> 先日、たまたまイギリスBBCのこんなニュースを見ました。> 『Can education change Japan’s ‘depressed’ generation?』 [教育は、’抑圧された’ 世代を変えることができるか] > 簡単に要約します。 > 『将来への夢や希望を持っている若者が、世界と比較すると極端に少ない。
わが国には、何でもあるが、ただ夢と希望がない。
>また自己評価も著しく低い。
‘どうせおいらは、。。。。。’ といった調子である。序列テストの結果が深く根を下ろしています。
> 日本では、幼い頃から、お辞儀の仕方が悪いとやり直しさせられ、机の上の、どこに筆箱を置くかを指示され黙ってそれに従う。>給食の準備も、秩序良く行儀よく一列に並ぶ。
日本人には、意思がない。だから、能動的な動作に乏しい。その能動を補うために、わが国にはあらかじめ作法というものが定められております。 意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には、未来時制は存在しない。それで、日本人には、意思がない。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人は、仕方が無いので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。
>こうした教育を受け続けた若者は、自分の意見を持つことはなく、ひたすら親からいい学校、いい企業に就職することを求められる。
そうですね。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。それで、’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判定ができなければ、日本語を上手に話すことも難しい。日本人の価値観は、ものの上下で決まると考えて大した狂いはない。個人の一生の価値も世俗的な上下で決められているようである。
>若者は、それに従って特に自分の意見もなく、ある時期になると、安定を求めて一斉に就職活動をする。そこにはチャレンジする姿はない。>もちろん、景気の良かった親の時代の日本のことも知らない。
そうですね。何事も人様並みにすることである。これが作法になっている。
>そして日本の若者は一切の希望を持たなくなってしまった。
そうですね。日本の若者には、夢と希望がない。 日本語は、’写生画の言葉’ であると言われている。その文章内容は、実況放送と現状報告になる。その内容には、現実があって非現実がない。 非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。その内容を知る為には、文法を頼りに文章内容を理解しなくてはならない。だから、厄介である。特に、時制ある文章の理解は日本人にとって厄介なことである。非現実 (考え) の内容は、時制 (tense) のある文章内容になる。英文法には、時制というものがあるので、時制のある文章内容は、独立した三世界 (過去・現在・未来) になって表現される。夢や希望は、未来時制の文章内容になる。しかし、日本語の文法には時制がないので、日本人は自己の考えの内容を文章にすることができない。だから、日本の若者には、自己の夢と希望が想定外になっている。 非現実 (考え) の内容を時制のある構文に盛り込むと、哲学になる。各人に哲学が必要である。Everyone needs a philosophy. 考えの内容を時制のない構文に盛り込むと、矛盾と共存する ‘空想・妄想’ となる。日本語には時制がないので、人々は無哲学・能天気の状態になっている。だから、日本人は真面目人間にはなれない。だが、お陰様でわが国は、アニメ・マンガの大国になることができた。
>これを教育で変えないといけない、ということで政府が教育改革を始めている。』
我々日本人の無哲学・能天気を解消する有効な手段が見つかると良いですね。
>ざっくりこんなことが書かれています。(もし違っていたら、ご指摘お願いします!) (略)
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