2018年01月20日(土) 

 

 

>『考えない子ども』とはどんな子どもを指すのでしょうか。>それは、やりたいことがわからず、自分の人生に何の責任も持たない子どものこと。

 

そうですね。退屈男・退屈女の様なものかな。

 

>日本で社会問題になっているニートの存在も、 『考えない子ども』の最たる例です。>やりたいことがあるからニートになっている者もいるでしょうが、大半はやりたいことがみつからず、何をしていいのかわからないと答える人が多いようです。

 

そうかも知れませんね。

 

>「やりたいことがわからない」という若者が増えたと言われる昨今ですが、これはよく「みんな同じが大好きな日本社会」に起因していると指摘されます。

 

そうですね。自分独自の発想がないのですね。

 

>日本社会で「立派な大人」、「まともな人間」として生きるには周りと同じでなければいけません。>子どもの時からみんなと同じ制服を着せられ、みんなとどこか違う子はいじめられる。

 

そうですね。変わり者には、割の合わない国柄ですね。

 

>そんなクラスの危うい和という社会では雰囲気やノリの良さが最重要項目であり、「自分の考え」を作り上げたり、述べることは歓迎されません。

 

そうですね。考える人の像は見当たりませんね。議論をすれば、喧嘩になるからでしょうね。

 

>「出る杭は打たれる」ということわざからもあるように、集団のなかから目立つことは決していい結果をもたらさず、「当たり障りなく生きる」ことが日本社会で生きる人の“賢い生き方モデル”とも言えます。

 

角の取れた人間になる事が大切ですね。大衆に埋もれて生活するのが、賢い生き方のモデルでしょうね。

 

>しかし、この日本社会を別の方向から捉えてみると、「みんなと同じように行動していれば何とかなる社会」だと言えます。>つまり、自分で考えなくていいのです。>生まれた時から、とりあえず周りと同じように生きればいい。

 

周りと同化すればよい。無哲学・能天気の人生ですね。

 

>みんなと同じ制服を着て、みんなと同じような発言をして、みんなと同じモノを好きになればいい。>「異」を排除する社会では、みんな同じにしておけば問題は起きないのです。

 

皆が金太郎あめの様な顔をしていれば、良いのでしょうね。

 

(略)

>他の人のレールに合わせた生き方をすれば、世間では「常識的な人」と評価されるでしょう。>しかし、社会にでる時になってその子は思うのです。>「私は一体何がしたいんだろう?」

 

そうですね。

 

>これが個性が生まれにくい日本社会の弱点であり、日本では『考えない子どもが育つ』と言われる所以です。

 

日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容であり、日本語文法には時制というものがない。だから、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。

非現実の内容は、考えの内容を表しています。考えの内容は、時制のある文章により表すことが出来ます。現実の世界は一つですが、非現実の世界は、過去・現在・未来と三つあります。

全ての考えは、文章になります。文章にならないものは、考えではありません。日本語の文章は、非現実を表さないので、考えにはなりません。だから、考えない子供が存在します。これは、大人とて同じことです。

 

>みんなに合わせることを徹底的に教え込まれる社会で育つと、自分というものが掴みにくくなってしまうのです。

 

意思が無ければ、能動的な行動はできません。みんなに合わせることは受動ですなら、これは可能です。

 

>反対にフランス社会では、みんなと同じ意見ばかり言っていれば周りの人になめられたり、馬鹿にされてしまいます。>子どもの時から、自分の考えを、自分の言葉で論理的に説明することを求められるフランス社会で育つ子どもとの差がここに表れるわけです。

 

矛盾のない文章は、全て正しい考えを示しています。ですから、正しい考えはたくさんあります。個人が違えば、個性も違います。

 

>もちろんフランスも完璧な国ではないので、日本にはないフランス特有の問題を抱えていますが、日本は「自分で考える力」が育ちにくい社会であることは多くの海外を知る日本人が挙げることです。

 

そうですね。現実の内容は、頭の外にある。非現実の内容は、頭の中に存在する。非現実の内容は、考えの内容である。両者の内容は、その所在が違うので内容も同じになりません。

日本語は、風景画のための言語である。その内容は、見ればわかる。考えの内容は、見ることが出来ない。だが、話になる。

 

>小さいころ、クラスの劣等生として疎まれていた女の子がきちんと整列しなかったとき、先生に怒られてこんなことを言っていました。>「だって、みんなおにぎりみたいで面白くないもん。」>今思えば「おにぎりみたいだ」と語ったその子こそ、個性があって自分で考える力があったのかもしれません。

 

そうですね。その女の子には考えがあったのですね。

 

>『考えない子どもが育つ』、ニッポンの社会で一番苦しんでいるのは「考えない子ども」そのものなのです。

 

日本語脳では、考える事自体が難しいことですね。英語を学んだら、考え方も変わるでしょう。苦しみから逃れられるかな。大人も、逃れられるかな。

 

 

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閲覧数372 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/01/20 14:55
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