2018年08月25日(土) 

 

 

(略)

>『世間』が狭くなり孤独になるわたしたち >『世間』という言葉は『社会』と同じような意味に思えるが、実は『世間』には「自分の活動範囲」という意味もある。>たとえば「世間が狭いね」と言うのは、活動範囲が偶然かぶったことへの驚きだ。

 

そうですね。社会には未来社会などといった世界観の感覚がありますが、世間にはありませんね。

 

>『「空気」と「世間」』という本では、世間と社会の定義を、こんなふうにまとめている。>『世間』は同じ舞台上の出来事で、自分もそのなかの一員として体験するもの。>社会は客席から見ている感じ、とでも言おうか。

 

‘社会’ は当事者・関係者ではなくて、傍観者の感じですかね。

 

>昔はこの『世間』という舞台がオープンで、その舞台上にはたくさんの人、たとえば親戚や近所の人、同級生の親や友人たちがいたのだろう。

 

昔は生産性が低く、人々は肩を寄せ合って助け合いながら暮らしていましたからね。舞台上にたくさんの人がいた。

 

>そしてその舞台上にいる人はみんな「関係のある人」だったはずだ。

 

お互いに身近で、肩と肩の触れ合うことも多かった。

 

>でもいまは、『個人』という概念が重視されている。

 

そうですね。個人主義が重要ですね。

 

>「自分は自分」「他人の言うことなんて気にするな」なんて言葉で、舞台の幕を下ろしている人が多い気がする。

 

そうですね。言いっぱなしでは、社会建設は進展しませんね。

 

>舞台上には自分と、家族、数人の友人だけが立っていて、すりガラスの向こうにいるネットでつながった人々がじっとこちらを見ているだけ。

 

核家族が普及した結果ですね。

 

>そんな状況を「日本も欧米のように個人主義な国になりつつあるのだ」なんて言う人もいるけど、それはちょっとちがうんじゃないかと思っている。

 

そうですね。違っているでしょうね。

 

>他人と関わりあう『個人主義』のドイツ>わたしは『個人主義』と言われるドイツで暮らしているのだが、実際に過ごしてみると、『個人主義』のイメージがかなり変わった。

 

聞くと見るでは大違いですか。

 

>わたしは『個人主義』に対して、「他人に無関心で自分優先」というイメージをもっていた。>舞台上の主役である自分に常にスポットライトが当たっていて、ほかのモブキャラなんてどうでもいい、という感じだ。>でも実際は、全然そうじゃない。

 

そうでしょうね。彼らは自己中心主義ではないでしょうね。

 

>むしろドイツでは、他人との関わりあいをとても大切にしている。

 

お互いに個人を大切にしていますね。

 

>駅のホームに上がる階段を上っていると「電車が来るホームが変更になるよ。3番線だ」と声をかけられたり、電車が遅延したら向かいに座っている人と肩を竦めて「災難だね」と一言交わしたりする。>目が合ったら笑いかけ、レジでは「ありがとう。良い1日を」と言って立ち去る。

>ぶつかりそうになったら「おおっと」なんて言って、お互い笑顔で「大丈夫?」「大丈夫大丈夫」と言う。>宅配の不在表には「向かいの○○さんに届けた」なんて書いてあって、後日「わたしの荷物あります?」と受け取りに行く(これはドイツの雑な郵便事情もあるのだが)。

 

あなたは外国で、いろいろと貴重な体験をしているようですね。

 

>ドイツはたしかに日本よりも『個』を重視するし、自立と自己判断を求められる。

 

そうですね。自主独立の気構えと加害者意識に基づく反省が必要ですね。

 

>でもその一方で、日常的に多くの人が関わりあっているのだ。>ドイツでは舞台の幕は常に上がっていて、そばにいる人みんなが「同じ舞台にいる関係者」という感じである。

 

そうですね。彼らには、世界観がありますからね。舞台に立っているのは自分だけではない。すべての人が立っている。

 

>舞台に立っているのは自分だけという世界 >日本……といっても地域で大きな差があるだろうけど、少なくともわたしの生活圏内は、そんな気軽に他人に話しかけられる雰囲気ではなかった。

 

そうですね。わが国は、身分・格式の社会ですからね。人を見損なってはいけない。そうでなければ、礼儀正しい日本人にはなれません。

 

>コンビニの店員さんに「今日暑いですねぇ」なんて言ったら相手は困惑するだろうし、目が合った人に微笑みかけたらヤバイやつ扱いだろう。>それが異性なら、あらぬ誤解を招くかもしれない。というかそもそも、他人と目が合わない。

 

‘面を上げよ’ といわれるまでは、相手と目を合わせることはまず難しいですね。

 

>舞台の幕はいつも閉まっていて >「すみません、わたしはこういう者ですけども、中に入れていただけませんか」 >と声をかけて了承を得なければ他人の舞台には上がれず、関わりあえない。

 

‘どうか、お控えなすって下せえ’ というところですね。

 

>日本に一時帰国すると街の人びとがそっけない気がしてしまうのは、ドイツに比べて、他人であるわたしと関わろうとする人が少ないからだろう。

 

他人とは、’自己の序列の外にいる人’ ですからね。

 

>たとえば「田舎の温かみ」に憧れる人がいるけど、それは狭いコミュニティのなかで『世間の一員』として強制的に他人の舞台に上げられることで、人とのつながりを感じて癒されたいのだと思う。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上とみるか・下とみるか’ の判断は、日常会話には欠かせない。自己との関係を序列判断のできる相手は、’うちの人’。できない相手は、’よその人’ である。序列は帰属意識の源になっている。

 

>いままで日本では『○○学校』とか『××社』とかっていう集団への帰属意識が強くて、同じ集団に所属している人はみんな同じ舞台に立つ仲間だと認識していたのだろう。

 

そうですね。『○○学校』とか『××社』とかいうのは、序列社会の名称ですね。

 

>でもその『集団』という意識が弱くなることで、同じ舞台に立つ人がいなくなり、『世間』が狭くなってしまった。

 

個人が経済的に強くなったのでしょう。

 

>そんな世界だからこそ、うまく人に甘えられなかったり、孤独感を強く感じたりして、生きづらいと思う人が多いんじゃないかなぁなんて思う。

 

序列関係が成立しなして、なれ合うことも難しいですね。

 

>個を重視するからこそ大切な『つながり』>これからは日本でももっと、『個人』が軸になっていくだろう。

 

そうでしょうね。考える人の育成には、個人主義が必要ですね。

 

>でもそれなら、『世間』は広くなくてはいけない。

 

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。文章内容となった考えは、世界中に拡散されます。

 

>そうでなければ、他人とのつながりをもたない孤独な『個人』が、自分のことだけを考える世の中になってしまう。>というより、いまもすでにそうなっている気がする。

 

世界観を持たない人は、処世術に専念しますね。個人主義を利己主義と誤って解釈することもあるでしょう。

 

>道端の迷子に声をかけることすらためらい、具合が悪くても電車で席を譲ってほしいと言えず、子どもが泣いていてもそ知らぬ顔をする。

 

日本人には世界観 (world view) がないから、自己の ‘あるべき姿’  (things as they should be) の内容がありません。ですから、序列協力の埒外の事柄になります。ついつい他人行儀になります。

 

>『世間』という舞台がオープンならば、身の回りの出来事はすべて「自分と関係のあること」だ。>迷子がいたらすぐに声をかけるし、「席を譲ってもらえませんか」と言えるし、泣いている子どもを一緒にあやしたりするだろう。

 

‘ところ変われば品変わる’ ということですかね。

 

>でも現代日本(少なくともわたしが知っている範囲)では、そんな関わりあいさえむずかしくなってしまった。>それは、さみしいことだと思う。

 

日本人は、自己の処世術に自信を持つようになったのでしょう。なれ合うか、それとも、他人行儀で行くか。二つに一つでしょうね。我々が世界観を持つには、英米流の教養の教育が必要ですね。

 

>多様性を認めよう、人はみんなちがうのだから尊重しよう。>そんなことを言っているのに、そこには人とのつながりがない。

 

人人により考えの内容は違いますからね。話し合いが必要ですね。処世術の違いでは、協力関係ができませんね。’あるべき姿’ の一致か必要ですね。

 

>個人が重視され、自分で人生を切り開く力が求められ始めた現代だからこそ、他人とのつながりをより大切にしていく必要があるんじゃないかなぁなんて思っている。

 

そうですね。個人の処世術が重視され、あるべき姿が語られないのでは、社会は良くならないですね。’あるべき姿’ を語り合えば、他人とのつながりが貴重なものであることを理解することになるでしょう。  

 

 

 

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閲覧数656 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/08/25 14:52
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