2020年05月29日(金) 

 

 

>しかし、目に見える国民運動がめったに起こらない日本では、こうした政治家が諸外国ほどの勢いを持つことができないので、改革が長続きすることは少ない。

 

自己の意思を表明すれば当事者・関係者となる。表明しなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がない。だから、意思の表明は無く国民は常に運動の傍観者にとどまっている。孤高の人々は声なき民である。

意思は未来時制の文章内容である。だが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) がない。意思の表明とか決定には無縁であるので優柔不断・意志薄弱に見える。

 

>橋下市長と河村市長の運動にはぜひとも期待したいが、国民運動が欠如した日本では諸外国にはない困難があることも事実である。

 

フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して昔から疎かであることが書かれています。要するに、日本人は個人の意思というものに神経を集中できないのである。

 

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。 ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り) 

 

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>続く  >260117 日本の権力構造の特殊性②  >新聞会 12/01/02 PM06 【印刷用へ】  >引き続きヤスの備忘録 歴史と予言のあいだリンクより転載します。

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>失敗した民主党の政治主導

> 政府の政策の意志決定過程を実質的に支配している官僚集団を排除し、政治家が主導権を握るために開始した改革が政治主導であった。

 

意思の無い人間の政治主導は順調には行かないでしょうね。

 

>そのようにして民主党は、国民に選ばれた政治家が政策の決定権を握り政策の実行を官僚に指令するという、他の国々では当たり前の本来の上意下達の権力構造を回復しようと試みた。

 

日本人による猿真似は果たして上手くゆくのでしょうか。海外の常識は日本の非常識です。

 

>このため政策の立案をすべて政治家の手で行い、官僚の関与を排除しようとした。>しかしその結果は失敗であった。

 

そうでしょうね。できるものならとっくの昔に実現していたでしょうね。準備不足でしたね。

 

>官僚は政策立案の専門集団である。>官僚から政策立案の権限を取り上げるためには、官僚に代って政策の立案を行う能力があるスタッフが政治家にはどうしても必要になる。 >こうしたスタッフを集めるためには、それなりの準備期間と時間がかかる。 > 民主党は十分な準備がないままに政権を握り、政治主導を実行した。

 

‘泥棒をとらえて縄をなう’ でしたね。拙速主義は失敗のもと。

 

>この結果、たしかに官僚集団の関与は一時的には激減した。>だが、十分なスタッフがいない状況でこれを行ったため、繁雑な事務作業も含め、政策の立案と実行に必要となるすべての作業を政治家自らが行うことになった。

 

政治家が事務作業に追い回されていては、何のために選挙で選ばれたのか分かりませんね。十分な当てもなく大戦に突入したわが国のようなものか。

 

>鳩山政権の頃の大臣や副大臣はこうした作業に忙殺され、本来の政治家の仕事がほとんどできない状況に追い込まれた。

 

準備不足で彼らは自滅したのでしょうね。

 

> 次の菅政権の頃になると、このような状況にたまりかねた政治家は、実質的に政治主導を断念せざるを得なくなり、官僚集団の関与を認めるかつての状況に戻ってしまった。

 

本の木阿弥にかえったのですね。

 

>むしろこれで、政策の立案と実行が官僚集団にどれだけ依存しているかはっきりしたため、政治家の官僚集団に対する依存を深める結果にすらなった。>いまでは政治主導は実質的に骨抜きにされ、既得権益を持つ官僚支配は、逆に強化される方向に向かっている。

 

日本人は、現実社会から一歩を踏み出すことが難しいのですね。

 

> 中心が空白の権力構造は日本のどの組織でも同じ

> このように、中枢が既得権益を持つ集団に牛耳られ、すべての意思決定がこうした集団の利害のバランスで決定されるという構造は非常に強力である。>意思決定を行う立場にいる本来のリーダーの権限はとても弱く、利害集団の決定を受け入れ、これのバランスと調整を取る役割を持つにしかすぎない。

 

日本人には意思がない。だから、意思決定 (理性判断) は不可能である。だが、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。だから、恣意決定 (盲目の判断) ならば可能である。

 

 

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閲覧数310 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/05/29 05:26
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