2019年03月18日(月) 

 

 

>新入社員研修をしていると、「答え探し」をしようとする新入社員が多いことに気づく。>グループワークの課題を出すと、自分の意見を出すのではなく、「このワークの落とし所はどこでしょうね」と話し出す。>これは、「正解」を求めることを第一とする日本の教育の弊害の1つと言っていい。

 

一種の当てものですね。当たればラッキーか。

 

>考え抜いて自分なりの解を出すことができないのは新入社員に限った話ではない。>社会人になって10年以上経っている人でも、自分の頭で考え抜けていない人は多くいる。

 

そうですね。考えることは、難しいですからね。

 

>(中略)

>変化の時代、答えがない時代ほど、自分の頭で考え、自分なりに方向性を見出し、その方向に向けて、自分自身や周囲の人を導いていく力が求められてくる。

 

そうですね。知恵者は、昔から必要でしたね。

 

>上司力を高めるための1つ目は、リーダーシップである。

 

指導力は、部下を自分の意思に従わせる能力ですね。

 

>これまで、「答え探し」や「横並び」が正しいと教育されてきた人に対して、いきなりリーダーシップを発揮することが求められるといっても、何をすればいいのか分からない。

 

そうですね。わかりませんね。これまで没個性の訓練ばかりでしたからね。

 

>(中略)

>私自身、これまで1万人以上の人材育成に携わり、リーダーシップを発揮している人を多く見てきた中で、リーダーシップを発揮することにおいて最も重要なポイントを1つに絞るとすると、それは「志」を持っていることであると言える。

 

それは、日本人にとって難しいことですね。

 

>(中略)

>間違わないでいただきたいことは、志を持っているリーダーが「答え」を持っているワケではないということだ。

 

そうですね。リーダーは、全知全能ではないですね。

 

>未来を明確に描いているワケでもない。

 

日本人は、脳裏に未来の世界を展開させることが難しいでしょうね。

 

>ぶれない軸を持っているがゆえに、周りに人が集まり、一緒に働く人が安心して働くことができるのである。

 

そうですね。リーダーにぶれない軸は必要ですね。つかみどころのない人間であっては不安は解消されませんね。

 

>(中略)

>◇まずは自分とチームの目指す姿、ありたい姿を明確化する >幕末でも高度成長期でもあるまいし、「志」なんて古いのではないか? 

 

残念ながら、意思の大切さは未だに日本人に知られていませんね。

 

>「志」というものは、一部の人だけが持つもので全員が持つものではないのではないか? >そのように感じられる人もいるのではないだろうか。

 

そうですね。’あるべき姿’ に向かう意思は全員に必要なものですね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.

 

>私は、今の時代だからこそ、「志」が大切で、誰もが持っているものだと考えている。

 

実は日本人は、意思を持っていないのですがね。向かうべき内容を世界観として持っていない。

 

>今の時代は、一言でいえば「多様化」の時代である。

 

そうですね。意思も世界観も一人一人違いますね。

 

>高度成長期は、全員が同じ方向を見て、言われたとおりに行動していれば良かった時代である。

 

そうですね。‘一億一心’ の心がけでしたね。没個性の時代でしたね。

 

>これからは、自分の人生に対して、誰も明確な方向性を決めてくれない。

 

本当に自由な時代になりましたね。

 

>多様化の時代とは「自分で決めて、自分の目指す方向に進む」時代なのである。

 

そうですね。考えは、一人一人で違っている。まったく自由の時代ですね。自由とは、自由意思のことでしょう。自分の自由で世界観が決められますね。

 

> (中略)

>では、どうすれば「志」を持つことができるのだろうか? 

 

意思 (will) は、未来時制の文章内容であります。日本語には時制 (tense) というものがないが、英語にはある。だから、英米人には意思があります。我々日本人も日本語と英語の両言語を熱心に学んで時制の大切さを十分に理解すべきでしょうね。さすれば、自己の意思の表明も可能になり、外国人とも意思の疎通が実現できます。自己実現の可能性に近づくことができます。

 

>その一歩は「ありたい姿」を描くことである。

 

‘ありたい姿’ は、’あるべき姿’ でしょうね。あるべき姿 (things as they should be) は、今ある姿 (things as they are) とは、内容もその所在も違っていますね。日本語は ‘写生画の言葉’ ですから、’今ある姿’ のみを表現します。’今・ここ’ の内容のみの表現です。’あるべき姿’ の内容は非現実 (考え) の内容で、写生画の中には入っていません。非現実 (考え) の内容は、文章でのみ表現されるので、文章の理解が必要になります。日本人には、時制を含む文章の内容を理解することが難しいので、世界観が持てません。世界観 (world view) が持てれば、’あるべき姿’ の世界を自由に描くことができます。

 

>自分自身のありたい姿や、チームや職場のありたい姿を描いてみることだ。

 

それができると良いですね。’ありたい姿’ を写生画にすると、’見て来たような嘘’ の話になります。実感が無いので、座が白けます。これは、日本語の性質によるものです。日本語の話の内容には、重み・真実味というものがありません。いわゆる ‘綺麗ごと’ になりますね。

 

>「ありたい姿」を描くためには、問題と感じていることを洗い出すことから始めるとよい。

 

もしも、文法に時制があるならば、現実を離れて ’あるべき姿’ を描くことが可能ですね。理想から出発すると、話が簡単になります。 

 

>自分が扱うべき最も重要だと思う問題に焦点を当て、その問題意識に関する理想の姿・状態を「ありたい姿」として考えてみると良い。

 

あるべき姿が、自分の扱うべき最も重要なことでしょう。それ以外のことに熱中すると、道路の補修工事のようなものになります。国の立て直しにはなりません。年がら年中工事中で完成の域には達しません。

 

>私の場合は、「意志を持たない日本人が増えてきている」という問題意識があるからこそ、「志を持っている社会人が30%を超える世の中」をありたい姿として描いている。

 

そうですね。日本人には、意思がない。意思 (will) は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制はなく、日本人の発言には意思がない。英語を学べば、必然的に意思の表現法を習得することになります。ですから、我々日本人は、日本語と英語の両言語を熱心に学ぶ必要があります。さすれば、意思の表現を獲得できます。

 

>(中略)

>◇志なしリーダーの10の行動

>逆に志のない人がリーダーであるとどのような行動を取るだろうか? >志の3つの定義を裏返して考えてみると分かりやすい。

 

意思のない人は、指導者としては不適任ですね。

 

>(1)原動力がない:自分の価値観がなく、依存的に行動している 

 

自分自身の ‘あるべき姿’ という内容がなければ、それに付随した価値もないでしょうね。ですから、他人の価値観に依存して行動することになりますね。それが良くない。

 

>(2)利他ではない:社会や周囲のためではなく、自分のためだけに行動している

 

‘あるべき姿’ 存在すれば、その状態の世界に向かう努力も可能です。’あるべき姿’ がなければ、現実に流されるより他になす術はありません。自分だけが頼りであるならば、自分のためにだけ行動しなければなりませんね。

 

>(3)覚悟がない:日々流されるように生きていて、場当たり的な行動を繰り返す

 

ドジョウ掬いをして生計を立てるようなものですね。瞬間の判断でのみ生きている。来るべき世界に関する発想がありません。

 

>上記のようなリーダーの下で働きたいと思うだろうか? 

 

思いませんね。夢と希望がありませんから。

 

>このような人がとる代表的な行動を10にまとめてみた。>皆さんのリーダーはこの項目にいくつ、当てはまるだろうか?

 

どうれ、その内容を見せていただきましょうか。

 

>・自分の評価を気にして、上の指示のいいなりである

 

きっと良い子になる訓練を受けた人でしょうね。

 

>・指示内容や、意志決定の基準がコロコロ変わる

 

日本人には意思がないのだから、その内容はコロコロ変わっても不思議はないですね。優柔不断・意志薄弱と見受けられます。

 

>・新たな方針は示さず、現状維持を好む

 

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には、意思がない。仕方がないから、無為無策でいる。それで、現状維持にならざるを得ません。待ちの政治を好む。

 

>・感動することも悔しがることもなく、淡々と日々を過ごしている

 

自己の意思を示せば、当事者・関係者になる。示さなければ、傍観者にとどまります。日本人には、意思がない。それで、当事者・関係者になることが少ない。思い患うことも少なく、世相に対する感動もない。

 

>・部下に愚痴をこぼす

 

意思はなくても、恣意はある。恣意 (私意・我儘・身勝手) は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在する。文章にならないから、意味がない。意味・意義のない人生を送ることになる。司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>・目の前の問題に対処するばかりで、未来のことは何も語らない

 

ナウな感じのする人ですね。未来の世界に対する考えの内容は、未来時制の文中で示される。日本語文法には、時制というものがないから、未来のことは想定外になっている。

 

>・体裁の良いことを言うものの、結局は行動に移さない

 

日本人には、意思がない。心を動かせば、それは歌詠みになる。結局、文章にはならず、意味がない。

 

>・自分の仕事に追われていて、周囲のことに気を配ることができない

 

日本人は、目先手先の事柄に神経が集中しますね。世界観がないから、それだけ雑念も少ない。細かいことに懲り性になる。

 

>・人に対しては勉強しろと言うが、自分自身は勉強もせず、成長をしていない

 

山本七平は、自著 <ある異常体験者の偏見> の中で、反省の押し売りに関する疑問を、下の段落のように述べています。

、、、、、私が常に不思議に思うことは、戦前の「恥を知れ、反省しろ」であれ、新井宝雄氏の「反省が見られない」であれ、本多勝一氏の「恥としなければならない」であれ、軍隊の「キサマラ、反省がタリン」であれ、「恥を知れ、処決せよ」であれ、たえずこの言葉を口にするこの人たち自身が「自らを律しそれを基準にして生きている主義」は、一体全体、何という主義だったのだろうかという疑問である。(引用終り)

 

>・できる方法ではなく、できない理由を先に考える

 

それは、さぼりの口実にもなりますね。

 

>大切なことは、皆さんの上司を批判することではない。

 

部下は、上司の責任を負うことはできませんからね。

 

>皆さん自身がこのようにならないために、新たな一歩を踏み出すことである。

 

そうですね。根本からやり直すことが必要ですね。日本語と英語の両言語を熱心に勉強しましょう。 自己の意思と世界観を示す人になりましょう。

 

 

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閲覧数313 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/03/18 13:37
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