2026年03月31日(火) 

 

> “週刊女性PRIME   国会でのタブレット使用は「品位に欠ける」の言い訳、居眠りや野次はOKの “矛盾” に 《老害丸出し》国民の冷笑  >週刊女性PRIME「シュージョプライム」によるストーリー・   20時間・   

> “タブレット端末は品位に欠けるため国会への持ち込み禁止”というルールがSNS上で物議を醸している。    

> 国会改革のテーマの一つとして注目を集めているデジタル機器の使用解禁。    

>国会のデジタル化を目指す検討会では、文書のペーパーレス化、本会議場でのタブレット端末やスマートフォンの使用解禁などが検討されているが、“品位”などを理由に認められていない。    

 

趣味には論拠がない。There is no accounting for tastes.      

 

>そのため、国会での配布書類はいまだに、紙に印刷された文書が用いられているのが実情だ。

>「国会での配布書類のペーパーレス化自体は、平成29年頃から提唱され続けています。    

>しかし、慣例にこだわる各党の主張もあり、目立った進捗はありません。   

 

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから現実肯定主義者になっている。だから議論ができない。はじめから改革に対する抵抗勢力になっている。  

 

> 一方、ペーパーレス化することで、年間約1200万円の印刷費削減につながるという試算も出ています。    

>経費削減やSDGs観点からもペーパーレス化は悪い話ではないと個人的には思うのですが……。    

>保守的な層や電子機器に慣れ親しんでいない年配層もいるので、難航しています」(政治ジャーナリスト)    

> この“品位”を理由とした規制に対し、SNS上では辛辣な反応が上がっている。    

>居眠りしている時点で品位に欠く    

>《寝るのは良くてタブレットの持ち込みが品位に欠くって何》

 

これは現実肯定主義者の典型的な判断の仕方ですね。   

 

>《人が話してる最中に爆睡かましてる議員ばっかりなのに今さら品位とは?》    

>《国会中居眠りスルーしてる時点で品位とっくに欠いてますけど?》

> 度々取り沙汰されている居眠り問題の方がよっぽど品位に欠けると指摘する声が後を絶たない。    

> また、“国会の華”とも言われる野次についても国民は冷ややかな視線を向けている。    

>《品位を語るなら野次飛ばしてる議員は退場させるべき》    

>《ヤジ飛ばしてる時点で国会に品位などない》    

>《ヤジはOKでタブレットはNGって老害丸出しで草》    

 

これは基準の倒錯ですね。現実肯定主義者は過去を引きずっている。      

 

> 実際、国民民主党の玉木雄一郎代表が衆院本会議で臨んだ代表質問で、議場内でタブレット使用が認められていない現状に異論を呈した際、ヤジを飛ばされる場面があった。    

>このように、国会中継を見れば野次が飛び交う場面は日常茶飯事だ。

>「国会議員は国民の代表のはずですが、価値観は国民と大きくズレが生じています。    

>例えば、学校では『人が話しているときは静かに最後まで聞く』と習いますよね。    

>また、授業中や会議中に居眠りをしていれば怒られるのが普通です。    

>そういった我々の“普通”との乖離が違和感を与え、批判のタネになっています」(前出、政治ジャーナリスト)    

> 時代錯誤だと感じているのは国民だけではない。    

>日本の国会は世界からも取り残されている。    

>OECD加盟国の8割以上が議会でタブレット端末を使用している中、日本は“品位”というあいまいな理由で踏みとどまっている。

 

日本人は議論ができない。それは現実肯定主義者であるから。岩盤保守となり改革に対する抵抗勢力になっている。         

 

>本当に品位がないのはどちらか   

> また、多くの先進国がコロナ禍を機に議会のオンライン化やデジタル化を進めた。    

>一方で、日本の国会はリモート出席すら解禁されず、タブレット一つ持ち込めない状況が続いている。    

> さらに、「品位を語る資格があるのか」という厳しい意見もある。   

 

日本人は歌詠みである。歌は文にならないので意味がない。歌詠みは主張するには値しない。彼らは議論の外にある。      

 

>自民党青年局が公式会合にショーダンサーを呼んでどんちゃん騒ぎをしたり、政治資金パーティーを巡る問題が次々と明るみに出たりする中、タブレットの“品位”を論じることの滑稽さを指摘する声は少なくない。

 

そうですね。現実肯定主義者には矛盾が存在しない。彼らは理屈の外にある。      

 

> “品位”という言葉は、本来、行動や態度に現れるものだ。    

>タブレットを持っているかどうかではなく、議論にどう臨むか、国民の税金をどう使うか、職務にどう向き合うかで判断されるべきものだろう。    

 

彼らに理屈は通じない。問答無用となっている。彼らにはリーズン (理性・理由・適当) が無い。これは教育の貧困か。      

 

> 野次を飛ばし、居眠りをしながら「タブレットは品位がない」と主張する。   

>この矛盾に「説得力がない」と多くの国民が不満を抱くのは当然だと言える。    

>本当に品位ある国会とは何か。    

>タブレット問題は、その象徴的な一例に過ぎない。   

 

リーズンのない人間の存在は、我が国の不治の病か。   

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の意見の受け売りの仕方ばかりを教えられて、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を論文で明らかにし、その独創性を認められれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。自己の見解を明らかにすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数39 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/03/31 05:15
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