2020年05月06日(水) 

 

 

>  私は1990年8月にイラク軍がクエートに侵攻してから91年1月にアメリカが湾岸戦争に踏み切るまでのアメリカ議会の議論を見た事がある。>戦争をする国の政治の議論というものを初めて見た。

 

それは勉強になる知見ですね。

 

>夏の終わりからアメリカ議会は歴代の国防長官、国務長官、軍人、経済学者、ジャーナリスト、さらには外国の政治家まで200人近い専門家を公聴会に呼んだ。>  そこで戦争に踏み切ればどのような影響が出るかをあらゆる角度から検討した。 >中東地域はどうなる、各国の反応はどうか、アメリカ経済への影響、国民生活への影響など2ヶ月にわたって意見を聞いたうえで、議員たちが戦争権限を大統領に与えるかどうかを決めた。

 

さすがアメリカですね。

 

>その判断は自らの政治生命に関わるから、採決の日の議会は異様な緊張感に包まれた。>  全員が戦争すべきか否かを意見表明する。>民主党議員の多くが反対する中でゴア上院議員は賛成演説を行なった。>次の大統領選挙に出馬する意向を固めていたからである。>こうして湾岸戦争は開始されたが、戦争中も戦争後も軍事費を巡る議論はしっかりと行なわれた。>国民の税金を使う話だから、戦費をしっかり監視し、無駄をさせないのが政治の役目である。>シビリアン・コントロールとはこういうことなのだと実感した。

 

それはためになる経験でしたね。

 

>  ところがこの国の国会ではいつも予算の詳細がほとんど議論されない。

 

日本人は、議論が下手ですからね。議員の知恵がそこまでまわらないでしょう。

 

>今回の大震災など戦争と同じで日本経済に深刻な影響を与える事になり、しかも復興には巨額の資金が必要になるから金の話はしっかりしてもらわなければならない。

 

そうですね。他力本願・神頼みとならないようにしていただきませんとね。

 

>ところが「最後は国が責任を持つ」と手形を乱発するような話ばかりで、どうやって国民生活を落ち込ませないか、どうやって経済を上向かせるかの議論は聞えてこない。

 

日本人は、議論が下手ですからね。懸念される事柄は全て想定外になっているのでしょう。

 

>  そして「違和感」を感ずるのは何につけても責任の所在が曖昧になっている事である。

 

そうですね。日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。だから、責任者を探しても見当たらない。

 カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。 、、、、、大企業は、中央官庁の役人から離れないよう、本社あるいは重要な支社を東京に構える。主要教育機関も、ここに集中している。予算陳情のためには、地方自治体も国の中央官僚に取り入らなければならない。東京以外には、重要な出版産業も娯楽産業もほとんど存在しない。ところが、この地理的中心地には、政治の中核がないのである。どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り) 

 

>浜岡原子力発電所の運転停止も「命令」ではなく「要請」であるから最終決断をするのは中部電力で、放射能から非難する住民は「自主判断」を求められ、東京電力の社内に作られた「福島原子力発電所事故対策統合本部」は法律によらない任意団体である。

 

日本人は意思決定ができませんから、事の次第・成り行きで物事が決着するように努力しますね。

 

>法律による「原子力災害対策本部」を使わずに政府と東京電力が一体となった責任の所在が曖昧な団体がわざわざ作られている。

 

‘兎角この世は無責任’ という国の体質ですね。

 

>  政治は国民生活を守るために仕事をし、結果について責任を取るものである。

 

そうですね。しかし、日本人は責任というものに馴染めませんね。

 イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について次のように述べられています。

、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。 、、、、 (引用終り) 

 

>しかし他人の意見を聞かず、責任の所在も曖昧なままの政治に「歴史の評価」を求めても、歴史が判断するまでもない事で、このままでは政治に対するアパシーが広がるだけの話である。[apathy: 無関心]

 

そうですね。我々日本人の政治音痴は骨の髄までしみ込んでいますね。

 

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閲覧数778 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/05/06 22:22
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