2018年01月13日(土) 

 

 

(略)

>「これからの日本が世界に負けない国作りをするには、英語を重視しなければならない。初等教育から学校では英語を教授(使用)言語とし、政府機関で用いられる言葉も英語にすべきである。」

>これはある有名な政治家の発言である。>実はこれは1870年代の政治家で一橋大学を創設し、明治六大教育家に数えられ、近代国家としての教育制度の確立に尽力したその功績は大きいことで有名な森有礼氏の言葉である。>今から140年前の発言である。>ご存じの方もいるであろうが森有礼氏は英語の国語化を提唱したこと(国語外国語化論)や急進的な欧化主義者でも有名である。>この時から日本の英語化論争は幕を開ける。(略) >森有礼氏を擁護するわけではないが、有礼氏にはそれなりの理由があったのだ。>「経済」とか「福祉」とか「共栄」という今では当たり前の単語が当時の日本にはなく、「近代化のついでにいっその事」(と思ったかは定かではないが…。)

 

外来語の母語が少なかったのですね。

 

>現に森有礼氏は明治5年(1872年)にはイェール大学の言語学教授のウィリアム・ドワイト・ホイットニー宛てに「不規則動詞を規則化して簡略にした英語を日本の国語とするべきではないだろうか」という書簡を送っている。>だが、ホイットニーは簡略化した英語に否定的な見解を示した上で、日本語のローマ字化を除いては日本語の廃止に反対している。

 

私は、ホイットニーと意見が同じです。日本語のローマ字 (alphabet) 表記に賛成ですが、簡略した英語と日本語の廃止には反対です。

 

>理由は簡単である。>「せっかく識字率が高いのだから、日本語で教えなさい。ない単語は作ればよろしい、先ずは母語を豊かにしなさい。」とのことである。

 

そうですね。おかげさまで、外来語の母語が大分増えました。

 

>更に哲学者でもある福澤諭吉氏は「日本語では議論ができない?森有礼は漫談も寺の住職の説法も聞いた事がないのか!?」と一刀両断する。

 

日本語では、議論はできませんね。日本語脳には、リーズン (理性・理由・適当) がありません。

 

>同様に文豪夏目漱石氏も福澤諭吉氏ほどでもないが、英語化を非難している。

 

夏目漱石は、日本語の世界に閉じこもろうとしていたのですかね。

 

>明治維新後は「西洋に追いつけ!!」とばかりに知識人は外国語を遮二無二勉強した、所謂“英語達人(名人)世代”の誕生である。

 

英語達人世代の伝統は、受け継がれていませんね。

 

>英語達人(名人)世代の血の滲む努力の甲斐あり、たくさんの学術書が翻訳され、英語を学ばなくても母語(日本語)で学ぶことができたのである。

 

日本語では、考え (哲学) が成り立ちませんね。

 

>この時漱石氏は「昨今学生たちの語学力が落ちたと嘆く声を耳にするが良いことではないか!!これで(英語が読めない)誰もがみんな(知識人だけのものではない)勉学を勤しむことができる」

 

一億総はくち化ですかね。

 

>この言葉の通り、この後に西洋列強の仲間入りを果たし、確固たる地位に昇り詰め、一等国になった。

 

その後、すぐに四等国になった。国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。

 

(略)

文法の時制というものは、現実離れした内容の文章を作る。つまり、考えの内容を表す文章を作る。時制というものは、英語にはあって、日本語文法にはない。だから、日本人は大人になっても考える人にはならない。無哲学・能天気の状態にとどまるから、教養が無いのである。

非現実の内容は、頭の中ある。その内容を見ることは出来ないが、概念というものがある。考えの内容は、時制のある文章になる。

現実の内容は、頭の外にある。その内容は、実物・実体として見ることができる。日本語は、写生画のような言語である。その実体を見ることはできても、考えを表していない。

現実の世界には柴犬、シェパードなど犬には色々ある。概念の犬は実物で示すことは出来ないが、頭の中に考えとして確実に存在する。

概念を使って文章を組み立てることが出来れば、考える人になる。これは、英米流の高等教育の成果である。ただ今、我が国は人手不足であるが、頭脳不足ではない。考える人の存在が知られていないからである。

 

意思は、未来時制の文章内容として表される。日本語文法には時制というものがないので、日本人には意思が無い。だから、日本人は、優柔不断・意志薄弱に見える。

意思が無ければ、責任もない。ちょうど、死刑執行人のようなものである。人は死んでも、彼らは殺人罪には問われない。彼らには、殺意というものが無いからである。

自己の意思を表せば、当事者・関係者になる。意思を表すことが無ければ、傍観者にとどまる。意思を表すことのない我が国は、世界の中に在って、世界に属していない。

思春期が来て、言語能力が発達すると、時制も使えるようになる。未来時制を使って意思を表明すれば、加害者意識をも経験することになる。加害者意識は罪の意識でもある。罪を告白し、入信する人もいる。その意識は深刻なもので、個人の行動を改める動機となる事も多い。そして、改心した当人は、人々から深い信頼を得ることになる。

加害者意識が無いければ、被害者意識だけの人間なる。これは、アニマルと同じである。大人であって、罪の意識のない人を見るのは実に恨めしいものである。

 

横断歩道は、歩行者の安全を守らない。横断歩道には、自動車を阻止する力はないからである。歩行者の安全は、運転者の意思次第で決まる。これと同じ理屈で、平和憲法は我が国の安全を守らない。憲法には侵略軍を阻止する力はないからである。平和は、相手国の意思次第で決まる。

‘オオカミと七匹の子ヤギたち’ の童話に出てくる子ヤギたちは、未熟であったがために、オオカミの意思(非現実)に焦点を当てて考えることが出来なかった。声や毛の色の現実に囚われて、禍を招いた。日本人も、相手の意思に焦点を当てる考え方が出来なければ、子ヤギたちのようになるでしょう。武器を持たなければ自分は安全だと考えるのも、日本人の独りよがりでしょうね。子供並みか。

 

日本人の精神活動は、文章にならない。その活動は人の心から心へと直接伝えられる。以心伝心・不立文字と言われている。物に込められた日本人の心は、国際間の言語障壁をものともせずに乗り越えて、世界の人々の心に届いている。おかげで、日本製品の評判も良く、我が国は技術立国を経て、経済大国にまでなった。この方法をぜひ世界の人々にまで広めたい。そのためには、日本語の普及が必要である。言語の習得には音読が効果的であるから、日本語のローマ字 (alphabet) 表記は避けて通れない。さすれば、日本語は非漢字圏の人々をも巻き込んで、世界第二の第二言語になる。

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。日本人には考えが無いので、論客になるためには他人の考えを手に入れなくてはならない。弟子は師に教えを乞う。その内容を理解して暗記する。自己の発想は無いので、受け売り専門の論客になる。

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

未来の構想があれば、建設的な意見になる。未来時制が無ければ、未来社会の構想もない。論客は、ああ言えば、こうという。ああでもなければ、こうでもないと力説する。あれではいけない、これではだめだと言いながら、自分の考えを述べることが無い。自分には、考えというものが無いからである。だから、不毛の議論は避けられない。

 

 

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閲覧数68 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/01/13 00:53
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