河田皓史氏 |
>AERA DIGITAL >【なぜ?】日本は「7%」で世界最低レベル… 会社への「エンゲージメント」が低すぎる残念な理由 >2時間・ > 近年、会社への帰属意識や信頼感、愛着を示す「エンゲージメント」スコアが注目されている。 >実は、日本はこのスコアが「世界最低レベル」にある。 >その「構造的な原因」とは。 >加速する人手不足とインフレの未来で、日本はどうなるか――元日銀・気鋭のエコノミスト、河田皓史氏の新刊『働く人が減っていく国でこれから起きること』(朝日新書)から一部を抜粋してお届けする。 >* * * >■人材流出の危機感 > 会社や仕事に冷淡な人が増加していることや、「JTC」(Japanese Traditional Company)への不満が強まっていることを企業も認識していないわけではない。 >「大卒新社会人の3割が3年以内に離職する」といった若年離職の問題は筆者が学生の頃(2000年代後半)にもよく指摘されていたが、転職市場が厚みを増す中で最近は各企業で主力となる中堅クラス(30代〜40代前半)の離職(転職)が増加していることもあって、人材流出に関する企業の危機感が一段と高まっていることは確かだろう。 > こうした流れの中で、いわゆる「エンゲージメント」(従業員の自社に対する帰属意識・信頼感・愛着)の向上に向けた取り組みが多くの企業で進められている。 >差し当たり、従業員に対するアンケート調査を実施し、従業員が会社に対して何を感じているかのデータを集めている企業が多いようだ。 >■日本のエンゲージメントの低さは有名 > 従業員が何に満足し、何に不満を持っているかを知ろうともしていなかった時代と比べれば一歩前進ではあるだろうが、そうしたデータ収集が有効な施策の立案・実施につながっているかというと、少なくとも現時点では、それほどうまくいっていないようである。 > そもそも日本企業の従業員のエンゲージメントの低さは有名である(だからこそ、どの企業もエンゲージメント改善に向けた取り組みを進めているということでもある)。 > ギャラップの調査「State of the Global Workplace」の最新版(2025年版)をみると、日本のエンゲージメントスコアは7%と世界平均(21%)を大きく下回り、世界最低レベルの状況が続いている。
従業員が売り手市場だからでしょうね。失業者があふれている国ではこうはゆかない。
>「エンゲージメント」という言葉・概念は数年前から流行しており、前述の通り多くの企業で取り組みが進められてきたことを踏まえると、やはり多くの企業においてはエンゲージメント向上の取り組みはあまりうまくいっていないと評価せざるを得ないだろう。
当家に代々仕える忠義な家臣は昔の話ですね。ヤクザ衆は今どうなのか。
>■改善しない当然の理由 > それも当然と言えば当然で、エンゲージメント向上のためには従業員にとってプラスなこと、従業員が望むことをする必要があるわけだが、従業員にとってプラスなことは経営者にとってはマイナスというゼロサム性が相当ある(賃上げはその典型である)。
そうですね。
> 当たり前の話だが、経営者は自分の取り分を減らしてまで従業員に何かしてあげようとは通常思わない。 >したがって、経営者と労働者のパワーバランスに大きな変化が生じない限りは、エンゲージメント向上に向けた実効性のある対策は打たれないのが必然である。
そうですね。
> このように世代間の価値観ギャップが拡大し、老いも若きも企業への不満を募らせる中で、筆者世代のビジネスパーソンは両者(中高年層〈経営層〉と若年層〈労働組合員層〉)を取り持つような役回りになっていることが多い。 >「会社と自分を一心同体のものと考える中高年層」と「会社への帰属意識が薄い若年層」の板挟みにあって強いストレスを感じていることが、他の年齢層に比べて高いFIRE願望を持つことにつながっている面があるのかもしれない。 [FIRE: Financial Independence, Retire Early] >(河田皓史『働く人が減っていく国でこれから起きること』(朝日新書)では、「ホワイトだけど仕事は嫌い」「管理職は負け組」「”働かないおじさん”の発生」など、若者のFIREブームと現代社会について分析している)
子供の勉強は他人の受け売りをすること。 大人の勉強は自己の見解を明らかにすること。自己の見解を論文として発表し、英米流の高等教育機関から独創性を認められると、学位が得られる。 日本人は無哲学・能天気であるから、自己の見解を明らかにすることはできない。だから子供の状態にとどまる。受け売りの教育により天下の秀才 (クイズ王) が沢山出来る。 日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の意見の受け売りの仕方ばかりを教えられて、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 高等教育機関において自己の個人的な見解を論文で明らかにし、その独創性を認められれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。自己の見解を明らかにすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩により一層の貢献が可能になるでしょう。
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