惨敗のお詫び |
>デイリースポーツ >【中道】惨敗の野田前代表 お詫びの文で「高市総理への期待感だけの『推し活』のような」空気に飲み込まれた、と中道結党は「間違っていなかった」強調 >デイリースポーツによるストーリー・ >23時間・ > 衆院選で惨敗した中道改革連合の野田佳彦前共同代表が1日、自身の公式サイトやSNSに、「お詫び(水中の陣)」と題したメッセージを掲出。 >衆院選直前の中道の結党について、「生活の安心と平和を守る『穏健な政治勢力』として、中道のかたまりを作るという方向性は決して間違っていなかったと思います」と強調した。
それでは、惨敗の原因は何でしょうか。それが分からないと過ちを繰り返すことになりますね。
> 衆院選については「抜き打ち解散」で「不意を突かれました」とも。
油断大敵、心の仇ですね。中道はおんびりいていたのですかね。
>結果は「厳粛に謙虚に受け止めたい」とした上で「自民党にガチンコ勝負で負けたという実感はありません。
そうですね。議論していませんからね。議論では負けませんね。
>高市総理への期待感だけの『推し活』のようなイメージ論に、選挙戦全体が支配されてしまったように思います。
中道には期待感が寄せられていないのですか。選挙戦は単なるイメージ論争だったのですか。
>何とも言えない独特の『時代の空気』に、私たちの訴えが飲み込まれてしまいました」と振り返った。
気分・雰囲気・感情の関する事柄は歌詠みの捉える事柄ですね。歌詠みは文にならず意味がない。 政治家には意味のある政治哲学の議論が必要ですね。勝敗を決する意味がある。
> 「日本の社会は、時々えも言われぬ『空気』に支配されることがあります。
そうですね。それは歌詠みの世界ですね。わが国の政界は歌詠みから抜け出す必要がありますね。
>しかし、それは、常に危うさを伴います。
そうですね。趣味には論拠がない。 There is no accounting for tastes.
>『ふわっとした空気』が『極論』に安易な解決を求める発想へと向かわないように注意しなければなりません」とも指摘。
日本人には意思がない。だが恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思決定 (理性判断) の必要な時に恣意決定 (盲目の判断) をすると危険ですね。
>18日から始まる国会に向け、「巨大与党が『数の論理』で極論を押し切ることがないよう、しっかり対峙していかねばなりません。 >苦しい戦いになるでしょうが、間違っていることは正々堂々と質し、今まさに苦しむ人へ手を差し伸べられるよう全力で頑張ります」と記した。
意見に間違いが混入している場合には議論になりませんね。正しい意見の持ち主同士の議論が政治の役に立ちますね。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。 わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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