我が国の政治家は結党と解党を熱心に繰り返している。じつに忙しそうだ。これが政治家の使命というものか。政治家は、説得力を磨くことに力を尽くさなくてはならない。議員が他の議員に説得力を持たないならば、一人一派と言うことになる。これでは政党政治は成り立たない。
政治家は、自国のみならず、他国の政治家にも説得力を持っていなくてはならない。他党、国内のみならず、他国をもまきこんだ政治力の結集を未来社会(非現実)の建設に必要としているのである。議論が得意でないので、同僚の国会議員にたいしても説得を図れないのであろう。やってもむだなのであろう。それでも、あくまで小異(現実)にこだわる。小異を捨てて大同につくという言葉があるが、総論賛成でも大同(非現実)につくことをしないのはなぜか。もともと能天気の日本人に大同などはない。ただの絵に描いた餅のようなもの。その実現は、熱望に値するものではない。大同は存在するのかしないのか。嘘も方便。これも相手を釣上げるための単なる手段にすぎないのか。本気にするはずがない。日本国中の踏み誤った人生。人生の空回り。自業自得というかとになるか。‘核なき世界’(非現実)の実現を世界に向けて誓えば、ノーベル平和賞受賞も不可能ではない。かれは、自分の生涯のかけても実現しないであろうことにまで誓いを立てたのである。
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'あるべき姿' の内容を考えれば、グローバル (地球全体)、ユニバーサル (宇宙全体) の話になる。話の内容は、どこまでも広がってゆく。
その内容を目の前のことに限れば、盆栽、箱庭、一坪庭園のように、周囲と隔絶されたものになる。これは、島国風の考え方であろう。
お国柄 (現実)ばかりを強調した話をしていると、外国人相手との共同作業が成り立たない。未来社会の建設に協力者が得られない。だから、島国風では国際社会の指導者になれない。
われわれ日本人は、現実の世界では力があっても、構想 (非現実) の世界では力が出せない。それほど力があるのなら、もっと発言すべきである。非現実のない言語 (日本語)を使っているから、こうなるのである。英語は、非現実の内容を表現できる言語である。国策として英語教育に力を入れれば、我が国の開国も不可能ではない。ただし、英文の和訳は不可である。