2026年03月22日(日) 

 

>東洋経済オンライン   >「なぜ、日本がダメなのか」が、ようやくわかった   >小幡績の意見・   >12時間・   

>なぜ、日本はダメなのか。    

>それを「中央銀行ウィーク」の今週は考えさせられた。    

(略)  

>今回の主眼は、このような崩壊の前の凪のタイミングでの、金融政策決定会合の雰囲気が、日米であまりに違う、ということ、それはなぜか、そして、それがどういう意味を持つのか、ということを議論したい。    

>アメリカのFOMC(連邦公開市場委員会)後の、ジェローム・パウエルFRB議長の記者会見は、驚くべき和やかさだった。    

>スタグフレーション(景気停滞とインフレの同時並行状態)が目の前に迫り、利下げも利上げもままならない、苦しい状況であるにもかかわらず、だ。    

>これは1つには、ドナルド・トランプ大統領のおかげだろう。    

>トランプ大統領がパウエル議長に理不尽な圧力をかけた結果、「良識ある人々」は、結束したのだ。    

>これが、より一層、アメリカのよいところを引き出した。   

>それは、このような中央銀行トップの公式の記者会見でありながら、その質疑応答は、質疑応答というよりも、「議論」なのである。    

>素朴に「これからどうしたらいいんだ?」ということを、みんなで問題点を指摘しあいながら探っていくような「場」になっているのである。    

>一方、日本の場合はまったく違う。    

>それは、国会答弁のような、言質を取られまいとする中央銀行と、見出しになる「失言」を引き出そうとするプレスの質問なのである。    

 

そうですね。日本人は議論そのものには興味がないからでしょうね。   

 

>それならある意味、スパイ戦のような高度な神経戦で、プロ同士の闘い、として見ごたえがある場合もあるのだが、現状は、それには遠く及ばず、ただ揚げ足を取るような質問、あるいは、疑心暗鬼になって、表面的にはそう言っているけど、本音はこうなんじゃないのか、という疑心暗鬼の探り合いの質疑応答である。   

 

そうですね。政策の論議には興味がなく、政局の争いの中で力を示そうとしているからでしょうね。   

 

>日本に必要なのは「真摯で率直で全力の話し合い」   

>そもそも、質問そのものが記者自身で考えたわけではなく、デスクに仕込まれた「通り一遍のもの」が多く、自分の意思で聞いている質問で、素朴な疑問、というのが1つもないに等しい。    

>これでは、記者会見をやる意味はネガティブでしかない。    

>中央銀行が苦労して言わないでおこうとしたもの、なぜなら、それはマーケットに悪影響を与えるから、言わないようにしていることを無理やり聞き出して、マーケットが荒れ、日本経済にマイナスになることに全力を傾けている質問だからだ。    

>利上げか利下げか、それが日本経済の分水嶺になるような場面であれば、それも仕方がない。    

>だが、今週の状況は、イラン情勢が重要すぎて、金融政策は動かないに決まっていて、今何も言えないに決まっているのだ。    

>だから、そういうときは絶好のチャンスで、フランクに根源的なこと、素朴なこと、あるいはお互い知恵を出し合うようなこと、そういうことが議論できるはずなのだ。    

 

そうですね。   

 

>この点で、アメリカという社会は本当に優れており、それは格差社会の知性のてっぺんだけで行われるものかもしれないが、だからこそ、アメリカのトップの大学、大学院の雰囲気は、欧州にもできないことなのだ。    

>しかし、それにしても日本はひどい。   

>これは社会のどこかが間違っているというよりは、いわゆる有識者やメディアの認識が間違っているからではないのか。    

 

そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。   

 

>例えば、日本人は議論が苦手だ。    

>だから、教育現場では、ディベートをやらないといけない、という。    

>これが根本的に間違っている。    

>なぜなら、ディベートでは何も生まれないからだ。    

>ディベートとは、2つの側に分かれて、ポジションを決めて、相手を論破する「ゲーム」である。    

>ここでは、建設的な議論も、新しいアイデアの出し合いもない。    

>相手を論破する、論理的にやっつける喧嘩だ。    

 

そうですね。   

 

>ディベートをするのは、社会を破壊することにしかならない。   

>日本に必要なのは、対決する議論の練習ではなく、アイデアを生み出す、あるいは真実を見つける、真摯で率直で全力の話し合いなのである。     

 

そうですね。創造的努力が必要ですね。      

 

>かつて、ホンダは「ワイガヤ」という、本音をぶつけ合って真摯に語り合う文化があることを誇りにしていたが、私は当時から、それに疑問を持っていた。    

>ホンダはいいときには、これが良い効果をもたらしたのであろうが、本当に真摯な議論が必要なのは、危機のときであり、決断が必要なときである。    

 

そうですね。   

 

>そのときには、ワイガヤではだめで、意見をぶつけ合うのではなく、静かに、意見を組み立ていくような姿勢が必要だ。    

>さらに、最重要なのは、最後は、大きな決断を、誰か個人が行う、ということである。    

>ワイガヤしていい議論ができたね、ではまったくダメで、結論を出し、それに個人が(多くの場合トップが)責任を取る、ということである。     

 

そうですね。   

 

>日本には、歴史上、独裁者がいたことがない、という世界にまれにみる特徴があるが、これが悪く出て、トップは事後責任を取らされるが、事前に決断をすることが容易に許されない、という土壌がある。   

 

そうですね。日本人には意思がない。だが、意思のある所に方法がある。Where there’s a will, there’s a way.  

 

>決断したトップを議論に加わったメンバーが全員で支えるという構図はまるでない。    

>これでは、組織としても社会としても決断はまったくできない。      

 

そうですね。    

「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)    

 

>日本の組織がダメなのは建設的な議論ができないから?    

>日本はチームプレイが得意だから、組織的動きが優れている、という誤解があるが、正反対である。    

>日本の組織はほぼすべて駄目である。    

>日本のチームワークとは、横だけの連携である。    

>サッカーチームでもキャプテンを中心にまとまることはできるが、監督は阻害され孤立するか、独裁者になるか、どちらかしかない。    

>ヒエラルキーに関しては、まるでダメなのである。    

 

そうですね。責任に関する序列は考えられていませんね。   

 

>なぜ日本の組織がダメなのかをずっと考えてきたが、今回発見したのが、「議論を尽くして、トップが決める、ということができない」、という事実だ。    

 

そうですね。日本人には現実 (事実) だけがあって、非現実 (考え・哲学) がない。      

 

>つまり、トップに決断力がないのは、あるいはトップが決断するのが許されないのは、その前段階の、建設的に議論を行う、ということができないからではないか。    

 

日本人には意思がない。だから、トップの意思決定を期待する者はいない。   

 

>政治の世界で「日本では政党政治が成立しない。それはリーダーシップがないからというよりも、フォロワーシップがないからだ」という説をよく聞く。   

 

そうですね。他人の意見に従うものはいませんね。日本人には非現実の内容がないからでしょうね。         

 

>日本では、衆議院議員はみな一国一城の主で、全員がお殿様、全員が未来の総理候補であって、組織として政党が動かない、ということである。    

>だから、つねにバラバラで、政権維持、与党維持のための結束はできるが、あとは何もまとまれない、ということである。    

 

そうですね。日本人にはまとまるための非現実がない。      

 

>これは徳川幕府が作り上げた仕組みが根付いてしまったのか、日本のそのような社会特性を理解した、絶妙な政治体制だったのか、おそらく双方向であったと思うが、その伝統はまったく消えていない。    

>それは、どの組織でもそうで、ホールディングス経営、M&A後の統合がうまくいかないのも、同じ理由である。    

>しかし、これまでは、リーダーシップが弱い、ということで片付けられてきたが、政治の世界でいうフォロワーシップが足りないということでもなく、議論をする、真実へ向かって純粋に考え合うという意味での議論ができないことから来ているのではないか。    

 

そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。  

 

>これは、二大政党制の確立に失敗した、政党政治の制度改革にも表れている。    

>そもそも、政権交代や、二大政党制で対立軸が日本には必要だ、という認識自体が間違っていたのである。    

>日本では、なし崩し、なあなあの議論、なんとなく雰囲気で、空気で、という意思決定をしているのがいけない、これはきちんと対立軸をもって議論することが必要だ、という認識で、政権交代という形を取ることが理想とされた。    

>しかし、これはまったく間違っていたのだ。    

>そもそも対立軸がないから、どの政党が政権を担ったところで、全国民へ向けて八方美人の政策がとられ、全員にバラマキが行われる。    

 

花咲じじいですね。   

 

>誰一人おいていかない、見捨てない、という美辞麗句のもとに、1ミリも改革が行われない。

 

そうですね。改革は非現実の中にある。日本人には非現実がない。      

 

こういう変化が必要なときに変更ができない日本、という問題は、二大政党制はもちろん、対立軸のディベートでは解決できないのだ。みんなで真摯に、真実を求めて、立場に関係なく(ステイタスではなく、議論をするうえでのポジションを取らずに)、議論する、ということができない以上、次の段階に進むことができないのだ。この過程を経ずに決断すれば独裁と言われるから、要は何もできないのだ。   

 

そうですね。非現実の内容がなくては議論はできませんね。   

 

>必要なのは「議論をして逃げずに決断すること」だけ      

>さて、このような状況で、高市早苗首相は、国論を二分するような政策、改革に挑戦するために、衆議院を解散した、とのことだが、これも同じ間違いに基づいている。    

>日本は国論を二分するような論点はほとんどない。    

>トランプ大統領と高市首相が似ているのは、わざわざ存在しない対立軸を作って(トランプ大統領はフェイクニュース、ディープステート)、しかも、自分がその弱いほうの味方だと位置づけて、戦う姿勢を見せて支持を得ているところである。    

 

そうですね。   

 

>しかし、アメリカはまさに二分だが、日本は二分ではなく、「ザイム真理教」ならば、ほぼ国民全員で、陰謀をたくらむエリート(昔の)を攻撃することにみられるように、やはり八方美人で、スケープゴートを作る、という手法なのである。    

>これが弱いものならいじめの構造だし、エリート的なグループを生贄にして、大多数の庶民を味方にする手法である。    

>つまり、日本では、二分する議論など存在しない。    

 

そうですね。   

 

>原子力発電所の事故の問題でも、原発再稼働の問題でも、これらは議論をすることさえタブー視された、議論停止、思考停止が問題なのであり、二分する問題に挑むことではなく、そもそも議論することが必要なのである。    

>そして、議論してみれば、みんな問題から逃げていただけで、意見はほぼ一緒で、逃げずに決断することだけが必要なのである。    

 

そうですね。   

 

>だから、日本に今必要なのは、国論を二分することではく、また国民会議のような仕掛けでもなく、思考・議論停止を止めて、ただ、真実を求めて、いい案を出すために、純粋にみんなで議論するという姿勢なのである(本編はここで終了です。   

 

日本人の思考・議論の停止を稼働状態にするためには、日本語文法に時制というものが必要ですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々日本人は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一段と大きな貢献が可能になるでしょう。 

 

(略)  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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