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2008年05月29日(木) 



NBOnline 『危機感駆動型ニッポンの危機!?【続編】日本人の“無謬信仰”こそが閉塞の元凶だ』2008年3月21日 金曜日 竹中 正治
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080…19/150553/
の一部についてコメントを述べさせていただきます。

『無謬信仰が御上の論理に過ぎないのであれば、様々な失敗、失策の結果、とっくに信仰は瓦解しているだろう。ところが、政府や大企業の過ちを批判するマスコミや一般国民にも「御上(公共の責任を担うような大企業を含む)は本来無謬であるべきだ」という信仰があり、無謬信仰を根強いものにしている。』

無謬信仰の「あるべき姿」(未来時制の内容) と政府や大企業の「今ある姿」(現在時制の内容) が考えの中でごっちゃになっていますね。これは大変なことです。
政府や大企業に関する内容は、現実の内容です。
信仰の内容は我々の到達目標であって非現実の内容です。遠未来の内容です。
現実と非現実の内容が頭の中で峻別されていないと、その人の考えも発言も空理空論となります。

表があれば裏もある。「御上は本来無謬であるべきだ」は表向き (口実) で、裏 (現実) では間違いだらけである。
表と裏のある社会では、無謬信仰は生き続ける。
日本人の考察の範囲は、この世の中に限れている。だから、表も裏も現実の中にある。決して現実と非現実に分かれることはない。
そして、わが身は現実に流されている。だから、我が国には夢 (未来) も希望 (未来) もない。
ちなみに、日本人の夢は見ることは出来ても決して実現できないもののたとえとなっている。

英米人の考察の対象には、現実 (現在) と非現実 (過去と未来) がある。
非現実 (努力目標) を基準にとって、現実を批判して、現実を改革する。
西洋では、不可謬性 (infallibility) は、ローマ法王にしか認められていませんね。これが現実の世界です。
つまり、誰もが信じていることからは、この世に住む人でだれも絶対あやまちを犯さない人はない (No man is infallible here on earth.)、ということでしょう。

『無謬を前提に作られたシステムはいかに精緻でも、1度失敗が起こると脆く、混乱する。システムの動揺に直面してどうしたらよいのかわからなくなるので、危機感が強調される。「危機を乗り越えるために総員必死になって頑張れ!」という展開になってしまう。無謬信仰と危機感強調カルチャーはこうして並存しているのではなかろうか。』

無謬性が想定され、想定外の事態が発生したら呆然自失の状態になるのが我々の歴史の常ですね。
思考を停止した人たちが、お上のありがたいお題目をご唱和して行動に出ると、このような状態になる。極めて危険な国民性である。
一億一心の次が一億総懺悔で、国がひっくり返っても責任者は出せない。とかく、この世は無責任か。
人々の思考停止により生ずる危機感は、終わることがない。

『丸山眞男は『現代政治の思想と行動』(1946年)で次のように書き、日本的政策決定プロセスにおける主体的意識の不在を批判している。
「ナチスの指導者は今次の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識を持っているに違いない。然るに我が国はこれだけの大戦争を起こしながら、我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの事態は何を意味するのか」』

日本人には意思がないので、「我こそ戦争を起こした」という意識はないでしょうね。
意思 (will) は未来時制の内容で、日本語には未来時制がない。
日本人に考えられるのは、実況放送の内容と現状報告の内容しかない。だから、ただ「苦しい立場に立たされた」としか説明できない。
この世の「あるべき姿」を滔々と述べる語法・文法を持っていないから、日本人は、世の中に流されているのですね。
「あるべき姿」の内容を引き合いに出す語法・文法があるならば、「あるべき姿」により「今ある姿」を批判して、改善に踏み切ることが可能です。
何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの事態は、とりもなおさず日本人に理性判断が欠如していることを意味していますね。

現実と非現実を分けて考えることのできない日本語脳の持ち主は、知的労働には適していませんね。
だが、これも日本語そのものが悪いのではないらしい。日本人の言葉の使い方がわるいのである。
その証拠に、英米人は日本語で話しても、その内容が空理空論になることはない。
それにしても、考える人には、性能の良い考える道具が必要です。日本のインテリには英語が必要ですね。
幼少の頃から英語を習う必要はない。英語の勉強は、英語圏の高等教育を受ける程度でよいのでしょう。
我が国において日本語を使って活躍する外国人も、幼少のころから日本語を習っていたのではないでしょう。

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and also at http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary


Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.

沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/index.htm


閲覧数1,282 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2008/05/29 06:21
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