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2013年06月07日(金) 
もう一か月ほど前になるだろうか。静岡新聞の下の部分に「信用金庫新型カードローン発売」の広告が出ていた。紙面の1/3ほどの大きさで、かなり目立つ。そこには「新しく発売されたカードローンは手軽に作れますよ」と特徴などが書かれていて、利用できる信用金庫の社名(庫名というのか)が、ずらりと並んでいた。私の知っている限り、静岡県下のほとんどの信用金庫が名を連ねていた。その中で、私の住んでいるまちの信用金庫の名前だけが載っていなかった。

なぜだろうと思った。
そして、思い当たった。
もし、そうであるなら素晴らしいと思った。

もう3年近く前のことだ。
当時は、日本振興銀行の破たん、武富士の会社更生法申請など、金融に関わる様々な社会問題が起きていた頃で、私はその信用金庫の顧問にどうしても聞きたいことがあった。その前の取材で、顧問が「今の時代、人は、お金があれば何でもできると思っている」「お金より大切なことを忘れている」と言ったからだ。

経済主義、市場主義優先の社会の中で、私たちはいったい何を見失ってしまったのか――。
私は顧問の言葉を聞きたかった。

そのときの取材で、顧問はこうおっしゃった。
「金融に関わる問題を見るにつけ、金融機関は何をするところなのか、金融機関の使命、機能とは何なのかという「あるべき姿」を考えずにはいられません。企業は企業の社会的責任がある。金融機関の社会的責任は何かということです。
お金を預かって貸し出しするのが金融機関です。預かったものに対する責任、貸したことに対する責任、その両方の責任を金融機関は持たなくてはならない」

貸す責任―。
私の住むまちの信用金庫は、貸す責任を考えたのだと思った。

借入がダメだなどと考えているわけではない。商売にしろ車にしろ教育にしろ住宅にしろ、お金が必要なときに使える仕組みが多種多様にある中で、これ以上、手軽にお金を借りられるカードローンの仕組みが本当に必要なのだろうかと疑問だった。
カードローンは最初に枠を設定すれば、その枠内なら何度でも自由に借り入れができる。借りているという感覚なしに、気軽に、手軽に、簡単に。
手軽だからといって、我慢しなくていいのか。自分の「分」を越えていないか。借りる側の責任である。
そして、金融機関側の貸す責任。私の住むまちの信用金庫は、その「貸す責任」をきっと考えたのだ。
そして、県下ほとんどの信用金庫が名を連ねる中で、「うちの信用金庫はやめます」という経営判断をしたのでないか、と私は勝手に思った。
もしそうであるなら、素晴らしいと思った。

清々しい気持ち、そして熱い気持ちで、私はその新聞の広告記事をながめていた。
そして今、もう一度、顧問のところに取材に行かなくては、とも思った。

閲覧数360 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2013/06/07 16:39
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