日本初の信用金庫である掛川信用金庫。初代理事長は、当時報徳社の社長であった岡田良一郎です。 「かけしんさん」の名で親しまれる掛川信用金庫。バブル期にも投機的な融資は行わず、「かけしんさんは消極的だね」と言われようが、地域の信用金庫としてあるべき姿を追い続けました。その根幹には、岡田良一郎の残した言葉がありました。 平成10年から23年まで理事長を務め、岡田良一郎の残した言葉を発掘し、庫是に採用した立役者の一人である岡村安郎さんにお話を伺いました。 「岡田良一郎先生の言葉と報徳の実践」 (大日本報徳社7月常会より) 掛川信用金庫の沿革は、佐野・城東郡長だった岡田良一郎先生が両郡の産業発達を図るため、勧業資金の組立組合を主唱したのが始まりです。静岡県の認可を得て、明治12年「勧業資金積立組合」を設立。資金は開墾、水利、道路、橋、土業等に向けられました。明治25年には掛川信用組合に改組され、日本で最初の信用組合が設立。さらに昭和27年には、信用金庫法施行に伴い、掛川信用金庫が誕生しました。 明治45年、先生は掛川信用組合長を退任される際、次のようなお言葉を述べています。 「道徳を根とし、仁義を幹とし、公利を花とし、私利を実とす」 そして、 「将来、信用組合の職にあるものがこの教えを服用したならば、本組合の基礎は益々強固で、更に金融機関のみならず他日必ずや公益・慈善の資を涌出して、その恵沢四隣に及び欧州に於ける信用組合とその功を同じするに至る」と。 道徳(人として守るべきこと)、仁義(人が定めた法律、規則、規律等)、が根幹にあり、その上で公利(地域社会、会員等の利益)があり、最後にその結果として私利(金庫の利益)をいただくというものです。私は深く感動し、この言葉を信用金庫で活かしたいと考え、基本理念とし、庫是に制定しました。今も掛川信用金庫の根幹には、報徳の教えが息づいているのです。 また、元理事長の鈴木理一郎さんは「金庫は存続しなければならない、存続してこそ地域の為になる」と言い続けました。「責任は自分が取るから良いと思った事は積極的にやってくれ」とも。 私は、報徳の教え、道徳をどのように伝えるか、実践させるかを考えるとき、家庭では親が、職場では上司が実践して示すことが大切だと考えています。そしてそれは今も変わることなく、私の根幹にあるものです。 「掛川信用金庫 庫是」 道徳を根とし 仁義を幹とし 公利を花とし 私利を実とす |