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2014年08月03日(日) 

日本語には時制がないが、英語にはある。日本人は時制のない考え方をするが、英米人は時制のある考え方をしている。だから、考え方は同じでないが、これが英文和訳の役割の限界である。せっかくの、西洋文明の取入れも、この限界のために我々のメンタリティの改善にはつながらない。
時制のある考え方では、現在は、過去や未来とは別の世界になる。過去の内容は自己の個人的考察により、先へ先へとどこまでも展開してゆくことができる。文章があるので意味もあり、矛盾も指摘できるので、理詰めの議論が可能である。このことは、未来の内容についても、いえることである。過去と未来と言う非現実の内容は、それぞれの時制ある専用の文章の存在により英米人の頭の中に収納されている。
時制のない考え方においては、世界の内容は目の前の事だけに限られる。過去の内容は疾く風化し、未来の内容は一寸先が闇に見える。未来と過去の世界には文章が無いので、その内容は頭の中でも定まらない。それで、日本人の世は、夢・幻のごとくになっている。我々はどこにも行かない。現実を抜け出して、どこに行く当てもない。’まだか、まだか、まだか’ と周囲の変化に絶えず気をもんでいる。成り行きへの依存心が旺盛である。このような人間は、人類の水先案内人になることはない。
現在は現実、過去と未来は非現実である。現実の世は、過不足なく成り立っている。過去と未来の世にはそれ専用の文章がないので意味もなく矛盾もないので、どのようにでも人と人との話し合いにより、作り変えられるものだと日本人は思っている。非現実の世の中の内容に、過不足のない考え方があるなどと、初めから考えたことがない。だから、構想には矛盾が絶えず付きまとう。たとえこの方法により日本国中が有頂天になることができたとしても、なお空しさだけが残る。

'人はみな平等に造られている'。(All men are created equal.) と信じるか、'人間万事不平等’の方を信じるか。一方が本当なら、他方は嘘か。現実の内容を否定することはできない。ならば、非現実の内容を否定するしかない。
日本人は、脳裏に現実と非現実の内容を並置することができない。が、教養ある英米人ならこれができる。かれらは、過去時制と未来時制を使って、非現実の考え方をすでに学習しているからである。だから、同じ現在時制の文章であっても、それが現実論か、非現実論かの区別がつく。英語脳の中には三時制が並置されていて、現実と非現実を分ける。こうした区別の練習は大切である。議論のできる相手であるかどうかをみきわめてから、英米流の議論を仕掛ける必要がある。

現実の内容だけに身をゆだねていれば、俗人となる。非現実の内容に身をゆだねれば、シャーマンとなる。現実の内容を基礎として自分自身で考えた非現実の内容を理路整然と(矛盾を混入させることなく)展開できれば、その人は哲学博士 (Doctor of Philosophy; Ph.D.) ということができよう。

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閲覧数838 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/03 10:18
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