>ケリー氏は「日韓が過去にとらわれず前に進むことが米国の国益にもかなう」と結束を訴えた。
意思があれば罪もある。意思がなければ罪もない。
意思は未来時制の文章内容で、特亜 (日本・韓国・中国) の言語には、時制がない。だから、特亜の人には意思がなく、罪がない。
贖罪のための宗教はない。免罪符を求める人もない。言語に由来する困難は不可抗力のようにもみえる。
加害者意識 (罪の意識) はなくても、被害者意識はある。国内には怨恨が鬱積している。政治指導者は保身のために、自国にたまった怨恨を国外に向けようとしている。
加害者意識 (罪の意識) のない人たちが、被害者意識を押し広げようと宣伝活動をしている。罪の意識を持たない人に反省の色はない。過去の歴史を反省しない人たちが相手を非難しようと心血を注いでいる。未来社会の建設に提案するものは何もない。こうした独りよがりの片手落ちが、世界の大きな共感を得ることはないであろう。
‘An eye for an eye’ (目には目を) の運動には熱が入る。罪を知らない人たちが抱く、罪を知らない人たちに対する怒りである。子供じみた大人の振る舞いに腹を立てているのである。悪ふだけが止まらない。うらめしやー。
‘An eye for an eye will make us all blind’. 目には目を(報復)はすべての人を盲目にする(すべての人の理性を奪う)* という考えには至らない。特亜は泥沼。特亜の人々は英米人とは違っている。
*9・11のテロがあったとき、アメリカ人はみんな、報復に賛成したが、あとになって、それは間違っていたと、多くのアメリカ人が思うようになった。報復にみんなの考えがいってしまうと、理性や分別を忘れて、泥沼に。「目には目を、歯には歯を」というのは、本来の意味は、罪に対して必要以上の罰を与えてはいけないという意味だが、それがいつのまにか、報復という意味に変化した。
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