチバチに緊張してきた諸外国に比べれば、日本は当然ながらその点においては圧倒的に経験が乏しい。 > 放っておいても海が四方を囲っているので、何も意識せずともおのずと日本人であり、その状態が自然すぎて、日常生活の中ではもはや「日本人である」と自覚する機会すらほぼなかった。
そうですね。
> しかし近年のグローバル化に加えて、移民政策とインバウンドで日本国内にたくさんの外国人が入ってきて、戦時を除いて史上最もといって過言でないくらい日本人はナショナリティーを強く意識させられている。 >そのとき「日本人と『それ以外の国の人』」の意識は強まるし、その差異に敏感である。 > ちなみにだが、だから日本人は「それ以外の国の人」を前にいまだかつてないくらい団結を強めているフシもある。
そうですね。外人は他所者のですからね。
> これらが、相まって今日のインバウンド不信を醸成している。 > なお、「日本で潤沢にお金を使う訪日観光客に日本人は嫉妬しているのでは」という記事が英国の経済誌「FINANCIAL TIMES」(※)から出た際、日本人の多くはブーイングを寄せていて、「嫉妬とかではなく、マナー悪い振る舞いが単純にイヤ」という主張であった。
日本人には意思がない。だからとっさの個人判断が苦手である。何から何まであらかじめ決まっていると都合が良い。だから礼儀作法を守るように躾けられている。外国には細かい作法がない。
>※英紙「日本人がオーバーツーリズムを嘆くのは訪日観光客が妬ましいから」(2024年8月25日) >日本のマナーを知らないだけ?
外国人が礼儀正しい日本人のようになるのは難しい。それはわが国の国際化に逆行しますね。
>理解を促す一手に必要なもの > では迷惑な訪日観光客は、どのような心構えで見守る、または接するのがよいのであろうか。 > やや危ういのは、迷惑行為を撮影した動画の投稿である。 >悪いマナーの人がネットにアップされていることがすでに社会的制裁なので、視聴者は(日頃から悪いマナーに悩まされている人は特に)その動画を見てちょっと胸のすく思いがする。 > ただ、その動画が撮影された背景がわからない場合、それが過剰な措置になっている可能性はある。 >ひょっとしたら日本のマナーを知らないゆえにマナー違反を犯していただけで、一言注意すれば改めてくれたかもしれない。
そうですね。
>「現地のマナーを知らないことがすでに罪」という考え方もあるかもしれないが、ではその罪に対してネットを通して全世界にそれをさらすことが適切な措置なのかは疑問が残る。 >特に日本人は見ず知らずの他人に声をかけるのが苦手だから、「声掛けが苦手だから発見次第即撮影→晒し」となれば途端に陰湿さが多分に含まれた行為っぽくなる。
そうですね。
> とはいえ、見ず知らずの人に注意するのは本当に大変である。 >筆者も昔はよくやっていたが最近はとんとやらなくなった。 >知らない人に話しかける勇気に加え、「ケンカになるのでは」「拒絶されたらムカつくかも」といった心配があり、わざわざ自分がそのリスクを買って出ることはしなくていいんじゃないかと思える。 > さらに迷惑行為を行っているのが外国人なら異言語間のコミュニケーションが不安でしかなく、もう我関せずで迷惑行為を看過する胸のもやもやにだけ耐えながら、なんとかその場が過ぎるのを待った方が平穏である。 > それでももし注意をするなら、「理解してもらえないかも」というダメ元で、優しく簡単にするのがよろしかろう。 >これくらいのテンションの方が受けいれられなかった時のダメージが少ない。
そうですね。
>「注意してやった感」や「相手を負かしてやった感」はただの自己満足やパフォーマンスにつながるので必要はない。 > まさにその場にいると憤りも覚えるだろうからその勢いでワッといきたくなるだろうが、純粋に相手に理解を求めるだけの方が平和的だし、トゲがないので理解してもらえる可能性も高まる。 > 例えば各所で悪評高い中国人観光客だが、個人的な体験だと中国の人はたしかに集団になると手を付けにくくはなるが、1対1だとすごく紳士的に話が進むことが往々にしてある。 >筆者の運が連続的に良かっただけかもしれないが、ひとつの救いあるケースとして参考にされたい。 >「外国人観光客に理解してもらう」という姿勢は、事ここに至っては特に肝要であるように思う。 >対馬市の和多都美神社が「遺憾ながら」と表明した観光客立入禁止は、神社を被害から守ると同時に、その措置を通して観光客に「やってはいけないこと」を考える機会を投げかけた。 > 非常に有意義だし、その毅然とした対応に世間は称賛の声を送ったのであった。
そうですね。
>特に日本人は外国人になぜか弱いので、意識的にシャンとするくらいで丁度よいかもしれない。 >旅行者にぜひ広めたい「レスポンシブルツーリズム」とは? > 年間215万人(※公式サイトより)以上の外国人観光客が訪れる岐阜県の白川郷(白川村)などでは、「川の向こうに駐車場を作る」「夕方以降は日帰り客を受け入れない」といった施策のほか、「レスポンシブルツーリズム」というのを提唱して利用客に理解を促している。 > レスポンシブルツーリズムとは、簡単に言うと「旅行先への責任とリスペクトを持とう」という姿勢である。 >例えば白川郷におけるレスポンシブルツーリズムは、「世界遺産だけど合掌造りの集落には今なお500人近い村民が暮らして彼らの生活もあります。 >観光と村民の生活を両立させるために、旅行者の方はぜひ責任と助け合いを」ということで、ゴミの持ち帰りや指定場所での喫煙を呼びかけている。 > 耳馴染みの薄い新しめの横文字用語なのでちょっと抵抗あるかもしれないが、個人的にはSDGsなんかよりはぜひ広まってほしい概念である(SDGsは概念そのものというよりそれがゴリ推されている風潮が嫌である)。 > 政策への不安や大きなうねりとなっているオーバーツーリズムを前にすれば、「レスポンシブルツーリズムの提唱」は施策としてか細く無力に思えるかもしれない。 >が、将来を好転させていくポテンシャルを持つ試みではある。
そうですね。
> 何より、旅行先に日本を選んで来てくれた人たちである。 >少しでもいい思い出を持って帰ってもらいたく思うのが現地人としての人情で、その思い出が日本ならではの美しさに彩られたならそんなに嬉しいことはないはずである。
そうですね。
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