2018年08月25日(土) 

 

 

 

>思考停止からの脱却。>考えても答えが出ない、思考停止に陥るならば、行動してみる。

 

軽挙妄動にならないと良いのですがね。

 

>いま必要なのは、行動し、実践し、そこからなにかを学ぶ姿勢。

 

我々は、考える人になる必要がありますね。

 

>リンク

>「人口減社会」についての論集の編者を依頼された。>21世紀末の人口は中位推計で6000万人を切る。

 

江戸時代は、3000万人でしたね。

 

>今から80年間で日本の人口がおよそ半減するのである。>それがどのような社会的変動をもたらすのか予測することは難しい。>いくつかの産業分野が消滅すること、いくつかの地域が無住の地になることくらいしかわからない。

 

日本は、静かな国になるでしょう。

 

>起こり得る事態について想像力を発揮して、それぞれについて対策を立てることは政府の大切な仕事だと私は思うが、驚くべきことに人口減についてどう対処すべきかについての議論はまだほとんど始まっていない。

 

‘未来 (非現実) の世界’ を考えることは、我々は得意ではないですからね。

 

>だからこそ、私のような素人が人口減社会の未来予測についての論集の編者に指名されるというような不思議なことが起きるのである。

 

そうですね。皆で考えを出し合いましょう。

 

>先日毎日新聞が専門家に人口減についての意見を徴する座談会を企画した。>その結論は「楽観する問題ではないが、かといって悲観的になるのではなく、人口減は既定の事実と受け止めて、対処法をどうするか考えたらいい」というものだった。

 

戦時中にあった ‘覚悟を決める’ というやつですね。

 

>申し訳ないが、それは結論ではなく議論の前提だと思う。

 

そうですね。でも以前から、そういう議論の仕方ですね。

 

>最後に出席者の一人福田康夫元首相が「国家の行く末を総合的に考える中心がいない」と言い捨てて話は終わった。

 

無哲学・能天気の国民であってみれば、世界観 (world view) を持つ人はいないでしょうね。言い捨てて終わるのでは、実りがないですね。

 

>人口減については、政府部内では何のプランもなく、誰かがプランを立てなければならないということについての合意さえ存在しないということがわかった。

 

彼を知り己を知れば、百戦危うからず。

 

>その点では有意義な座談会だった。

 

皆の衆は、平気の平左でしょうね。

 

>出席者たちは「悲観的になってはならない」という点では一致していた。

 

そうですね。悲観的になると、自決あるのみですね。

 

>ただ、それは「希望がある」という意味ではなく、「日本人は悲観的になると思考停止に陥る」という哀しい経験則を確認したに過ぎない。

 

我々は、思いつめるのですね。’一億総玉砕’ の時のようなものですね。

 

>わが国では「さまざまな危機的事態を想定して、それぞれについて最適な対処法を考える」という構えそのものが「悲観的なふるまい」とみなされて禁圧されるのである。

 

そうですね。我々は、考える人にはなれませんね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

>近年、東芝や神戸製鋼など日本のリーディングカンパニーで不祥事が相次いだが、これらの企業でも「こんなことを続けていると、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人々はいたはずである。

 

そうですね。

 

>でも、経営者たちはその「悲観的な見通し」に耳を貸さなかった。

 

悲観的な見通しを耳にすると、気分が悪くなるからでしょう。

 

>たしかにいつかはばれて、倒産を含む破局的な帰結を迎えるだろう。>だが、「大変なこと」を想像するととりあえず今日の仕事が手につかなくなる。

 

‘大変なこと’ (非現実) は、常に想定外ですね。われわれは、’とりあえず’ の発想で一生を過ごします。

 

>だから、「悲観的なこと」について考えるのを先送りしたのである。

 

そうですね。先送りですね。誰が最後にババを掴むのか。

 

>人口減も同じである。>この問題に「正解」はない。

 

矛盾を含まない全ての文章は、正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。幾らでもある。

矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えになります。

 

>「被害を最小限に止めることができそうな対策」しかない。

 

応急処置ですね。

 

>でも、そんなことを提案しても誰からも感謝されない。>場合によっては叱責される。

 

‘雉も鳴かずば 打たれまい’ ということですか。’難問に首を突っ込んではいけない’ ということでしょう。

 

>だから、みんな黙っている。黙って破局の到来を待っている。

 

無為無策でいて、座して死を待つ。これが、昔からの日本人の習慣でしょう。

 

>寄稿は以上。

>しかし、これは人口減に限らず、今日本で起きていることのすべてに適用できそうな話である。

 

そうですね。我々日本人は、無哲学・能天気ですからね。

 

>公文書改竄事件でも、省庁の各所に「こんなことを続けていたら、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人はいたはずである。>でも、要路にある人々は耳を貸さなかった。

 

そうですね。’我関せず’ ですね。日本人には、世界観がない。

 

>彼らには耳を貸さない代償に個人的な栄達が約束されていたからである。

 

利己主義というのか、処世術に専念していますね。

 

>組織の長期的な信頼性や安定よりも、わが身たいせつを優先させる人々たちが選択的に出世できる仕組みを作り上げたこと、それが安倍政権5年間の際立った「成果」である。

 

そうですね。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。

 

>それで日本社会がどれほど損なわれたのか、被害の規模と深さを思うと気が遠くなりそうである。 

 

気が遠くなる人ばかりでしょう。真面目に ‘あるべき姿’ (things as they should be) を考える人がいない国ですね。

日本語と英語の両言語を学んで、正しい考え方を身につけましょう。

 

 

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閲覧数636 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/08/25 03:07
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