2018年12月22日(土) 

 

 

>「長谷川豊氏はそもそも本音で議論したら社会は壊れるという大前提を忘れてるんじゃないだろうか(リンク)」という記事を見た。

 

本音 (恣意) で議論したら、社会は壊れますね。恣意とは、私意・我儘・身勝手のことです。本音には、社会性のかけらもない。

 

>(以下引用)

>>だから人間の本音は仲間内で管を巻くぶんにはかまわないが社会に組み込まれてはいけない。>>個人の本音はけっこうな確率でいびつでゆがんでいて社会性のかけらすらないことがほとんどなのです。

 

そうですね。本音は、文章にならない。ばらばらな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在します。意味も無ければ、矛盾も指摘できません。もちろん、議論にもなりません。

 

>>人間はその能力以上に知力や理性を鍛えることのほうがはるかに難しいものです・・・僕の短い人生という経験上はいまのところそういうことになっています。

 

そうですね。理性判断 (rational judgment) のできる人間になることが大切ですね。

 

>(以上引用)

[以下長谷川豊氏]

>「本音には社会性が無い。>だから建前は大切」という議論はよくある。

 

建前とは、言い訳 (口実) のことですね。

 

>本音で社会が統合できないなら、人類は常に本音を押し殺し建前で社会を作らなければならなくなる。

 

本音と建前の社会には、誠意は感じられませんね。

 

>そうなれば何らかの建前に収束していくのも当然であって、本能や共認を否定・捨象して出来合いの観念に飛びつく。

>(「勉強脳」が大人になっても継続し得る背景ではないか)

 

相手から建前を聞いて、自分の腹の虫を抑えるのですね。

 

>しかし、建前という観念では統合できなくなった社会にあって、照準を当てるのはむしろ本音の方だ。

 

本音は、良くないですね。英米人から目の敵にされます。本音には、リーズン (理性・理由・適当) がないからです。’恥を知れ’ (Shame on you!) の一語で決着がつきます。理性判断のできない人間のみじめさを初めて体験することになります。わが国は恥の国であると言われているが、この種の恥が存在しない。

 

>そして、本能や共認からできている「本音」と、そこに混入している自我を理解して、その発現をコントロールできれば、新しい社会を作るための観念群を構築していけるはずだと思う。

 

我々には、‘あるべき姿’ の内容が必要ですね。無哲学・能天気ではいられない。

あるべき姿の内容は、現実の中にはない。非現実 (考え) の中にある。

日本語を使うと、現実の内容は文章になるが、非現実 (考え) の内容は文章にならない。

非現実の内容を文章にするには、文法に時制 (tense) というものが必要である。時制があれば、過去・現在・未来の独立した非現実 (考え) の三世界の内容を文章にすることができます。時制は、英語にあって日本語にはない。

だから、我々日本人は日本語と英語の両方を学び、時制の有用性を十分に理解して、自己の考え (非現実・観念) を表明できるようにすべきであります。

 

>われわれは自我を恐れず、本音で議論しあうべきだ。

 

我々は、自己表現の手段を手に入れて、自己実現に日夜励むことができます。自他の自己表現を突き合わせることにより、建設的な議論も可能になります。大同団結して、未来社会の建設に励みましょう。

 

 

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閲覧数645 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/12/22 22:43
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