竹の丸塾で郷土史家 浅井保秀さんのお話を聞いた。 今、レポートを書いているところだが、印象的だったのが「かたじけなさを感じた」という言葉。 「お稲荷さんの鳥居をくぐるとき、かたじけなさを感じます」と。 西行法師も、お伊勢さんに参ったとき「かたじけなさ」を感じ、 「何事のおはしますかは知らねどもかたじかなさに涙こぼるる」という歌を詠んだ。 「かたじけなさ」は自分が小さな者だという謙虚さから生まれる言葉のように思う。 自分を大きく見せようと自己主張する人が多い現代社会の中で、「かたじけない」と感じる心が磨り減ってしまってはいないだろうか。自分も含めて。 …ってなことを書くこと自体、自己主張以外の何ものでもないようにも、思うのだけれど。 |