すべての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
未来時制の文章は、未来の内容を表している。未来時制の文章にならないものは、未来に関する考えではない。文章にならないものは夢となる。日本人の夢は、英米人の夢と違って、見ることはできても、触ることのできないものである。彼らの夢は、考えそのものである。
過去時制の文章は、過去の内容を表している。過去時制の文章にならないものは、過去に関する考えではない。文章にならないものは幻となる。
時制のない文章は、現在の内容を表している。目先、手先の考えをも示している。だが、未来の世界の内容を限りなく展開することも、過去の世界の内容を限りなく展開することもできない。
時制にない人には、未来は一寸先が闇である。過去は疾く風化する。喉元過ぎれば熱さを忘れる。ナウな感じがする。
我が国は、英米人の考えを英文和訳して吸収する。過去の内容と未来の内容は、現在の内容として受け取られる。そうすることで、日本人に違和感のない名訳が出来上がる。にもかかわらず、わが国民のメンタリティの改善にはつながらない。
英文和訳の輸入思想は、現在の世界に過去の世界と未来の世界が同居することになるので、考えがまとまらない。考えが不消化のままで脳裏にとどまっている。頭でっかちになる。ああ言えば、こう言うという人間になる。
過不足のない内容をもつ世界観を構築することができない。未来構想が持てないのであるから、未来社会の建設提案はない。他人の提案に対する建設的態度も示さない。後追いの姿勢はまぬかれない。これでは、世界の指導者にはなれない。
日本人はどこにも移動しない。お変わりがなければ、人心も休まる。ただ、年中行事をくりかえしていれば、これぞ天下泰平の世の中である。
だから、わが国民の英米文化の勉強は、ほどほどにしなければならない。この不変の限界を日本人が克服するためには、英語による英米文化の取入れが必要である。
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